スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

戦場の軍法会議

2015年10月30日 | 雑感
【 戦争を知らない子供たち】 どころか 大人たちも その殆どを占める時代になってきた。 

一応大人である私も知らないことばかり。 最近こんな本を読んでみた。
 
NHK 取材班編 『戦場の軍法会議』 ~ 太平洋戦争での激戦地・フィリピンで一体何があったのか。
テレビや映画でしか聞いたことが無い ≪ 戦場で行われた「軍法会議」≫ なるものとは。
 

未公開の資料や関係者(元法務官の証言・遺族たちの戦後他)とその詳細を描いた力作であった。

      
   (NHKスペシャル放映での書籍版)          (NHKスペシャルでの証言インターネットより)

当時、指揮権(統帥権)の下に司法権(軍法会議含む)を位置づけるという司法の独立を犯しかねない
法改正を推し進め(いわゆる武官制導入)、法務官までを軍人とし現地指揮の統制を図ったという。


1921年 陸海軍法会議法制定時は軍人4名と法務官1名が裁くとしていたものが、1942年には法務官も
軍人とするという軍の意向を反映させやすいものに改正された。 


反対の声を上げれば離職を強いられ、一人の兵として戦地へ送り出されるという ⇒ 沈黙 ・議論無。
この辺の経緯は著書に詳細に描かれている。 いつの世も圧力に弱い人間がそこにいた。


著書の中で太平洋戦争末期、『 戦場では兵隊の数が減れば口減らしにもなる 』 との証言は衝撃だった。
 
<戦時逃亡>とは3日以上無断で部隊を離れることを言い、死刑にまでは至らないそうなのですが、
これら食料を探しに部隊から一時でも離れた兵隊に対し、<敵前逃亡>などという罪をなすりつける。

死刑に値しない兵士を死刑にする、死刑にされる、もしくは決死隊に追いやる。
・・・・・ これらが戦場でまかり通っていた、酷いものです、と証言者(元法務官)は語る。


同じ敗戦国であったドイツでは3万人近くもの兵隊が軍法会議で死刑になっていたようだが、
戦後それら逃亡兵とされた兵隊の名誉回復が2009年になされたという。


勿論ナチスドイツとはその質は違っているものの、日本にもその訴えた裁判はあったが全面敗訴。
戦後のこの裁判には当時の元法務官も複数いたといわれる。

戦場で軍法会議を仕切っていた元法務官達は、戦後も日本の法曹界で影響力を保っていたようだ。

またドイツでは一般の戦災者にも軍人同様に補償がされているが、日本では悉く下記の「受忍論」だ。
1987年(昭和62)名古屋空襲の被災者が国に損害賠償を訴えた裁判で次の判決を下したという。

  『 戦争犠牲、戦争損害は、国の非常事態のもとでは、国民の等しく受忍しなければならない
    ところであって、これに対する補償は憲法の全く予想しないところ 』


ここでも日本国得意の ≪ そうていがい ≫ といったところか。


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