ユリウス・カエサル著『ガリア戦記』(中倉玄喜翻訳)という紀元前ローマ共和制末期に書かれた本である。
シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』における台詞 ≪ブルータスお前もか!≫で有名。 暗殺されたあのユリウス・カエサルだ。
史上名だたる英雄で、自らの征服事業を自らが記し、書物(第1~8巻)を世に出した事例は他にないという。
ガリアとは古代ローマ人に呼ばれた、今で言うイタリア北部・フランスを中心とした地域だ。
これらの地域以外にもオランダ南部・ベルギー・ライン河以西のドイツ・スイス・エジプト迄支配は及び、古代ローマはこの英雄の活躍で大きく領土を拡大していった。この本は500ページにもわたるが民族の特徴やら戦略等が詳細に書かれており、当時(紀元前58~50迄)の様子が克明に記されている。
民族同士に戦わせる戦法などは、大国が小国民族に代理戦争させる現代のやり方と酷似。
ガリア地域にはケルト人が住んでいたが、ケルト人はローマ人やゲルマン人の支配を受け、民族としての独自性を無くしていき辺境に追いやられ、アイルランド・スコットランド・イギリスのウエールズ地方やコーンウオール地方・フランス北西部のブルターニュにその文化を残しているのみ。
18世紀から19世紀に入りこの民族に対する関心が高まり、オーストリアのハルシュタットやシスのラ・テーヌで相次いで遺跡が発掘される。こうした発見や研究から、古代ギリシャや古代ローマをもっぱらヨーロッパ文明の源流としてきたそれまでの歴史観に修正がせまられ、現在ではケルト文化に対し正当な評価が与えられ、注目もされてきている。
あの松本清張氏もケルト文化に注目し現地に赴き調査した一人である。
その著書『松本清張のケルト紀行』(NHK出版)で。
ローマ軍に蹴散らされたケルト人はヨーロッパのいたるところを漂泊して諸処に定着した。
ヨーロッパの地名でケルト語に因縁のあるものは、どれだけあるかしれない。
ヨーロッパはケルト人が作ったといってもよいと極言する学者すらある。
と記述している。
それにしても古代史は面白い。古代史から見えるものがあるからである。
ガリア(ケルト人)で人間としての価値を認められているのは、二種類の人種だけでそれ以外の民衆は殆ど奴隷。
その二種類の人種とは、ドルイド(祭司)とそれに騎士だけという。
(ドルイド教はキリスト教が普及する以前から彼らが信仰していた)
この著書の中で、こんな言葉をみつけた。 (第6巻 ーガリア人の制度と風習ー)より
≪ドルイドが第一に教えることは、霊魂の不滅と転生である。
かれらによれば、これこそ死の恐怖をおさえ、勇気を鼓舞するものにほかならない≫
古代ヨーロッパには600もの民族がひしめき合って、戦いに明け暮れたていたという。
霊魂の不滅と転生は純粋な宗教心から生れたものと、私なんぞは思っていたのですが、実はやはり一握りの疑政者により、いいように生み出されたもの。
とは断言できないまでも、なぜかそんな思いがフッとよぎってしまう。
ドルイド十字架(写真インターネット) 巨石文化(当ブログ・ストーンヘンジ)
ストーンヘンジには、ケルト民族によるドルイド教の礼拝堂説というのがある。
毎年夏至のその日にドルイド教徒はここで儀式をするという。見学者その数およそ数万人ともいわれている。
本を読んでいて、勝ったカエサルよりもやられたガリアの方に眼がゆく。 不思議とそんな本だ。
シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』における台詞 ≪ブルータスお前もか!≫で有名。 暗殺されたあのユリウス・カエサルだ。
史上名だたる英雄で、自らの征服事業を自らが記し、書物(第1~8巻)を世に出した事例は他にないという。
ガリアとは古代ローマ人に呼ばれた、今で言うイタリア北部・フランスを中心とした地域だ。
これらの地域以外にもオランダ南部・ベルギー・ライン河以西のドイツ・スイス・エジプト迄支配は及び、古代ローマはこの英雄の活躍で大きく領土を拡大していった。この本は500ページにもわたるが民族の特徴やら戦略等が詳細に書かれており、当時(紀元前58~50迄)の様子が克明に記されている。
民族同士に戦わせる戦法などは、大国が小国民族に代理戦争させる現代のやり方と酷似。
ガリア地域にはケルト人が住んでいたが、ケルト人はローマ人やゲルマン人の支配を受け、民族としての独自性を無くしていき辺境に追いやられ、アイルランド・スコットランド・イギリスのウエールズ地方やコーンウオール地方・フランス北西部のブルターニュにその文化を残しているのみ。
18世紀から19世紀に入りこの民族に対する関心が高まり、オーストリアのハルシュタットやシスのラ・テーヌで相次いで遺跡が発掘される。こうした発見や研究から、古代ギリシャや古代ローマをもっぱらヨーロッパ文明の源流としてきたそれまでの歴史観に修正がせまられ、現在ではケルト文化に対し正当な評価が与えられ、注目もされてきている。
あの松本清張氏もケルト文化に注目し現地に赴き調査した一人である。
その著書『松本清張のケルト紀行』(NHK出版)で。
ローマ軍に蹴散らされたケルト人はヨーロッパのいたるところを漂泊して諸処に定着した。
ヨーロッパの地名でケルト語に因縁のあるものは、どれだけあるかしれない。
ヨーロッパはケルト人が作ったといってもよいと極言する学者すらある。
と記述している。
それにしても古代史は面白い。古代史から見えるものがあるからである。
ガリア(ケルト人)で人間としての価値を認められているのは、二種類の人種だけでそれ以外の民衆は殆ど奴隷。
その二種類の人種とは、ドルイド(祭司)とそれに騎士だけという。
(ドルイド教はキリスト教が普及する以前から彼らが信仰していた)
この著書の中で、こんな言葉をみつけた。 (第6巻 ーガリア人の制度と風習ー)より
≪ドルイドが第一に教えることは、霊魂の不滅と転生である。
かれらによれば、これこそ死の恐怖をおさえ、勇気を鼓舞するものにほかならない≫
古代ヨーロッパには600もの民族がひしめき合って、戦いに明け暮れたていたという。
霊魂の不滅と転生は純粋な宗教心から生れたものと、私なんぞは思っていたのですが、実はやはり一握りの疑政者により、いいように生み出されたもの。
とは断言できないまでも、なぜかそんな思いがフッとよぎってしまう。
ドルイド十字架(写真インターネット) 巨石文化(当ブログ・ストーンヘンジ)
ストーンヘンジには、ケルト民族によるドルイド教の礼拝堂説というのがある。
毎年夏至のその日にドルイド教徒はここで儀式をするという。見学者その数およそ数万人ともいわれている。
本を読んでいて、勝ったカエサルよりもやられたガリアの方に眼がゆく。 不思議とそんな本だ。