無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

纏める前に投稿・・・その2

2008年10月29日 | Weblog
「かきおろし小説」ならぬ「かきなぐり投稿」である。

前回載せたテレビ報道に対する例の続きです。

先日、ウィークディにやっていた、国会中継での代表質問をずっと車を運転しながらラジオで聴く機会があった。昼なので働いている大部分の選挙権を持った大人(国民)は全くその内容が分からない。
家に帰って昼間のその代表質問と答弁をどの様に報道するか、と思いテレビのニュース番組(NHK始め各局)をみて唖然とした。

年金問題で長妻議員の「サンプル調査を何故やろうとしないのか」との質問場面を映し、舛添厚労相の「やり方が違うだけだ。私は私のやり方でやっている。それが最善だと思っている。」といった毅然とした答弁を写してそれで終わっている。
質疑応答の内容の正否はとも角、政府答弁で一番はっきりと答えた部分である。この場面だけしか見させられない昼働いている大部分の国民には単に「政府と野党のかみ合わない質疑応答」としか理解出来ない。

ずっと聴いた人には政府のやり方で判明した数百人に対する年金保護策に対し、長妻議員が「いつもそうなってしまうのだが、こういった政府のやり方では少し対策が行なわれただけでほとんど何も解決されないまま終わってしまう、サンプル調査をして全体を把握する必要があるのではないか」と政府の「問題を曖昧のまま終わらせようとしている態度」を批判し、サンプル調査はそれほど手間隙掛けずに実施できるのに何故やろうとしないのか!おかしいではないか!(時間稼ぎして国民に忘れさせようとしている、としか思えない)」と迫ったのである。

テレビであの場面だけ見せられ「議論は進展しなかった」「不毛な議論の応酬で終始した」とだけ報道し、その内容を国民に知らせようとしない。

(つい最近の私の日記を再掲)

民主党のトップバッターの長妻昭氏は、社会保険庁による厚生年金の保険料記録の改ざん問題を取り上げ、サンプル調査を実施して全容解明を急ぐよう迫った。公務員の天下り禁止や後期高齢者医療制度の見直し問題なども糾したが、議論は平行線のままで深まらなかった。(以上、日本経済新聞10月7日社説)

これでは国民に考え判断させる機会を全く与えていない。

(人様のブログ借用)
報道各社は国会論戦を詳細かつ正確に伝える必要があるが、多くのメディアが目隠し報道に徹している。…借用終わり

昔の新聞は何面かに渡り国会での質疑を速記調で詳しく掲載していたが、それも載っていなかった。(報道されていないのである。昼間働く国民には「年金」「資料事前検閲」「天下り」「汚染米流通事件」「後期高齢者医療制度」など政府がどう対応していくのか、が全く伝わらない。本当に数え上げたら切りが無い諸問題を一番理解できるのはこの質疑応答なのに。)

例えば、あなたの前でAとBとが口論している。それをあなたは何時間も何も言わずにじっと聴いているとします。AとBはお互い自分の主張を言い合って意見は何時まで経ってもかみ合いません。「議論は平行線で終始」しました。
でも、あなたはそれを聴いていて、自分でどちらの意見に同感するかを判断できます。自分の考えを決められます。

それを、「不毛の論戦で終始した」として終わらせ、国民自身が判断を下すことをさせまいとしているわけです。

テレビもラジオも新聞も、全く同じ報道でした。(マスメディアの大犯罪です)

繰り返すようですが、ネットのビデオで国会の代表質問をじっくり見てください。事前に質問事項を提出し官僚に書いてもらった原稿を棒読みしている大臣、読み間違えて訂正しながらつっかえつっかえ読む大臣。自民党・公明党の麻生内閣PRの為の質問。民主党長妻氏の質問とそれに対する閣僚の答弁。これらはニュース・報道番組で時間を割いて全て国民に提示すべきだ。その解説をするべきだ。

本当に、日経社説等のマスメディア各社が報道するように、議論は平行線のままで深まらなかったのか?

多くのマスメディアの徴候であるが「議論は深まらなかったから聞いても仕方ありませんよ」と勝手に決め付けて国民の目から遠ざけようとせずに、昼間働いて国会質疑を聞けなかった人に開示して国民皆んなに判断させるべきだ。

それがマスメディアの使命である。…前回書いた日記を転用して書いた。

余談ですが、最近の国会議員の話し方には「気持の悪い」言い方が目立つ。「〇〇先生がおっしゃられておられるように…」程度ならまだましで、あたかも首相が天皇陛下ででもあるような尊敬語・敬譲語を使っている場面を良く見聞きする。国会の議論の場で不要なジャべり方であるし、感情語も多い。政治に感情を込めた言葉は要らない。「凛とした態度」で再可決する。「勇断を以って」決行する。「崇高な使命をもって」インド洋給油活動を続ける自衛隊員。等々


(天木直人のブログ引用)~国会審議を正しく報道・解説しない政治メディアの業悪

まともに国会審議を聞いている一般国民は少ないに違いない。汗水たらして働いている国民にはそんな暇はないからだ。

だからどうしても国民が国会審議を知るのは「報道」に頼ることになる。

しかし、その政治報道が、国会審議を正しく報道・解説していないとすればどうなるか。

確かに、メディアといえども、時間的・スペース的制約によって、国会審議のすべてを報道する余裕はない。さわりの部分だけを報道するしかない。

しかし、その報道されるさわりの部分が、故意にせよ、報道関係者の眼力のなさにせよ、国民に正しく報道されなければ、国民はいつまでたっても国会審議を正しく評価できないままで終わってしまう。

このような報道が繰返されてきたからこそ、この国の政治意識が低いままに放置されてきたのだ。

国会審議をメディアが報ずる時の決まり文句は「すれ違い」「不毛」「平行線」などと決まっている。

そしてそれは、所信表明演説や、代表質問についてはその通りである。
あれはあらかじめ官僚が書いた演説の読み上げである。
野党の質問に答える必要のない一方通行の発言である。まったく無意味だ。

10月7日の予算委員会を政治報道や政治解説者が正しく報道し、解説していれば、政治的に中立的な一般国民は、誰が見ても自民・公明党の対応はいかさまだと思うに違いない。もはやこれ以上自公政権が続いてもだめだと思うに違いない。

問題は政治報道がそのような報道をしないところにある。

どちらもどっちだ、議論が深まらない、という書き方でお茶を濁して終わってしまう。

これはフェアではない。

この国の政治を国民から遠ざけてきたのは、この国の政治報道と政治評論家の責任である。…以上、引用終り

(引用その2)
国会で代表質問が始まった。

それをメディアはワンパターンの表現で報じている。

「麻生総理の所信表明演説はまるで野党に対する質問だ」

「小沢民主党代表の答弁は麻生総理の質問に答えていない。あたかも所信表明演説のようだ」

「議論は深まっていない」

「すれ違いの不毛な議論だ」 などなど。


よくもこんな見当違いの報道ができたものだ。

ならば聞く。

報道関係者は、官僚が書いた文章を読み上げるだけのこれまでの答弁をどう評価していたのか。…引用その2終わり

M:麻生首相の所信表明と小沢民主党代表の代表質問の内容を比較しているブログがあるので、参考に比較してもらえばどちらが具体的政策を打ち出しているかが歴然としている。

また途中になったが、今日はここまで…またね。