無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

馬鹿にされ続ける国民

2007年12月17日 | Weblog
組織内で決められた事を守らない=ルール違反を見逃していると、その組織では、すぐに「そのルールは守らなくてもいいんだ」との雰囲気が蔓延し、どんどん悪い方向に向いていく。ましてや、組織のトップ・上司が規律を守らないと下・部下のモラルは自然と低下する。自分だけ何で規律を守らなければならないのか、馬鹿らしい、やめた!である。
工場の安全にしても、職長が作業服の袖のボタンをとめていないような職場では安全意識は生まれてこない。職長の上司がそれを見かけても注意しないでいると、てきめんに職場のモラルは低下する。(私の体験談)

まさに、「不正の存在を前にして黙って見過ごす人は、実はその場にいない(当事者ではないが)共犯者にほかならない。」(ラスキ)のである。

今の日本国では、国のトップ(政権政党)のルールを無視した・ルールを破る行為により、日本国中に精神の荒廃・疲弊・腐敗が蔓延してしまっている。

この不正を国民の前に晒さないで、むしろ隠蔽に協力しているのが今のマスメディアである。

◎国民にとって重要な問題に対し、国民に判断材料を提供することこそマスメディアの使命です。

◎本来のマスコミの基本姿勢は、権力者を厳しく監視し、常に真実を追求し報道することである。

政府の広報機関になり下がったマスメディアは国民にスリコミを行い、政府はナシクズシ的に国政を私物化し国民を隷属させようとしている=愚民化。

少し、例を挙げておく。

(1)「非核三原則」(核を持たず、つくらず、持ち込まず)を切り崩し。

昭和63年アメリカが横須賀基地に核搭載艦(核ミサイル発射装置を備えた核搭載可能艦)を配備するといってきた時、横須賀市は“持ち込まず”に違反する、として政府(外務省)に「核兵器の持込はないか、米国に問い合わせたか」と質問。
外務省は「(安保で)米海軍の個々の艦船の装備については議論しないことにしており、当方(日本)としては、同艦が、いかなる武器を有するか等につき確認する立場にない。」とし「核兵器の持込については事前協議制があり、米側から事前協議がない限り、核の持込はないと確信する。したがって(アメリカに)確認する考えはない。」と解答している。核ミサイルの発射実験をしている核搭載可能艦が核を積まずに配備されることなど常識でありえないことを政府は「アメリカとは信頼関係の上に成り立っており、アメリカが事前協議を言ってこないのであれば、核持込はないと確信する」(原潜寄港反対時にもこの理屈が使われ、反対する市民に対し“何を馬鹿なことを言っているのか”と馬鹿にした態度・発言をしていた。)

この年の10月、アメリカのラスク元国防長官等によって、米核搭載原潜の日本寄港は、日米間の「暗黙の了解」になっていたことが明らかになった。

これに対し政府は「(1)そのような事実はない。(2)(ラスク元国防長官の)私人としての発言なので政府としては米側に照会する考えはない。」としている。

民主主義の国アメリカでは公文書は公開されることになっている。ケネディ暗殺についての捜査報告文書は2039年になるが、(事件の関係者が亡くなった後になり、私も内容を知ることは無理だが)公開される。

従って、日本の若泉敬(佐藤首相の代理人)の「沖縄の日本返還後も、核兵器の持込みを容認する秘密協定が日米間で取り決められていた」という発言(著書)を日本政府は、一貫して否定してきたのだが、機密指定を解除された米国の公文書によって、秘密協定が結ばれていたことが本年10月に明らかにされた。

アメリカ側の「政府公文書」によって白日の下に晒された政府の国家犯罪の罪状認知を、それ以上追及することも出来ない記者たちを嘗め切って、福田首相「今まで何度も言われてきたが、わが国としてそれを認めていない」、町村官房長官「米国は米国なりの(情報開示の)ルールや考え方があるのだろうから、わが方からアメリカに“これはどうだ”、とやるつもりはない(この覚書の真偽追求をするつもりはない)」とまともな回答を拒否しただけである。日本国の基本方針・憲法(日本国のルール)を国民の代表者が破っているのに、マスメディアは沈黙してしまっている。

(他のブログ引用)
40年間にわたり国民を欺き続けてきた政府の犯罪行為は、過去の行為ではない。米国の核兵器を、今も、日本の領土に日常的に持ち込むことを許していると言う、現実の犯罪行為なのである。

しかし、その記者会見の場には、国民に虚言を弄し繰り返し真実を隠し続ける権力者どもに対し、国民の為に真実を明らかにしようと気迫ある質問で追及する記者たちの姿はない。

国民を愚弄する福田と町村の発言を、芸能人に質問するリポーター記者のような気楽さで、受け賜っている大手新聞社やメディアの記者の、腑抜けた姿があるだけだ。

もはや逃れることが出来ないはずの国家犯罪を、最後まで追及するのが大新聞やマスメディアのジャーナリストたちの、使命と役割ではないのか!!…引用終り

この際、「非核三原則」が正しいか正しくないか、は、置いて考えてもらいたい。
私は、政府のやり方は「既成事実を作って国民を“仕方がないや”の気持にさせて『なし崩し的に』ルールを反故にしていく」やり方だ、と前に書いたが、国民の非核三原則の「持ち込ませず」は実情に合わないと考えて黙って容認していると、次に「もたず」「つくらず」も「核を持つことは憲法に違反しない」といってナシクズシに日本国の基本方針を崩されて…。
即ち、国家の決めたルール(憲法等)をトップが守らないと国全体が坂道を転がり落ちるように奈落の底に転落していくことになる。モラルも何も無くなってしまう。

(もう少し他のブログを引用)

40年間、国民を騙し続ける日本政府の国家犯罪

この核持込み密約を、国民を欺いて受け継いできた国家権力は、一方で、国民に対する核持込み受容の世論操作を画策していた。

現首相福田は、小泉内閣の官房長官時、2002年5月31日、記者に対するオフレコ発言で、「非核三原則は、国際情勢が変化したり、国民世論が核を持つべきだとなれば、変わることが有るかもしれない」と主張、内外に報道され、小泉内閣による「政策転換」として非難が沸きあがると、6月3日の記者会見で「(そんな発言を)言うはずがない」と否定してみせ、小泉も福田の発言を「別にどうと言うことはない」と、擁護したのである。

2006年10月9日の北朝鮮核実験にかこつけて、麻布外相・中川政調会長 など安倍政権と、自民幹部の「核武装発言」もそうである。

人類史上初めて、二度に亘る、核爆弾による無差別大量虐殺によって、二十五万以上の国民の犠牲を経験した日本国民こそ、この兵器の力が持つ、とてつもない非人道性を糾弾し、この核兵器を、持たざる国への最大の力の支配と恫喝の手段とする国家の非道理を、世界の民衆の先頭に立って、批判する権利と義務を行使しなければならないはずだ。

日本の国家権力が、「大量破壊兵器」の存在をでっち上げ、国家への侵略と破壊を正当化する米国の政策に同調し,非核武装国を脅す手段として、常に核兵器攻撃を準備すると言う、不条理極まる米国の核政策を批判せず、あまつさえ、その核持込みを許容してきたことは、日本の民衆のみならず極東と世界の民衆に対して、万死に値する行為と言わねばならぬ。…引用終り

国も、社会も、会社も、家族も、悪いことを何も言わずに放って置くと、どんどん悪いことが蔓延していく。「政府がルールを守ること」、これが今、国民が国家に対し一番要求しなければならないことだ。

日本は憲法とこの非核三原則により、世界から「平和で安全な国、日本」と、思われている。

この日本国のアイデンティティを政府は今、ぶっ壊そうとしている。いや、もう世界は日本をアメリカの「不沈母艦」「戦争協力国」と見る目に変ってしまっている。「日本はアメリカの51番目の州」である。


(2)年金に対する政府の発言

この件に関しては「きっこの日記」が言いたいことを怪傑ズバットなのだが、(古い、それにきっこさんに似てきたかな)転載禁止なので、自分なりに書き換えて盗用する。

安倍前首相は「年金問題に関しましては、私の内閣で徹底的に調べ上げ、最後の1人まで確実にお支払いするということを国民の皆様にお約束いたします!」と連呼、できるはずがないと批判する野党を「批判するだけで何もしない野党、自民党はやるといったことはやる責任政党」と野党を馬鹿にして見下した態度をとっていた事は記憶に新しい。
舛添労厚相も選挙の時に「最後の1人まで確実にお支払いするということを公約とします」といって自民党から立候補し当選した人である。

しかし、2000万件近くがどうしようもない、と分かり「1年間」どころか、1年たってやっと“ミスター年金”がすぐやれといっていた国民一人ひとりに照会する方策をとろうとしている。

ここに来て、総理大臣をはじめとして、自民党議員の「無責任発言」や「他人事発言」の連発が凄まじくなって来た。

15日のTBSの報道特番「筑紫哲也 安住紳一郎の報道2007」に生出演した福田首相は、全国の国民を唖然とさせた“公約違反と言うほど大ゲサなものかな?”
という発言に対して問われると「(公約だと言ったのは安部さんや舛添さんであって)私が言ったわけじゃありませんから」と言い、この前置きのあと「でも今は総理大臣という立場なんだから、(自分の言ったことでなくとも)一応は謝らなくちゃね」と続けたのだ。これが自民党総裁・内閣総理大臣の発言か?
前回書いたように、国家による国民の年金詐欺事件を解決出来ないことが明らかになったことに対し(1年でと他の人が公約したことだから)国民に対し一応謝らなくちゃね、と他人事発言することは国民を“馬鹿にしくさった”態度なのだが、愚民はそれに気が付かない。

16日のテレビ朝日の「サンデースクランブル」に生出演した自民党の平沢勝栄氏は「最後の1人まで絶対に年金を支払う」といった夏の選挙の時の公約を自民党が破ったことについて質問されると「自分が就職する時に偽名を使うような人だっているのに、(そんな世の中で)最後の1人までなんて調べられるわけないでしょ? そんなこと最初から分かってるのに、(いくら自民党が「最後の1人まで」と言ったからって)そのまま信じるほうがトンチンカンなんですよ!

(済みません、ここからは、きっこさん口調が合いますので引用します)
ほほ~! 当時の総理大臣だったアベシンゾーが、「最後の1人まで確実にお支払いするということを国民の皆様にお約束いたちます!」って連呼して、マスゾエちゃんが、「最後の1人まで確実にお支払いするということを公約とします」って断言してたけど、その言葉を信じて自民党に投票した人たちに謝罪するどころか、その言葉を信じた国民のほうが「トンチンカン」だって言うの?
やっぱ、広域ホニャララ団とベッタリ癒着して、パチンコ利権で裏金をタンマリともらってたオッサンの基本理念は、「騙されるほうが悪い」ってことなんだね。よ~く分かったよ。

‥‥そんなワケで、あたしは、自民党って、総理大臣を筆頭に、閣僚も議員もドイツもコイツも国民のことをナメまくってると思う。

できもしないことを何の根拠もなく「公約」に掲げて、有権者を騙して投票させるなんて、詐欺以外のナニモノでもない。

その上、まるで公約を信じた国民のほうに責任があるかのようなヒラキ直り発言を連発するとは、恐れ入っちゃう。

「すべての加入者に1人残らず支払うのが当たり前」のハズの国民年金なのに、それが5000万件も宙に浮いてて、そのうちの2000万件近くは「照会不可能」だとぬかし、現在、支払われてる人たちの中にも、正規の金額よりも少なくしか支払われてない人たちが数え切れないほどいる。

それなのに、今度は、キチンと国民健康保険料を支払い続けてる国民に対して、「デブは自己責任だから医療費を10%アップ」だなんて、ここまでメチャクチャになって来ると、「友人の友人はアルカイダ」ってよりも、自民党の議員自体が、国民の生活を危機にさらすアルカイダみたいなもんだと思う今日この頃なのだ。…引用終り

次回に続きます。