無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

全体主義国家への道

2007年09月03日 | Weblog
今日の前載言葉は、下記。

◎歪められた「参加」や「平等」の国家的押しつけは、「自由の絞殺」(最終的には戦争)に通じる。

戦前戦中の隣組・町内会の実態を調べた方の総括の言葉である。

有事立法である「国民保護法」が成立したせいで先日の「防災の日」にはテレビのニュースで全国の防災訓練の模様が長々と放映され、「7000人が参加、安倍総理もヘリコプターで災害訓練を視察した」等々、大々的に報道された。

新潟の2度目の地震の時の報道で、「前回の地震の教訓から『向う三軒両隣り』方式を取り入れた地区では前回とは雲泥の差で情報が早く伝わった。」といったものがあった。

権力者は独裁政治(全体主義社会)に持っていくために、国民が「それはいいことではないか」と思うことを利用する。

私の子供の頃からすでに下記の様なことが言われていました。
近所付き合いが希薄になり都会では隣にどんな人が住んでいるかも知らない状態になった。 そこから都会では孤独死(死んでから何ヶ月も近所の人が誰も気が付かない)といったことも起こり、人情味が薄れ、無くなってしまった世相が生じた。

権力者はこれを利用します。「江戸時代の庶民生活のような『相互扶助』制を再構築し人情味を取り戻そう!」
災害時の『相互扶助訓練』をやることは「国民みんなのため」だと。(「独裁を目論む者は今度はもっと上手になるだろう…」昭和23年の文部省の教科書より)

参考までに話はちょっと横道にそれますが、中国故事の伍子胥のように「死屍に鞭打つ」ことを日本人は嫌います。
権力者はこの日本人感覚を利用します。
例えば極端な例で今回の海外派兵で自衛隊の指揮官が「駆けつけて」「巻き込まれ」同盟軍を助けようと武器を使用して応戦中に戦死したとします。権力者はこういった「殉死」の事実をつかって国民に敵に対する憎悪心・敵愾心を植えつけようとする等、色々と利用します。
その中の一つ、死んだ人を悪く言えない心理を利用した例として、権力者が英雄を「国葬にしよう」といったとします。
あなたは「なにもそこまでしなくても」(殉死者のその行為は税金を使って国葬をするまでの価値は無い)と思ってもそれを言うことは死んだ人の評価を低く見ることですから、その権力者の行為「国葬」に声を大にして反対は出来ないでしょう?
こういった「みんなのためだ」とか国民が反対しづらいことを利用して全体主義を作り出し、国民を戦争へ戦争へと導いて行こうとします。
「駆けつけて」「巻き込まれ」ようと考えていた国会議員をそのまま許しておく行為は、民主主義の終焉に繋がるのですが、マスメディアは本当にどうなっているのでしょうか?(重要なのでまたあとで)

「不正」の存在を前にして黙って見過ごす人は、実はその場にいない(当事者ではないが)「共犯者」にほかならない。(ラスキ)

本題に戻りますが、前にも書いたように、国民保護法は正確には「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」です。国民保護というと「国民のため」の法律に思えますが、法律条項の「国民保護」を「国防」に置き換えて読むと内容が良く理解できます。
この法律で、国は地方自治体やテレビ局等に国防のための計画を作り、「国防」組織を整え、国防訓練をするように義務付けており、地方自治体は、それに基づき住民参加の避難訓練も実施しなければなりません。
国は地方自治体に法律で上記のことを義務付けました。

さてここで思い出して下さい。自民党の憲法改正意見に「憲法を改正し、国民に『国防の義務』をあたえる。」とあり、その具体的な条項案は、新設しようとしている第91条の3(地方自治体の種類等)、第91条の2(地方自治の本旨)に見られる。

この憲法改正案(地方自治の本旨)の内容を解説すると、
住民は地方自治に参加しなければならない。住民は属する地方自治体の役務(国防計画・訓練の実施)を(平等に)分け合って負担する義務を負う。=国防体制の住民組織を作って運営し訓練を実施する義務を負う。

さて、憲法が改正されると、国民保護法で国が地方自治体に『やれ』と命令している法律が、住民に『やれ』ということになり、これで国の命令通りに動く国民の出来上がりです。

もう一度、今日載せた言葉を噛みしめてください。

◎歪められた「参加」や「平等」の国家的押しつけは、「自由の絞殺」(最終的には戦争)に通じる。

参考までに「平等」についていい例があった。

前に新聞に出ていたのだが、2人所帯の老夫婦が、町内会で持ち回りの役割(多少肉体的にキツイ役割)を、しばらくは無理をしてやっていたが年とともにきつくなってきたので町内会長に申し入れて一旦免除してもらったのだが、最近、新しく替わった町内会長から「皆、平等に負担して(持ち回りで)やっているのだから特例は許されない」と免除を取り消され、「出来ないのなら、この町内から出て行け」的にいわれ、矢張りキツくて出来そうもないので途方にくれている、といった記事だった。「平等」の国家的押し付けもこの類のものである。

法律による強制参加と平等の強制が、国民の自由を奪い、右向け右!の国民をつくる。


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