青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
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百九十一面目   青龍記 その一

2014年01月31日 12時00分01秒 | 投稿

奈良県桜井市には三輪山という山が鎮座しています。
中々探す事の無い秀麗な円錐形です。
この山は縄文時代から始原的信仰形態の祭祀場であった事が出土品の学術解釈から推測されています。
現在は神奈備山(かんなびやま)、神の籠る神体山を社の御神体として奉ずる大神神社(おおみわじんじゃ)の背後で、奈良県の一宮(いちのみや、高い格式)の象徴となっています。
私が霊能力で調べると、三輪山信仰の起源の目的は特定出来ません。
余りに雑多なのです。
縄文時代、周辺に住居を構えた人々が権勢の主張の為に、見栄えの良い三輪山で行った各種の儀礼的行為の数々が初期振動のようです。
権勢の目的はそして、雑多に細分割されます。
儀礼的行為以前には、無名の民の意味深な踊りが見えます。
目的は、大人しげな斜面の山での自己陶酔的演劇への参画が自己と周囲に期待させるやもしれぬ、共同体内の道楽地位への当選です。
時代を経て後続していった祭祀の変遷は常時、雑多さの流入口でした。
そして決定的な遺伝子の変質点を迎えます。
今から約八千年前、自動的定立を見た不可視の、定立者不在の摂理により、この山はある物の沼としての内装整備が完了したのです。
ある物とは、謎の振る舞いを見せる万物付随の波運動の因子、霊的波動です。
この霊的波動は、非現実世界への逃避欲を自己陶酔的に正当化しつつの怠惰が、出自の八割を説明出来ます。
今から約六百年前、大量の霊的波動を宿した山は起動を始めます。
入山中の人々に奇跡を見せ出し始めたのです。
衣服を揺らす。
意味深な解釈が起きる名前の昆虫群を道先に出現させる。
深い因縁を抱えた人間との偶然の出会いを与える。
目的は謎です。
人々の人生軌道を思いやった上での、不可思議象限への気付きを通じた過去への回顧の促し、社への尊崇の念の確保等、道筋の立つ推論は奇跡の遭遇者の衣の裾の糸からは辿れないのです。
ただ雑多な現象群との遭遇場なのです。
遭遇者への利益は、実のところは何もありません。
主観的に体感する利益があったとしても、起きてしまう事実上の利益については摩耗による消滅が起きるのです。
遭遇した奇跡を起点とするあらゆる思考、純朴な尊崇の念等は一定量がこの世の常識の向こうの不可思議象限の利益として吸収されてしまいます。
始め出した祭祀については、継続という功徳は自身の意識にもちろん刻まれる事になりますが、発生を期待するのは自由として、不可思議な救済、人生の導き等の利益はありません。
祭祀の際の想念は三輪山に渦巻く霊的波動の沼を太しめるのみです。
太しまった三輪山の沼の目的はただそこで渦巻くのみです。
そこで人間に奇跡を気紛れにかざし、不可思議象限の存在を気付かせていくのです。
ところで人間はこの山で不可思議象限の実在を気付かずとも、現実世界での五感の活躍を通じ、堂々と日々を歩む事で実りの多い人生を過ごす事が出来ます。
過去一時的に禁足地(進入不可の地)とされていた神秘の山に入山して奇跡を期待する必要など無いのです。
滞留を続ける霊的波動の沼は歴史を経て開闢してしまった異世界への入口です。
もはや未来永劫これは閉じる事は出来ません。
三輪山の特殊属性の原因は、日本人の肉体的素因に由来します。
堕落への耽溺欲の強さ、堕落へのなし崩し的耽溺権の掌握力、集団への自己埋没時に於ける責任感の壊死速度といった、日本人が遺伝的に継承してきた緒元が山の起動の遠因です。
長期間にわたる祭祀や祭祀もどきによる、異世界への逃避欲でくくられる怠惰想念の滞留が異世界へのもはや閉じぬ入口です。
山への接近は危険なだけです。
好奇の接近履歴とは何と、死後の輪廻を経ても恒久的に消えません。
重度となると人生の機知駆動力が完全に壊死し、治りません。
この山に鎮座坐(ましま)すとされるのは神名、大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)の奇魂(クシミタマ、魂の奇しき働きを司る力)、大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)です。
神名の物は超自然的存在の意味があり、非通常世界に属する異形の力、鬼(もの)に通じます。
私は“偉大な奇跡の主”という解釈を見つけていました。
山への鎮座の機縁とは政治的でした。
そして政治的理由の歴史的な裁縫行為の結果、首尾一貫した社史にはもはや誰にも到達出来なくなっています。
何故なら存在が無いからです。
残念ながら古事記(こじき)の編纂経緯、現在の内容からして雑多なのです。
古事記では大国主大神には蜂、百足(ムカデ)に囲まれる試練が訪れます。
このような試練を記憶し、三輪山を訪れる者に待つ道のりにはそして、神話通り蜂と百足が現れます。
つまり奈良県の霊的波動が、大国主大神が祀られる島根県の出雲大社(いずもたいしゃ)の二礼四拍手一礼(にれいよんはくしゅいちれい)の礼拝作法を覚えていると奇しき事に、神話を実現してしまうのです。
近辺に伝わる伝承では三輪山には蛇神が七巻き半数えてとぐろを巻いているそうです。
ところで、蛇神伝承と三輪山に関する明晰且つ大量の記憶と共に神社を訪れれば、境内の巳の神杉(みのしんすぎ、蛇の住む杉)に開いている穴ぐらが、姿を見せぬまま鳴き声を聞かせてくれます。
その主は分かりませんが、杉の名と奉げられている卵からして蛇のものであると想像してしまいます。
辺津磐座(へついわくら、下の方に在る神霊の依代の岩)近辺で蜂に、中津磐座(なかついわくら、中に在る神霊の依代の岩)近辺で百足に出会っていれば、神話との心地良い偶然に登拝客は心が躍ります。
山中の足先を常に先行する動きを見せていた蜂が頂上前でついに視界から消えます。
「案内してくれんのかい。」
と声をかけていた者に、自然万象の意図を編んだ橋の上を人に歩ませるこの世非ざる存在の力の索引はまだ辞書にありません。
三輪山頂上の奥津磐座(おきついわくら、奥に在る神霊の依代の岩)はほんの数百年程前に権勢の主張を目的に大勢の人間が頂上に持ってきた岩が正体です。
大物主大神と異名同神説のある物部氏(もののべし)の祖神邇藝速日命(ニギハヤヒノミコト)の被葬推定地は奥津磐座ですが、霊能力によるとこの異名同神説は単なる数多くの解釈群のつぎはぎの結果でした。
山中のものの破壊や取得は一切禁じられている為、磐座近辺で立ち塞がる蜘蛛の糸はしゃがんでくぐります。
奥津磐座には撒かれている清めの塩が見える事があります。
磐座から更に奥に進み斜面を下った盾状(たてじょう)台地では祭祀具が出土していますが、ここへ至る道は存在していません。
奥津磐座の前では落ち葉の埋もりから姿を見せぬまま聞こえる声が巳の神杉のものと同じなら、その主は蛇と推測してしまいます。
姿を探そうとするも、その鳴き声の直後に聞こえてくる、落ち葉が鳴らしてくる雨音が偶然にも鳴き声と全く同じ“カカカ”という音なら、山と本殿を飲み込む何らかの現実理力無視存在をついに想定せざるを得ません。
蛇の居所を傘の先で探そうとするも辺り一面は蛇の鳴き声で埋まり、全く分からなくなります。
頂上から高宮神社(こうのみやじんじゃ)に向かう手前で空中を停止浮遊したままの蜂の交尾が“ブーン”と羽を鳴らして存在を知らせつつ待っており、下山後に山への入口近くの狭井(さい)神社拝殿前に向かおうとすると、立つ場所を示すように拝殿前の一点を雲間の光が照らし、小雨が再開すれば気候すら操る祭神の祝福であると、感動せざるを得ません。
三つの磐座群の前では、山でかつて遭遇した事の無い衝撃や、それまでの多くの衝撃の連続であった人生を中和する意味合いでは無く、別の名前を名乗る事を真剣な面持ちで宣言していく当人は今や私生活、仕事面双方に於いて太陽神と蛇神(だしん)信仰の地、物部(もののべ)氏族とは無関係です。
狭井神社の宮司に“神恩感謝”の項目を選んで祈祷を奉納させて頂いた事が五度ありましたが、その方は三つの磐座群の前で名乗った名前は読んで頂いた手紙と共に既に全くご記憶に無いと考えます。
頂上近くの高宮神社の賽銭箱には年収の上四桁の金額を神恩感謝の印として奉納します。
用いていたのは、毎年数十枚の重なりの中央から選び、清潔に保管して持ち帰る“瑞穂銀行”の封筒です。
頂上の磐座の前で長い時間をかけて般若心経(はんにゃしんぎょう)の詠唱を続けている参拝客が去るのを待つ為、高宮神社近くの椅子で座っていると緑色のバッタが無言で近づいてきます。
人間の注意を誘うかのようなゆったりとした動作に見入っていると、目の前で大きな蟻同士の喧嘩が始まります。
頂上近くの人間達を暗示するかのようです。
別の神社で出会った事のあるみみずを思い出しながら山麓(さんろく)を歩いていると、足を進めた先に突然みみずが現れます。
神の抜き打ちの問い、“汚らわしい印象が地を這う姿を見る時、命を尊ぶ心も同様に汚らわしい地を這い、その者は神に尊ばれなくなる事が訪れる事になるが、これらは全て突然である事を分かっているのか。
この突然性の否定努力に当たり、人間が許された即応性を示す意思と、それを常識で包む知恵を発揮出来るか。”
と解釈すれば、そのみみずは小枝で持ち上げられ、大勢が行き交う踏み潰しの道から脇のつつじの中へ逃がされます。
神社関連の書籍によると、過去本殿背後の禁足地に築造物を建ててしまうと、どこからともなく現れた鳥達が口ばしで築造物をついばみ、解体してしまった事があったそうです。
神社の巫女(みこ)によると、境内での奇跡や内心を見透かすような偶然の一言との遭遇は日常茶飯事であり、宮司も不可知存在を確信しておられました。
巫女によると戌年(いぬどし)には本殿に犬を上げる参拝客に困るとの事ですが、参拝客の良心に任せるしかなく、注意は出来ないとの事でした。
古事記の崇神記(すじんき)に見える神の祟りによる疫病の流行りの下りについては、“人間が言う事を聞かないから立腹して殺すのではなく、罰を下してでも人間に与えねばならない尊い学びの為だ。”
という同一解釈に巫女と落ち着きました。
巫女の方のご出自は他神社の神職の家柄で、その内別の神社への転属となるとのでしたが、現在の勤務先と神職としての充実の日々に抱いた羨望はその方への接近という参道を即座に走らせますが、手水舎(ちょうずや・てみずや)の読みから互いに齟齬があり、本殿には参れません。
日々の祭祀の際に訪れる蜂が神棚近くに巣を設け、名がヒメスズメバチなら、神社の摂社(せっしゃ)に祀られている神名、媛蹈鞴五十鈴姫命(ヒメタタライスズヒメノミコト)の神使と勘繰ってしまうものです。
奈良県の率川(いさがわ)神社の本殿前まで車を乗り入れる者を見かければ非常識さに言葉を失います。
狭井神社に見える神名、勢夜多々良姫命(セヤタタラヒメノミコト)の解釈は、“背に矢が立った神霊の依代”と聞いた事があります。
矢とは古来より神霊を、ヒメは秘め、つまり神職や神霊による被選抜後の神懸り役を担う者を暗示します。
古事記は丹塗矢(にぬりや)へ変身した大物主大神が勢夜多々良姫命の陰部を突き、身籠らせる逸話を伝えています。
外界の原始的認知媒体である音を社会的認識手段である意味に変換すると矢は八を経て蜂となりますが、属性は同じく直線的本能に従い刺さるものです。
オオスズメバチは五、六センチもある世界で最も巨大な蜂ですが、異世界との接点の重役記号である神名大物主を連想してしまい、物の画数(かくすう)は八である事から、大物主から“偉大な蜂の主”という即興解釈が起きます。
鎮花祭(ちんかさい・はなしずめのまつり)とは花の散る時期に広がるとされた疫病を鎮める事を願い、花の広がりを鎮めんとする祭りですが、由来とは疫病に奈良が苦しむ時代に天皇の夢元に現れた大物主大神が“疫病は我が意思だ”と神示を下し、末裔とされる大田田根子(オオタタネコ)を主宰者とする自神の祭祀を命じた事にあります。
尊いものを尊ぶ事の知らぬ世の末路を学ばせるには時の足りぬ場合がある事を知る神は、手腕の発揮に当たり、朽ちゆく世を急いで顕在化される事になり、その際は自神も病に倒れゆく民の痛みを知っておられたのだろうと導いた解釈による個人的知的到達感は自身を更なる傾倒へ駆り立てます。
本殿祭神の神名は悪ふざけで社に火を着けようとしていた子供の命を御取り上げになっておられました。
花から蜜を収集する蜂は神使の認識に分類されており、国の安寧に不可欠な至高存在への民の畏怖、崇拝の強制徴収役という属性を鎮花祭は与えます。
鎮花祭に用いられるささゆりの花は娘が生まれた際の、三文字の名へ着想を与えますが、これは信仰的衝動でもあります。
大神神社本殿が神式結婚式の予定会場です。
神具品は全て大神神社参道近くの神具店で揃えた三輪の神紋入りです。
棚板の汚辱を避ける為に瓶子(へいし、酒を入れる器)の下に敷く事にした、木の器の折敷(おしき)は、年に二度のみの参拝の機に数枚求めます。
細い注連縄(しめなわ)しか正月に残っていなければ、古いもののままで一年過ごす事になります。
毎朝水玉(みずたま)の淵一杯に必ず満たす水に水道水は用いません。
幣(ぬさ)に結われる木綿(ゆう)を注連縄の神棚への括り付けに用いていれば、かなりの確率で礼拝時に揺れを見せますが、これを起こしていたのは三輪山との関わりで自身の異空間座標に滞留した三輪山の雑多な霊的波動で、意味は無くただの現象でした。
神棚から垂れている、狭井神社で陳列されている八つの鈴が垂れる黄色い鈴鳴りには蜂が止まり、羽を鳴らさなくなりますが蜂のままです。
社の参道で右手の土壁の穴に通りがかった瞬間に蛇が頭を出してきます。
参拝未経験だった大神神社摂社の檜原(ひばら)神社へ赴いたのは直面していた精神的逼迫の緩和が目的でしたが、その際の道中では尾が水色で胴が黒色のヤモリとの遭遇が起きます。
その他全身黒色のヤモリ、雌雄(しゆう)のリス、青い蝶、黒い蝶、黒い蜻蛉(トンボ)、蝉が神体山に現れる神使です。
狭井神社の鳥居、手水舎(ちょうずや)を通りがかるのみならず、書籍“大物主神(おおものぬしのかみ)伝承論”を開いたならばその瞬間に天理駅でも蜂が飛来してきます。
本殿の手水舎の淵は大勢の蜂で満たされます。
蜂蜜は神使の象徴物の一つとして扱いが丁寧になります。
夏に山中を歩けば大勢のヒグラシの声に包まれる幻想的な非日常を味わえます。
入口を登って行く登拝客を直線的に追い駆けていく不可思議な黒い蝶を好奇の目で追い駆けないお年寄りは山の超自然性に既に通じている様子です。
登拝は足の指を怪我していても素足です。
石が怪我に当たる勤行はそれ自体が自らの意思の御神体への奉納物です。
ゴミを見かければ拾って帰ります。
神体山で寝そべる不敬な親子には憐れみの眼差しを送り、禁じられている飲食を頂上で挙行した者を伝え聞けば、他人の残飯を凝視したような記憶が意識に登ってきます。
山中の写真を電子媒体上に掲載している者には電子矢文(やぶみ)を送り、掲載を削除させます。
境内へ犬を連れる参拝客に初めて出会えば当惑し、正月の境内に犬を見せてくれば罵声を浴びせますが、初詣による高揚と罵声による気落ちで当日の決算は成立したと思われる事から、この者の自らの意思の目的の半分は参道にあったと言えます。
神道系のある団体の主宰者に山中での非現実理力との遭遇について知らせる代わりに実現されたのは、通常の知的営為で収集した情報を他の神道通暁者へ伝える事による相手側の知的索引の充実と自身の知的貢献感の満足でした。
初めての登拝日である八月十九日に昼間の参拝がならず、仕方無く夜間に麓(ふもと)の無人の土地から遥拝(ようはい)するとその瞬間に猪が足音を聞かせてくれます。
伊勢方面に向かう等の電車が傍を通過すれば、お山に背を向ける失礼を避け、席が空いていても直立で過ごします。
霧のかかるお山は気候操作の現象を知る者は神の装いと察します。
お山の頂上で拝礼しようとすると、立つべき地を雲間から指す太陽光が照らしてきます。
奈良県を走れば浮遊しながらの蜻蛉の交尾が並走してきます。
日本の国名“秋津島”とは、山頂の神武天皇が眼下の奈良の山なりを御覧になり、交尾中の蜻蛉を詠われての表現です。
神棚に奉げる神酒(みき)を選んでいると黒い蜻蛉が大きな量販店の三十メートル店内にまで探してやって来ます。
方々にぶつかり羽はボロボロとなりますが心配をよそに店内の回遊を止めません。
社に奉賛金を振り込めば、その同じ日には社からは会報が届いています。
神饌(みけ)の塩を購入した帰宅時、書籍“大物主神伝承論”を自宅で開いた時に蜂が飛来してくるといった偶然はいつもの事です。
神前に奉げる酒を使い切れば、その日に仕事面の展望が開けます。
初詣では人垣を避け、山麓の無人の土地を選べば山頂へ向けて拝礼する瞬間に小雨が降り、太陽光が雲間から頭を照らします。
祭神は古来の信仰通り、雨乞いの神と同時に太陽神でもあらせられるのです。
神道を独学し、入念に旅程を立てての東京からの初めての参拝の三重県方面から向かう電車は降ったり止んだりを繰り返す奇妙な降雨に包まれます。
会報によると、ある音楽演奏家が登拝すれば、大風が吹き、虹が出て来るそうです。
頂上で低頭拝礼していると、頭には約二十匹もの蜂が留まります。
目に見えずとも聞こえる低い羽音と髪にかかる重さは存在を伝えます。
目に見えずの、奉納する神恩感謝の念が伝えられ、吸われているかのようです。
ある祭りでは花の広がりが疫病の広がりと恐れられていますが、蜂とは花から蜜を集める習性があります。
頂上で晴天の空から降って来る一粒の雨が体に当たれば被選別感が湧いてきます。
狭井神社に奉納する物は金縁(きんぶち)の色紙に絵の具でしたためた蜻蛉(トンボ)の交尾、ヒメスズメバチ、酒“八千矛(やちほこ)”で、近親者への贈り物は酒“三諸杉(みもろすぎ)” 銘菓“みむろ”、三輪素麺(そうめん)です。
神道で神人合一の儀を意味する、神社から送られる三輪素麺の食事は完食が常です。
品のある発展を成功させている社の門前町(もんぜんまち)で出される、品のある料理の素材は高級な三輪素麺で、やや値が張ります。
清貧な面持ちを張る北村製麺所社屋は山麓へ向かう正月の初詣の道中にあり、いずれも凛とした参道の風景に記憶は分類されています。

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