「選良」は戦前、国民から選ばれた代議士(国会議員)を指して用いられた語で、意味は「選ばれた良心」のこと。
“選ばれた良心”は憲法を守り、国民の福利の為に権力を行使する。国民は憲法の下で成立した法律を守って暮らしていく。
今の国(政府)を動かしている人たちから“選ばれた良心”を見つけることは困難だ。余りにも長い間、民主主義の基本原則“政権交代”が無かったからである。
人間も新陳代謝が無ければ体が腐って滅びてしまう。
考えてみるがいい、A政党とB政党が拮抗して政権をほぼ交代で担当している場合、例えばA政党が政権をとって4年間政治を行い、B政党に政権が変わったとする。担当したB政党がA政党担当時の不正を見つけたら当然のように国民に開示する。「A政党はこんなに国民にとって悪いことを隠してやっていたのだぞ」と…。
すると、国民の支持を得られなくなったA政党は次回の選挙で政権を取れないどころか国民に選ばれなくなり、政党自体も存続できなくなる。
従って、政権交代が正常な感覚で行われている日本以外の民主主義国では、どの政党も国民の方を向いた政治を心掛けなければ、生き残れないことになる。
政府(政権政党)は国民の方を向いた政治に専念する。
だが、政権交代が無いと国民の方を向く必要が無くなり、甘い汁を吸える体制が出来上がる。それは政官民の癒着の構造「魚心あれば水心」であり「接待は受けたが便宜を図ってくれと言われたことはないし、便宜を図ったことも無い」といった状態の中で「阿吽の呼吸」で汚職が進行する。
テレビ番組のように「お代官様、○○の件は良しなに(お取り計らい願います)」と言ってお代官様を接待し袖の下を渡すような事は、テレビの中だけであり現実的には「言わ(れ)ずとも分かっておるわ、越後屋」なのである。
私も昔、業者から接待されたが、業者の意図は分かっていた。しかし、接待の場ではお互いに一言もその話題に触れてはいない。
接待を受けること自体が、業者の意図を認めたことになるのである。
山田洋行から接待を受ける、山田洋行は見積りを改竄し利益を上乗せする、1件で9000万円も通常の利益に上乗せして国民の税金を詐収する、役人は見てみない振りをするだけで“いい思い”が出来る。自分の懐が痛む訳ではない。
「接待は受けたが、便宜は図っていない」…民間企業の常識では考えられないことである。
例を挙げていったら切が無いので止めるが、今、話題になっては国民の頭からすぐに消えていってしまう政治の悪しき出来事は、全て「政権交代が無かった」ことに起因する。(マスメディアが国民が忘れるように報道を止めてしまう)
権力を集中しないように分散し(三権分立等)、権力が長期化しないように任期と同一人物の再選制限をつけている民主主義の原理が機能していないことが今の日本の病症を悪化させている。
それなのに、マスメディアはそれを(民主主義・政治の浄化には政権交代が必要だということを)国民に啓発することなく麻生VS小沢、自民党VS民主党とか、民主党に政権能力はない、小沢の策略、民主党のマニフェストの財源確保は本当に出来るのか?等々…少しも「政権交代の無い異常な日本」に言及しない。
「再可決」などと言う民主主義を破壊する行為を平気で行う長期集中政権政党。
余談です。ナショナリストを「国粋主義者」と訳した私の日記に「国粋主義者ではない、民族主義者だ」とのコメントが載っていた。
そこにはアメリカやフランスがどのようなニュアンスでそう言っているかの検証はない。 欧米で言った本人がナショナリストを民族主義者と訳してください、といっているのなら別であるが、そうでない限り「けんか腰の民族主義者」と柔らかく訳して日本国民に報道することが、日本国民を島国根性の井の中の蛙にしてしまっていることを感じてほしいものだと思う。
ナショナリスト(nationalist)を辞書で引くと「国家主義者」「民族主義者」「国粋主義者」「愛国主義者」と言った訳が載っており「国粋主義者ではない」といわれる筋合いは無いのだが…。
さらに日本人の印象は柔らかい訳語の「民族主義者」であるが、海外ではニュアンスがちょっと違う。
海外のナショナリストのニュアンス例で一番分かりやすいのはナチス・ドイツのヒトラーである。
民族主義者とは、自らの民族を政治・経済・文化などの主体と考える者で、自民族が「価値観の至上」とする思想の持ち主のこと。「民族自決の主張をともなうこともあるが、一方で分離主義など、戦争・紛争の要因ともなる」のである。
アメリカやフランスの良識とされる権威あるトップ紙が、麻生首相を「好戦的なヒトラーのような人物」と評しているのである。決して「報道の自由の世界ランキング51番目」の日本の三流週間紙が載せる程度の、いい加減なゴシップ記事ではないのである。…以上、余談おわり
独裁長期政権政党の例が1968年1月31日の国会の質疑の場にみられたので載せておく。
共産党の質問「国の防衛とは、自国の独立と主権を他国の侵略や圧迫から守り、国民生活の安全と平和を守ることだ。政府は事実上日本の独立と主権を(アメリカに)売り渡し、アメリカのベトナムに対する侵略戦争に全面的に協力しているが…(どう考えているのか!)」
当時の首相「まことに残念ながら、人生観・世界観を異にしているので議論がどうしても食い合わない。その点をまず申し上げておく。私は、こんにちの日本のあり方、こんにち私が採っている政策が最良だと考えている。
従って、共産党から話になったような点については、私(権力者)はひとつも賛成するわけにはいかない。何も答えないことで答弁とする。」
これも圧倒的多数を占める自民党の40年前の権力のトップの座にいる「総理大臣」の態度である。
権力を握っている者の議会での「私のやっていることが最高であって、従って、君の(少数弱者の)意見には賛成できない」といった「無視」の形態は“独裁の理論”である。民主主義の理論はそこには存在しない。
この時から、40年経って国会の一会期で教育基本法改正等の17件もの法律を強行採決で通し、参議院で民主党が多数化し国民の75%前後が反対しているガソリンの暫定税やテロ特措法を否決すると、圧倒的多数を占める衆院で「再可決」し、総理の問責決議案の可決や裁判所の違憲判決を無視するといった横暴を平然と行なってきた。それが参院の民主党多数により権力者の思うように出来なくなったら「民主党が話し合いに応じない」(今まで野党との話し合いを無視し続けてきたのは?強行採決とは話し合いの無視の帰結である)とか、財源をどうすると(本来は国民の家計を預かっていた政権政党が860兆円も赤字を出してしまったことこそ責められるべきなのに)民主党を責めている。
権力者のルール違反は目に余るものがある。日本政府は無法地帯になってしまった。
トップが良心に従わず、ルールを守らなければ、下々も守らない。下々の者は、むしろ良心に従おうとしたら、その社会で生き残れないこともありうるのである。
ここまで来てもいまだに自民党支持が多く、民主党には政権担当能力が無い、と考える国民が多いのは独裁権力に屈服したマスメディアの報道のせいだ、というところで、今日はここまで…またね。
前にも言ったが私は民主党が好きではないが、「政権交代」が無いと本当に日本はダメになってしまう。
“選ばれた良心”は憲法を守り、国民の福利の為に権力を行使する。国民は憲法の下で成立した法律を守って暮らしていく。
今の国(政府)を動かしている人たちから“選ばれた良心”を見つけることは困難だ。余りにも長い間、民主主義の基本原則“政権交代”が無かったからである。
人間も新陳代謝が無ければ体が腐って滅びてしまう。
考えてみるがいい、A政党とB政党が拮抗して政権をほぼ交代で担当している場合、例えばA政党が政権をとって4年間政治を行い、B政党に政権が変わったとする。担当したB政党がA政党担当時の不正を見つけたら当然のように国民に開示する。「A政党はこんなに国民にとって悪いことを隠してやっていたのだぞ」と…。
すると、国民の支持を得られなくなったA政党は次回の選挙で政権を取れないどころか国民に選ばれなくなり、政党自体も存続できなくなる。
従って、政権交代が正常な感覚で行われている日本以外の民主主義国では、どの政党も国民の方を向いた政治を心掛けなければ、生き残れないことになる。
政府(政権政党)は国民の方を向いた政治に専念する。
だが、政権交代が無いと国民の方を向く必要が無くなり、甘い汁を吸える体制が出来上がる。それは政官民の癒着の構造「魚心あれば水心」であり「接待は受けたが便宜を図ってくれと言われたことはないし、便宜を図ったことも無い」といった状態の中で「阿吽の呼吸」で汚職が進行する。
テレビ番組のように「お代官様、○○の件は良しなに(お取り計らい願います)」と言ってお代官様を接待し袖の下を渡すような事は、テレビの中だけであり現実的には「言わ(れ)ずとも分かっておるわ、越後屋」なのである。
私も昔、業者から接待されたが、業者の意図は分かっていた。しかし、接待の場ではお互いに一言もその話題に触れてはいない。
接待を受けること自体が、業者の意図を認めたことになるのである。
山田洋行から接待を受ける、山田洋行は見積りを改竄し利益を上乗せする、1件で9000万円も通常の利益に上乗せして国民の税金を詐収する、役人は見てみない振りをするだけで“いい思い”が出来る。自分の懐が痛む訳ではない。
「接待は受けたが、便宜は図っていない」…民間企業の常識では考えられないことである。
例を挙げていったら切が無いので止めるが、今、話題になっては国民の頭からすぐに消えていってしまう政治の悪しき出来事は、全て「政権交代が無かった」ことに起因する。(マスメディアが国民が忘れるように報道を止めてしまう)
権力を集中しないように分散し(三権分立等)、権力が長期化しないように任期と同一人物の再選制限をつけている民主主義の原理が機能していないことが今の日本の病症を悪化させている。
それなのに、マスメディアはそれを(民主主義・政治の浄化には政権交代が必要だということを)国民に啓発することなく麻生VS小沢、自民党VS民主党とか、民主党に政権能力はない、小沢の策略、民主党のマニフェストの財源確保は本当に出来るのか?等々…少しも「政権交代の無い異常な日本」に言及しない。
「再可決」などと言う民主主義を破壊する行為を平気で行う長期集中政権政党。
余談です。ナショナリストを「国粋主義者」と訳した私の日記に「国粋主義者ではない、民族主義者だ」とのコメントが載っていた。
そこにはアメリカやフランスがどのようなニュアンスでそう言っているかの検証はない。 欧米で言った本人がナショナリストを民族主義者と訳してください、といっているのなら別であるが、そうでない限り「けんか腰の民族主義者」と柔らかく訳して日本国民に報道することが、日本国民を島国根性の井の中の蛙にしてしまっていることを感じてほしいものだと思う。
ナショナリスト(nationalist)を辞書で引くと「国家主義者」「民族主義者」「国粋主義者」「愛国主義者」と言った訳が載っており「国粋主義者ではない」といわれる筋合いは無いのだが…。
さらに日本人の印象は柔らかい訳語の「民族主義者」であるが、海外ではニュアンスがちょっと違う。
海外のナショナリストのニュアンス例で一番分かりやすいのはナチス・ドイツのヒトラーである。
民族主義者とは、自らの民族を政治・経済・文化などの主体と考える者で、自民族が「価値観の至上」とする思想の持ち主のこと。「民族自決の主張をともなうこともあるが、一方で分離主義など、戦争・紛争の要因ともなる」のである。
アメリカやフランスの良識とされる権威あるトップ紙が、麻生首相を「好戦的なヒトラーのような人物」と評しているのである。決して「報道の自由の世界ランキング51番目」の日本の三流週間紙が載せる程度の、いい加減なゴシップ記事ではないのである。…以上、余談おわり
独裁長期政権政党の例が1968年1月31日の国会の質疑の場にみられたので載せておく。
共産党の質問「国の防衛とは、自国の独立と主権を他国の侵略や圧迫から守り、国民生活の安全と平和を守ることだ。政府は事実上日本の独立と主権を(アメリカに)売り渡し、アメリカのベトナムに対する侵略戦争に全面的に協力しているが…(どう考えているのか!)」
当時の首相「まことに残念ながら、人生観・世界観を異にしているので議論がどうしても食い合わない。その点をまず申し上げておく。私は、こんにちの日本のあり方、こんにち私が採っている政策が最良だと考えている。
従って、共産党から話になったような点については、私(権力者)はひとつも賛成するわけにはいかない。何も答えないことで答弁とする。」
これも圧倒的多数を占める自民党の40年前の権力のトップの座にいる「総理大臣」の態度である。
権力を握っている者の議会での「私のやっていることが最高であって、従って、君の(少数弱者の)意見には賛成できない」といった「無視」の形態は“独裁の理論”である。民主主義の理論はそこには存在しない。
この時から、40年経って国会の一会期で教育基本法改正等の17件もの法律を強行採決で通し、参議院で民主党が多数化し国民の75%前後が反対しているガソリンの暫定税やテロ特措法を否決すると、圧倒的多数を占める衆院で「再可決」し、総理の問責決議案の可決や裁判所の違憲判決を無視するといった横暴を平然と行なってきた。それが参院の民主党多数により権力者の思うように出来なくなったら「民主党が話し合いに応じない」(今まで野党との話し合いを無視し続けてきたのは?強行採決とは話し合いの無視の帰結である)とか、財源をどうすると(本来は国民の家計を預かっていた政権政党が860兆円も赤字を出してしまったことこそ責められるべきなのに)民主党を責めている。
権力者のルール違反は目に余るものがある。日本政府は無法地帯になってしまった。
トップが良心に従わず、ルールを守らなければ、下々も守らない。下々の者は、むしろ良心に従おうとしたら、その社会で生き残れないこともありうるのである。
ここまで来てもいまだに自民党支持が多く、民主党には政権担当能力が無い、と考える国民が多いのは独裁権力に屈服したマスメディアの報道のせいだ、というところで、今日はここまで…またね。
前にも言ったが私は民主党が好きではないが、「政権交代」が無いと本当に日本はダメになってしまう。