青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

三十三 周囲に障るなる、霊視済み硝子箱入り京人形

1631年09月19日 18時26分33秒 | 投稿






四十糎ほどのみ、道に通過幅を呼吸させているのが黑。
陵墓建立時、通りは現在の半分程の幅で、陵墓はこれをほぼ埋め、非常識な事に、誰にも通れぬようにした。
自動的に発注されし陵墓の規格が、大きさを規定したが、住所については実質一人すら不在であった縁故者による“足繫き通い先”を考慮され、枝が頼る幹を近くの花山かざん天皇陵、二条天皇陵とした。
陵墓の施工関係者は誰一人、大きさの、是正提案を試みなかった。
残る逸話と人脈のいかがわしさを、自己の職歴が咀嚼しての被害を恐れ。
発注せし陵墓の規格とは、当時、京の、最高実力者。
天皇は、江戸を向きし、象徴、文化外交担当人で、政経上の実力は無い。
陵墓の建立様式は京人が異界より運び伝えている。
表の通りが押し潰れようが、とにかく施工関係者は、知らん、の図はこうして成った。

六角形の盛り土の上に、こうした化学構造図、球体連なりを露呈する盛り土が、七つ。
三、五、九球。
山奥で採れし特殊な土で成る、陵墓の堅さは雨に耐え続けていたが、ある時、因習を憎む膂力にて、破壊されるに至る。
京、死亡後、江戸の日常に関する見分情報が行き交うようになると、こうした陵墓を居させる意欲が京より消滅し、そして天皇以外なる、正統なる由緒皆無なる陵墓を毀釈する動きが、散発的に起きるようになった折に。
陵墓の完成から、僅か三十九年目の時だった。
地面から二米半の深さに埋められし、素性いかがわしき続け人物用の棺は掘り返されず。
陵墓の高さは地表から一・七米程度で、球体層を除き、横から見ると盛り土段階により三層構造。
前方後円墳など、には似ておらず。
                           

白河天皇火葬塚しらかわてんのうかそうづか  花山かざん天皇紙屋川上陵かみやがわのほとりのみささぎ

二条天皇香隆寺陵にじょうてんのうこうりゅうじのみささぎ
堀河天皇火葬塚ほりかわてんのうかそうづか

黒、は京に於ける、影なる支えを広く認められし、精神学理探求人生者、または祭祀人生者の陵墓地、または密集地を意味する。
これら影は、機械的に、京で生きようとする者の家の傍に眠る、と求める学理は無し、との成文の意味を、何者にも、理解させずべし、とした。
京の常識を、豊かに在らしめようとの、人生営為者への評価法を、瞬時すら、微動せしめてしまえば、京の頭部とは、影の見苦しきを、そうとして疑う営為により、大汚染さるる危険に、陽の日々に生きる者の知性が苦闘しいく事になる、との恐れが理由を構成する。
陵墓地は、赤と黒双方、そして整髪料、の交際範囲が鑑みられ、決定された。

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