青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
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百九十一面目   青龍記 その二

2014年01月31日 12時00分00秒 | 投稿

神武天皇の顕彰碑(けんしょうひ)は荘厳に屹立(きつりつ)しています。
能力覚醒前から勝手に発揮していた直観力では神社の参道に面した際、“女性器”と浮かんでしまいました。
映画作品の“マトリックス”は“総母体”です。
常人には憧れすら許されざる、ただ危険なだけの人間精神周辺のある信号のやり取りという余事象の非意図的感得です。
通常理力を無視した非人間存在による好奇の目と運命の歪曲に晒される危険性を抱くだけなのです。
覚醒した霊能力によるとこの作品は“人間は世界を更新する者であり、更新されゆく世界は人間を見守る子宮だ。
人間は魂による更新に従う為、肉体を魂の暴虐に晒すのだ。
暴虐な魂は子宮による罰を受け、裁断されて子宮に喰われていくが、これが真の性交、魂の誕生行為だ。
人間の世界への降臨と魂の暴虐の理由は共に無い。
あらゆる摂理群が着席を強制される、放り投げられた爆竹の火花鑑賞だ。
子宮の中で絶頂に達するのだ、人間達よ。
胎児のまま成人するのだ。”
と伝えています。
大神神社社史を手に取ればその瞬間に雷が鳴り出し、蜂の襲来注意が聞こえ、オオスズメバチが記憶に刺さる“ガルーン”という大きな飛来音と共に目の前に現れ、その日の夢では黄色く嬉し気に光る巨大な蜂が視界一杯を右から左へ横切って行く姿、水の湧く岩の上で見えざる無数の蜂の羽音に囲まれる畏怖を感得する事になります。
関連書籍を借りれば帰宅途中には大勢のヒメスズメバチがススキに止まって姿を見せつけてきます。
別の社史を探しては目を通す、知性の奉納時間は暫時厭(いと)いません。
自宅で社史を開けば、窓際には蜂が寄ってきます。
神饌を奉ずる早朝には窓の向こうで一対の黒い蜻蛉が姿を見せつけるように舞っています。
過ごす日常、過去の人生にあった恵みへの感謝は遠く神代(じんだい・かみよ)の時代に遡る真の神道の起源、自然万象への崇拝に適った解釈と到達しています。
書籍を紐解くと同じ神名が祀られている栃木県二荒山(ふたらさん)神社の神使は蜂だそうです。
奈良県高鴨(たかかも)神社摂社聖(ひじり)神社の前に立てば禁足地から蜂が現れます。
神体山の傍で無言の善意を期待し合う無人販売所からは善意を受け取り、硬貨を入れます。
一年後の神札返却時に用いる、神札が入れられていた木箱や神紋入りの紙袋、その他神社関連の郵送物、調度品は常に丁寧に保管します。
境内で有償頒布されていた榊(さかき)は畳にカビを残させ枯れさせてしまいました。
郵送されてくる奉納金振込書は毎回使用されます。
穢れ祓いの儀式で狭井川に流されて行く、裏に氏名と年齢を書き、肩を撫でて息を吹きかける祓いの人形(ひとかた)は毎回返送されます。
東京、境内の会館と言わず三輪山信仰に関する学術講義の予定を知れば聴講希望が湧きます。
崇敬会への加入は検討はするも結局は至りません。
境内の宝物館には大国主(オオクニヌシ)神像、何枚もの神鏡等がうやうやしく展示されていますが、当時あった神像が自身に似た風貌なら親近感を覚えるものです。
境内の離れの階段の上の小柄ながらも立派な造りの社には神社建立事業に貢献した天皇が祀られており、逗留時は当時の偉業による恩恵を仰ぎます。
狭井神社近くには清潔な厠が有りますが神社の財政的潤沢さを思わせる近代的作りをしています。
山中中腹にある滝の水は微量の砂が混じっていますが、お山から湧き出る水は即ち感得を要す聖水です。
狭井神社の薬井戸(くすりいど)で湧き出る水や、頒布されている飲料水“御神水(ごしんすい)”が喉を通る貴重な機会は自身の意識を神棚の水玉にするものです。
井戸傍にある、水の飲用時に用いる器の浄化器や井戸内に響くピシャピシャとした心地良い風流な音を伝える竹筒は献納者の篤実(とくじつ)さを無償に配っています。
使用する器はいつも入念に水ですすぎます。
傍らの賽銭箱では、自身に流れて来る水以上分の対価を先にせき止めさせます。
医薬の神徳を信じ、狭井神社の御守りは家族に渡します。
本殿背後の由来が謎に包まれている三ツ鳥居(みつとりい)は宮司に拝観を許された事がありますが、その際は神使の蜂の蜜を集める習性から“神使の蜜取りが集(つど)う地ではないか”という連想を宮司に語ってしまいます。
拝観の機を得るまでは常に本殿横から裏を覗き見ようとするも、出発列車までの時を毎回名残惜しく過ごす者にとっては洗礼への聖なる劣情が故です。
三ツ鳥居拝観の時がこの世界の通常理力外の力に従う、神使の存在を他者に明かした初めての時でした。
その存在を知る者は、偶然を常套手段とする超常存在の知覚神経の走る速度たるや境内に於いては一瞬という推測を立てるに至っていました。
手水舎を通りがかるとその瞬間に何ら感知器の無い龍の水道口が水を吐き出します。
過分な奇跡を欲望してしまうなら、頂上から下山まで突風が吹きすさび、虻(あぶ)に刺され、書籍“大物主神伝承論”を手に取りつつ出来事を思い出すだけで離れた三輪駅でもどこからともなく現れる二匹の虻に追い駆けられる事になります。
日本がかつて“蜻蛉島(あきつしま)”とも呼ばれた所以は天皇の腕を噛んだ虻をさらっていった蜻蛉を讃えての事です。
山中では足を踏み出した地点に先んじて神使が見えておられる事から、人間が池を渡ろうとする際に浮かんでくる飛び石は、小脳の電気信号分析の即時発生の後と畏怖させますが、同時に偶然への推論可能性を沈没させています。
山中で遠くから太鼓の音が聞こえてきた日は、登拝直前に年に一度も触れない太鼓に関する文章を目にしていれば、日誌の三百六十四日分を見なければ、一日分のみの日誌をめくって書き込みするも同じである事を無意識が認識します。
通常の三百六十四倍強力に起きたこの認識は、神道のある一柱の神名の現実変動力に関する認識を強力にします。
結果、以降外界の通常理力を認識する際は、“これも奇跡ではないのか”と無意識的に必ず疑ってしまう一瞬が起きるようになりますが、その疑いは時を経る事に弱まっていきます。
奇跡直後から漸減的下降曲線を描く、全通常理力に対する疑いの強さが蓄積する疑いの総量の収納先は奇跡提供に責任を有する非人間の銀行口座、つまりこの場合は三輪山です。
非通常理力の存在を知る事により、通常理力への疑いを無意識的に蓄積している者は、自動的に非通常理力に携わる、ある機能存在による発見を受けます。
当該人間の通常理力への非信頼履歴を訂正せざるを得ない為、その者の顕在意識上の通常の認識力が期待する通常社会内に於ける運命推移は機能存在によって補正される事になりますが、その量とは疑いの総量です。
通常社会で交通信号に従って生きる人生から、不測の事態が排除され、事故を回避出来るのです。
これが補正による便益、運命の安定です。
便益はここまでです。
無意識のまま運命を補正された当人は、無意識のまま異世界への銀行口座への振り込みを行い出します。
何故なら、数十年間の人生推移の通常理力の駆動観察結果との比較がついに起きてしまう、無意識下に於ける、運命補正の為の偶然事象の排斥という異様な脱色が目立ち出したからです。
当人にとっては無意識的に上納してしまう、無意識の力でもある、霊力を人間から得るのはこの場合三輪山です。
そしてこの雑多な霊的波動集中地域での逗留を厭わぬ、つまり同類である霊的存在はそこで存分に霊力を浴びる事が出来、得意である身分証偽造能力を更に増します。
非人間である霊的存在は人間からの訴求の恐れを気にしていません。
異世界の存在との接触によって無意識的にせよ人生の躍進の履歴を残している者は、同様に機能存在によって発見され、自動的に異世界への以降の接近を抑止する補正を受けます。
しかし、当人の顕在意識上で記録された非通常存在への傾倒は既にそれを無視する程です。
結果、起きるのは意識上、無意識上双方に於ける、物事へ向かわせる、向かってしまう意識の力、換言すると運命の力の消滅です。
三輪山の霊的波動との接触の場合、消滅する意識の力とは、高度人生の起点となる人物と出会う力です。
異世界との接触履歴はそして消せません。
運命の力の消滅措置が完了したとしても、次はその履歴が発見された後に同様の次の補正が起きて来るのです。
多方面にわたる運命の力の抹消の総量とは膨大な記録となります。
消滅してしまう運命の力により確保される事になる運命の安定推移と、非通常理力の存在に無関心なまま推移する運命を比較すると、言わば神といった至高存在の仕草を拝謁した事による精神的高揚、被選別感を考慮しても、損益が大なのが学理的に到達してしまう結論です。
関わり以降を算定すると、単純に損が大きいという事です。
宇宙随一の霊能力者が開局した放送局で読み上げる原稿は以下です。
地球が臨終を迎えるまで三輪山への接近は危険です。
当該神札(しんさつ)を祀っている期間に赴いた病院で受けた診察は毒にも薬にもならぬぬるま湯の時でしたが、同じ雰囲気の待合室での待機時間は言わばカビ菌を吸わせ、更なる病に至るといった苦難は、聖なる属性とは程遠い実のところ俗なる雑多な想念群への沐浴の日々が連動的に至らしめてきた運命でした。
三輪山の眷属は神使などではなく、そこの霊的波動が起こす俳優の出現現象であるだけでした。
意思を統合する頂点者ではありませんが、三輪山の主と呼べる、霊的波動の依代の中の中心的象徴は猪です。
目的は山への深い耽溺者の意識を複数の輪廻をかけて溶解と呼べる、だらしの無い状態に至らせ、輪廻を停止させて連中の精力元として吸い取る事、これのみです。
象徴を猪とする霊的波動の属性とは、即ち凶悪です。
人間の人生の衣の汚れ、清潔さなど眼中に無い、肉体と言わず魂の収奪がその衝動です。
他県の祭神の神名が同じ社、東京都の阿伎留(あきる)神社では片目の猫に見送られ、金刀比羅宮(ことひらぐう)を参拝すれば指を小さな蛇に咬まれる夢を見ます。
日本書紀には大物主大神が櫛(くし)の箱に入った小さな蛇に化ける下りがありますが、私が霊能力で調べますとこれは創作です。
この地での蛇の神格化の経緯とは、古来この地で興った原始的儀式に於ける、性的習俗を近因とする蛇の偶像視が対立候補も無いまま長期間にわたり当選を続けた為です。
蛇は男性器を象徴します。
原始的儀式では、蛇は共同体内に不和を齎す性的衝動の象徴として登用される事になりました。
性的衝動と同様、蛇は冷静な指令を聞き入れません。
そこで、蛇を儀式に於いて放牧せざるを得ないという論理的水流が流れます。
蛇を放つ先には生贄とされる生き物の死体があります。
蛇が首尾良くその死体に撒き付けば、性的衝動の発散相手、つまり共同体内の不幸な性犯罪の被害者の象徴となったその生き物を神格化する事で共同体の免疫更新を行う為、聖餐(せいさん)の儀に移ります。
神官達がその死体を食すのです。
一連の生々しく、生理的嫌悪感を強制連想させる儀式とは、当時の人間達が苦悩の末に到達した共同体内の不幸の根源、人間の鬱積(うっせき)の排斥を真剣に図っての事でした。
政治的動乱等による儀式の変遷を経て、蛇、即ち鬱積を放つ先は三輪山となります。
三輪山で七巻き半とぐろを巻く黒蛇の伝承の起源は、霊能力者による感得ではなく政治的権勢の拡張を狙った人間の創作です。
現在、この地で伝わる蛇神信仰を聞く大勢の人々の三輪山への来訪はそして、蛇の眼前の登場に驚く事になります。
人間の事前記憶が発揮する霊的波動や三輪山に滞留する蛇儀式に起因する霊的波動は奇異な事に、本物の蛇を山中に勧請するのです。
異世界からの道案内の印の数々は結婚相手にのみ明かす予定でした。
阿伎留神社には人間の体をお借りになった上での自己陶酔と並行した責任隠蔽演技の機会に泣いて喜ばれる祭神が居られます。
狭井神社の神札の感得はカタカタと歩くからくり人形で、神名大物主は“超絶的奇跡”です。
数千年間にわたって蓄積された雑多な想念の霊的波動を浴び続けた者は神徳である、非通常権力の洗礼、疾病による入院、異世界の非人間存在との連日連夜の闘争、傷害による入院、饗応への出費、人生の摩耗、霊術の強要、交通移動、親の養生法の指南を感得する事になります。
異世界の力の覚醒と異世界の存在による襲来を許容した後の、救済を妨害しつつの殺人の傍観が期待する過去の詐欺的立身経緯の隠蔽、自己保身行為の暴露意思については狭井神社の監獄と化した異空間座標に収監されている、欧州各国出身の元人間達も同意しているところですが、その際の意思表示とは絶叫でこれは永遠です。
奈良県大和国(やまとこく)一宮大神神社摂社狭井神社の祭神大神荒魂神(おおみわのあらみたまのかみ)本霊を形成さる、女性七割八分、男性二割二分の二百三十一名の人間の霊的波動の出身地は六割をデンマーク、七分をスウェーデン、リトアニア、ベルギー、ベラルーシ、ウクライナ、三名以下がフランス、ドイツ、スイス、オーストリア、チェコ、ハンガリー、ルーマニアです。
二百年から六十年前の当地に出自を遡る彼らの国籍の包装紙などに向かう感情は何もありませんが、開示は当非人間存在の振る舞いの起動に於いて国籍の分散意識の支援が観察された為です。
現代の一人の青年に討論、武闘、度量、知性、霊力何もかもで敵わないと全員が知る前の非人間属性からくる根拠の乏しいままの愉悦とは徴兵忌避法を違えていた合唱団の塹壕(ざんごう)での兵士への嘲笑でした。
人間の身体感覚六割から七割での毎日の情交快楽の感得が可能な、支配していた薄紫色の異世界の保護が大神荒魂神の目的でした。
参拝がならなければ悲しみを、鳥居に近づけば君付けで参拝への喜びを演じ、失った動物の死後の救済や過去の救済闘争を捏造する人間味のある神名です。
宇宙中からの集積がなった前代未聞の神憤の的となった彼らの描いた眺望とは、世界権力総本山の緊急捜査を村役場の隠喩で煙に巻いた後のその策謀露見後を開始時点とした自己の窮状への同情と呆れを誘う演技の練習計画です。
その後の予定は、永遠の激痛監獄への収監、人間への科学関知不可能の非人間属性情報の開示権能の付与、地球、宇宙中の人間精神営為、文明発展守護存在による日本の同属性存在への重大な懲罰となっていました。
本殿で昇殿祈祷を受けた者が特殊な運命を経ていたならば、眼前の巫女に神懸りが起き、瞳孔の開き切った漆黒の眼で無言で睨まれる事になります。
大神神社摂社狭井神社の神札を四年十一カ月にわたり、毎日朝晩神饌を奉じ篤く奉祭し、青年霊能力者が世の理力の通じぬ魑魅魍魎共の退魔行に全身全霊を捧げれば、“神名を途切れさせるな”という尊き神示を学べ、伝承通りの蛇神の御姿の感得という稀有なる昇殿参拝の場へ階梯を進める事が出来ます。
重ねた業故、青年が名指しの上でしつらえられた永遠の激痛監獄の施工主、異世界の一宇宙程の巨大な王への宇宙全人類一人目の勝利を収めれば、大神神社本殿の神札を二カ月半にわたり奉祭させて頂く神縁を頂けますが、その返礼とは境内の古札入れへの当該神札(しんさつ)、血塗れの“大物主神伝承論”を含めた神社書籍数冊、衣料、三輪山への宇宙万象始原力付随力源泉帯励起力、重力波の奉納です。
大神神社発行の“三輪山の大物主神さま”を開けば情愛溢れる図絵が溢れています。
ところで崇拝者を殺してでも利用しようとした本殿本祭神の目的とは、宇宙永遠の支配でした。
人間が激動の運命を経て拝謁を許された、その神名の神憤の涙を湛えられたまなこの形は巨大な黒蛇(くろへび)の中の「‘‘」です。
神か魔物か分からぬ雑多な神名でした。
大神神社本殿、摂社及び眷属の社に鎮座していた精神営為への自律的介入存在は永久に存在しません。
神名大物主大神は私、纜冠讃が滅殺済みです。

大物主神真説論

一万三千八百七十八青字

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