熊本県立美術館
[2021年度7月16日~9月5日]絢爛豪華! おかやま・林原美術館展 洛中洛外図屏風と大名文化
洛中洛外図屏風、二条城
徳川、関東平野で呼吸中の臣下の幕藩、親藩しんぱん、譜代ふだい、より上納される、石高こくだか、等の経済収支以上の重み、蒔絵彫りの小刀たる、物腰、これが肺に沈み続け、かような、江戸幕府の手指、弛緩現象作品への後の察知、茫然、恥とは、ただ肺へ追加なる石臼だった。
“徳川幕府の権勢の砦たる二条城は大きく描かれており・・・”、関東平野が硯であった大きな筆がある時、二条城への行幸履歴に触れたまでで、権勢の砦扱い、にまで話を膨らませたのは、幕藩達の小刀へ気圧されてはならずの、奉行袴歩きへ拝礼中のちょんまげの頭。
関東平野、自動現象。
江戸城の、官吏は絵の存在を耳にするにつけ、ただ唖然だった。
非常識過ぎる、と。
関ヶ原の後、大怪我をサラシで隠しつつの和睦とは、何故、文化の洗練力にて敵わぬ国の頭部を、頭部にとっての喰い物に、捉えようとせしか。
地図を見る自体、この時代では非常識だった。
まして、政治的興奮視野、自在だったらしき俯瞰図絵、京を江戸が。
二条城の階はこれ程多くはない。
これも関東平野での疾病。
つまり、この絵、アメリカ。
想像力を統御すべき倫理が追い付かぬ時はいつまで、か。
刀の鞘を晒す武士を、門の前に置く、これ論外。
江戸幕府とは、そしてこの洛中洛外図屏風の扱いとは、一貫として無視。
正せ得ない恥を。
二条城の立ち位置は公共施設で、権勢を主張する者なら誰でも利用出来た。
この一文、過去よりのまとい事の数々、人の虚ろならぬ移ろいを、徳川幕府は一貫として分かっておらず、の証がこの絵。
この指摘と等価値文は、徳川は京の歴史が認めし、外人向けのスカイツリー施設たる、科挙通過者が詰める御苑の文化人、現代的演歌歌手、氷川きよしごたるとの交流利益を認めつつ、東山区の仏教権勢への接近意欲と、実績の相関が大いに不良。
日本広域支配主張中権勢は、当時絶対に仏教界の文鎮が必要だったが。
全然、足りていない。
高僧の法衣、武将による下品なる袖掴みとのそしりを、恐れずべしながらの接近が。
図屏風の寺群は、一人から七人が保持していた記憶が出元。
統括者による記憶指示などは無い。
一人から七人の上洛理由は斥侯。
高層建築物の傍では、上を見上げず、だった。
ガラス張りの建物、は見掛けていない。
あ、ねおは結局は厠は洋式には至らなかった。ずっと和式。権力構造の問題から非開館期間でも改装の暇が無かった。故に不評。好評部分は広さ、色調の品位、薄い水色やら白。
上の階の屋外部分へは大きなガラスを通して眺望出来たが、地球には無い月由来の植物が生えていた。禍々しい色合いの科学による交配植物。しかしねおとしては配置は避けなかった。複合判断。おもてなし、の先までも私達は。異能力者は見て分かった。宇宙の現況だ。
ねおの客間滞在の効果を発揮している東京の旅館はある。高層階、新築、高い宿泊料の条件を満たす物件が基本。
京都はグランヴィア京都の眺洛スウィート、ロイヤルスウィート。
無い都市、国には無い。無いまま。
ドバイのは違う。しこたま高層階だが周りが砂漠。
ねおの効果を百として、八十以上を発揮している旅館があるのはこの星では日本、中国だけ。どれか挙げるのはだりー。黄色人種の目線が要る。
欧州のは奥に行かない。大勢は四十ぐらい。
必要なのは、旅館の調度品の材質、人材、立地。これが数字に要る。
ねお以上の旅館は今回の地球文明には存在していない。文明が終わるまで無いだろう。これは事故。