(野垂れ死に)を理想とする仲間がいる。哲人山頭火の域ですね。
(自然死)(尊厳死)、、そうこれが出来うることなら人間にとってあるべき姿なのかも知れません。
しかしなかなかそうはいかないのが、この、いや今の世の中。
二年前初めて入院した時、、ああそうか人間ってこうやって病院のベッドで大部分の人が死んでいくのかって、思ったものです。
日本は延命治療がますます盛んで、嗚呼! 理想の自然死は遠のくばかり。
寿命世界一になったが、同時に高齢者の大量死の時代に突入するという。
(年間死亡者のなんと85%が65歳以上の高齢者に集中~ちなみに100年前は、50歳代には半分が亡くなっていた)
医療技術も進み、長生きは人間の悲願であったから死の高齢化は歓迎すべきことではあるのだが、、、、。
カルフォルニア州が、リビングウイルと呼ばれる文書を書いておく権利を認める法律を世界で初めて法制化し、次々と全米でその権利が認められているが、日本は実現に至っていない。
勿論反対意見も多くある。
医療技術・医療費・医師の判断技量・安楽死と尊厳死の違い・看取り・介護問題・終末期の定義・脳死の問題等議論を要する課題も山積みである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/43/48db0b2c5ce0f9a91c165bbb8555e370.jpg)
付録「尊厳死の宣言書(リビングウイル」全文・一般社団法人日本尊厳死協会提供
~ 田中保奈美著『枯れるように死にたい』副題「老衰死ができないわけ」より抜粋。
書いておくことは、意思を表明する力にはなるが、主治医によっては認めないこともありうるということ。
その場合、尊厳死に理解を示す医師を探しておく必要もあるかも知れませんね。
(と上記本に記してありました。~考えさせられる良著でした)
尊厳死反対意見も含め、どんどん議論すればいいと思う。
死ぬことは、生きることなのですから、、、。
西行の歌にこんなのがあります。
『野辺の露 草の葉ごとに すがれるは 世にある人の 命なりけり 』
どんなにすがって必死に落ちまいとしても、、、蒸発もあるしねえ!
西行は病に伏して、その頃めざして断食死を選んだのではと、、山折哲雄氏(宗教哲学者)が記しておりました。
『願わくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの望月のころ』
と詠み、旧暦の2月16日(新暦の3月下旬~4月上旬にあたる)花の盛りの頃、大阪南河内・弘川寺の庵で73歳の往生を遂げたという。
色即是空・空即是色。
この世はあってないようなもの、、、。
でも確かにあるんだなあ! これが!
もうすぐそのきさらぎの望月のころとなる。
(自然死)(尊厳死)、、そうこれが出来うることなら人間にとってあるべき姿なのかも知れません。
しかしなかなかそうはいかないのが、この、いや今の世の中。
二年前初めて入院した時、、ああそうか人間ってこうやって病院のベッドで大部分の人が死んでいくのかって、思ったものです。
日本は延命治療がますます盛んで、嗚呼! 理想の自然死は遠のくばかり。
寿命世界一になったが、同時に高齢者の大量死の時代に突入するという。
(年間死亡者のなんと85%が65歳以上の高齢者に集中~ちなみに100年前は、50歳代には半分が亡くなっていた)
医療技術も進み、長生きは人間の悲願であったから死の高齢化は歓迎すべきことではあるのだが、、、、。
カルフォルニア州が、リビングウイルと呼ばれる文書を書いておく権利を認める法律を世界で初めて法制化し、次々と全米でその権利が認められているが、日本は実現に至っていない。
勿論反対意見も多くある。
医療技術・医療費・医師の判断技量・安楽死と尊厳死の違い・看取り・介護問題・終末期の定義・脳死の問題等議論を要する課題も山積みである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/43/48db0b2c5ce0f9a91c165bbb8555e370.jpg)
付録「尊厳死の宣言書(リビングウイル」全文・一般社団法人日本尊厳死協会提供
~ 田中保奈美著『枯れるように死にたい』副題「老衰死ができないわけ」より抜粋。
書いておくことは、意思を表明する力にはなるが、主治医によっては認めないこともありうるということ。
その場合、尊厳死に理解を示す医師を探しておく必要もあるかも知れませんね。
(と上記本に記してありました。~考えさせられる良著でした)
尊厳死反対意見も含め、どんどん議論すればいいと思う。
死ぬことは、生きることなのですから、、、。
西行の歌にこんなのがあります。
『野辺の露 草の葉ごとに すがれるは 世にある人の 命なりけり 』
どんなにすがって必死に落ちまいとしても、、、蒸発もあるしねえ!
西行は病に伏して、その頃めざして断食死を選んだのではと、、山折哲雄氏(宗教哲学者)が記しておりました。
『願わくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの望月のころ』
と詠み、旧暦の2月16日(新暦の3月下旬~4月上旬にあたる)花の盛りの頃、大阪南河内・弘川寺の庵で73歳の往生を遂げたという。
色即是空・空即是色。
この世はあってないようなもの、、、。
でも確かにあるんだなあ! これが!
もうすぐそのきさらぎの望月のころとなる。
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