青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

三十 水がどかどか降る滝の下で

1987年12月18日 12時00分32秒 | 投稿

千五百九十年台、みやぐりん卸屋の実の生りようが完成する。
千六百三十年から、三十五年間が花乃井卸屋の全盛期だった。
みやぐりんは、四十年間が全盛期で、八割一軍が四十年間。
威容が半分時期は、それ以降、幕末動乱期まで。
ある時、二カ月で物流が死んだ。
花乃井は短命ですぐ枯れた。
江戸の幕藩体制に、物流維持力を世話になっていた事実を難波は重く受け止めていたが、日本開国前後の動乱に江戸が、死命を賭して、日本全土を、理不尽政経運命から守るべく奔走していた事実に、難波の公家、財界人は深く感激していた。
江戸を助けるべく、江戸に斥候を遣わしており、貴重だった電報に耳を傾けていたところ、“ソレドコロデハナカゾイモガ”が連射される日々だった。
そして、やおら、みやぐりんが死んだ。
みやぐりん、花乃井は共に、難波でいつぞやかの開花が必定だった、果樹園だった。
誰が、への答え、大勢、が真相を明かす。

難波政経は開国後、東京へ難波財閥を進出させ、これらは上海、香港に支所を開設した。
そして、ほぼ全てが燃える。
自民党が対露姿勢に於いて、イギリスの協調を得るべくの渇望にあった時期、自民党と密接牽連経営にあった、商社、政商がイギリスに派遣しての、情報要覧化視神経、維持費に。
難波資本はこれに貢献した。
得た情報構成は、日英同盟ではなく、軍師派遣要請ではなく、軍艦購入交渉を、発生させ、成功させていった。
ロシアは国土が広い。
一方イギリスは、野放図な海路延伸と共に、海軍を自然成長させている。
日本を二者に関わらせたのがアメリカだが、Irish and nigger、馬糞追う脳内修道女運命人、異星人技術の卓効へ隷従中。
表面上、堂々なる理性人として、堂々交渉、または堂々交戦にて、かく、在れ。
関係国に群れ、日本はその指令に堂々と従う素振りを、示した。
その程度に、難波政経は貢献した。

難波政経の預金が消えた先は、細目を挙げたらきりが無い。
日本の国体変遷に伴う、関節痛霧散費を全国配布、これが大馬車名。

難波での労働は、結構ダリいが多い。
方向性は、乱雑。
知的刺激、資源の均等配分への希望の知的濃度も、同様で乱雑。
どこに、本屋が在るか分からん。
女子向け小物の拡散地はどこか、との確度伴い情報は政治家が管理。
衛生品目の拡散ぶりは、京との彼我は十対一で敵わん。
そして、難波民度は一部を除き、関心先は商魂の満足刺激。

娯楽は、観客席は京都の清水寺の下構造ごたる、井桁の中で立ち見なる、大衆向け歌舞伎やら、台詞は大声で客席方々に聞こえるお笑い系寸劇。
舞台は、

の左右席は無しで、大いにでかい。
電灯は無し。
天満橋の西、高橋橋辺りに一カ所、そしてこれ規模はその他に二カ所。

どこの家にも風呂はあった。
水を配る馬車はそこら中で走っており、水は在る。
しかし、入浴頻度、これは京と同様に、大いに民度に障った。
目に見えぬ洗練ごと、に分類さる身体洗浄の頻度の変化を、世に偏在なる断定指標に頼らず、一人で決める。
これが、激烈に。
難波の大多数は、月に七度から九度。
冬となれば月に一度だった。

しかし、花乃井卸屋関係者は、週に四、五度。
みやぐりん卸屋は人により、週一から七度。
地球視野では当時、難波、こうした数字とは、かなり優秀標高にあった。
首位はちなみに、京、ねお関係者と、神戸の医療用品商社の挨拶回りで、毎日入浴か、呂雨濾だった。

多幸感は、以前の言及通り、京の平民には敵わない。
これは、今回の地球文明、首位、あいやー。
女優の吉岡里帆と、格闘家の堀口らは、意気揚々と人生の過去を分析、未来を眺望、現在を俯瞰、言語掌握済み自己と毎日の日用品の相関を手探り刺激を詳細索引の日々を過ごす。

難波は京と同様に沼、なんだが、方向性は政経上の砦御殿の蟇股かえるまた、の紋様にスペイン船が東南アジアの金山算出の金を、加工せず、生で、塗り付け、なんだ。
奥で、ぐへぐへを納得させる相手はやはり、あにや、なんだ。
きりがねーべ。

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