楽家

2000年12月14日 | 暮らし

 「らくや」は飲み屋です。
 カウンターに9人、奥のテーブルに4人、座敷に6人ほど坐ると満員という
居酒屋です。
 初めてその店に行ったのは、5月20日(おれの誕生日)だった。
 所沢で友人たちと飲み、新所沢に帰ってきて、そのまま家に帰るのが寂しく
飲み足りない感じで、駅のまわりを徘徊したあげくにたどり着いた飲み屋だっ
た。
 そのとき、テレビでは井上陽水のライブ(ビデオ)をやっていた。テレビの
ハコは、60年代のもので、おそらくブラウン管を新しく入れ替えたものだろ
うと思う。
 そのときのおれのこころに陽水はぴったりだった。なんといっても、陽水は、
おれの一番好きな“歌うたい芸人”だ。「歌手」とか「アーティスト」とかい
いたくない。陽水は、歌をうたう芸人だ。
 楽家のマスターというのかおやじは、おもしろい人だ。おれとおなじかちょ
っと年上という感じです。長い間、新宿で水商売をしていて、昨年、新所沢に
店を開いた。
 この飲み屋ができたのは知っていたが、なかなか入る気がしなかった。しか
し、こうして入ってみるとよかった。
 それから週に1度ぐらい行くようになった。
 なにしろ一番気に入っているのが料理だ。すべての料理がうまい。
 おれは、女房がフラメンコの練習日か残業で遅くなるときに、楽家に行く。
残業して家に帰ってきて、晩飯を自分で作りたくないときに行く。おとといも
女房のフラメンコの練習日だった。
 家に8時頃帰ってから、楽家に行った。カウンターが満席で、奥のトイレの
横のテーブルに案内された。そのときのおれにはちょうどよかった。ちょっと
人と話したくないこころ持ちだった。おれは、ボトルキープしておいた日本酒
の柏露をちびりちびりやりながら、文庫本を読んだ。大沢在昌の「冬の保安官」
(角川文庫)だ。その中の「カモ」という短編を昼休みに途中まで読んでいて、
続きが読みたかったのだ。
 その小説を読み終えた頃、カウンターの席が空いて、ママが「こっちにきて
話そうよ」という。おれは、その夜はこのまま本を読んでいたい気分だったが、
カウンターの空いた席に行った。
 坐った席の隣の男が、すぐ話しかけてきた。話をまとめると、2回離婚をし
ていて、今は、晩飯を食うために毎晩ここに来ているという。2度目に別れた
女性とのあいだに生まれた子供とスキーに行くのが楽しみだ、といっていた。
最初の女性とのあいだには、子供が3人いるという。双子もいるのだそうだが、
離婚してからその子たちとは会ってないという。
 彼が帰ってからおれの隣に坐った人がよかった。小説の話になり、誰が好き
か、ということになった。おれは、山本周五郎だというと、「おれもそうだ」
とその人がいった。
 さあーそれからが楽しかった。周五郎の小説のことを一つひとつ話し始まっ
た。あれがどうのこれがどうの、今月曜日の夜NHKでやっている「柳橋慕情」
の話になり、あんなのはダメだ、やはり小説を読まなくてはつまらない、なん
てことになった。
 ふたりの結論は、「青べか物語」はいい、ということだった。「蒸気河岸の
先生」「ちょう」なんてこと大声で話し、周五郎のエッセイで、何年かたって
小説のモデルの浦安に行ったことを書いているが、そのエッセイでも盛り上が
った。
 周五郎以外では誰がいい、なんてことになり、太宰、安吾、檀、なんていう
人から始まり、三島、吉行淳之介、池波正太郎、藤沢周平、…。そのうち、輪
をかけて周五郎の好きな老人が文庫本片手にやってきて、収拾がつかなくなっ
た。
 おれは、すっかり酩酊した。

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2000年12月14日 | Weblog

「らくや」は飲み屋です。
 カウンターに9人、奥のテーブルに4人、座敷に6人ほど坐ると満員という
居酒屋です。
 初めてその店に行ったのは、5月20日(おれの誕生日)だった。
 所沢で友人たちと飲み、新所沢に帰ってきて、そのまま家に帰るのが寂しく
飲み足りない感じで、駅のまわりを徘徊したあげくにたどり着いた飲み屋だっ
た。
 そのとき、テレビでは井上陽水のライブ(ビデオ)をやっていた。テレビの
ハコは、60年代のもので、おそらくブラウン管を新しく入れ替えたものだろ
うと思う。
 そのときのおれのこころに陽水はぴったりだった。なんといっても、陽水は、
おれの一番好きな“歌うたい芸人”だ。「歌手」とか「アーティスト」とかい
いたくない。陽水は、歌をうたう芸人だ。
 楽家のマスターというのかおやじは、おもしろい人だ。おれとおなじかちょ
っと年上という感じです。長い間、新宿で水商売をしていて、昨年、新所沢に
店を開いた。
 この飲み屋ができたのは知っていたが、なかなか入る気がしなかった。しか
し、こうして入ってみるとよかった。
 それから週に1度ぐらい行くようになった。
 なにしろ一番気に入っているのが料理だ。すべての料理がうまい。
 おれは、女房がフラメンコの練習日か残業で遅くなるときに、楽家に行く。
残業して家に帰ってきて、晩飯を自分で作りたくないときに行く。おとといも
女房のフラメンコの練習日だった。
 家に8時頃帰ってから、楽家に行った。カウンターが満席で、奥のトイレの
横のテーブルに案内された。そのときのおれにはちょうどよかった。ちょっと
人と話したくないこころ持ちだった。おれは、ボトルキープしておいた日本酒
の柏露をちびりちびりやりながら、文庫本を読んだ。大沢在昌の「冬の保安官」
(角川文庫)だ。その中の「カモ」という短編を昼休みに途中まで読んでいて、
続きが読みたかったのだ。
 その小説を読み終えた頃、カウンターの席が空いて、ママが「こっちにきて
話そうよ」という。おれは、その夜はこのまま本を読んでいたい気分だったが、
カウンターの空いた席に行った。
 坐った席の隣の男が、すぐ話しかけてきた。話をまとめると、2回離婚をし
ていて、今は、晩飯を食うために毎晩ここに来ているという。2度目に別れた
女性とのあいだに生まれた子供とスキーに行くのが楽しみだ、といっていた。
最初の女性とのあいだには、子供が3人いるという。双子もいるのだそうだが、
離婚してからその子たちとは会ってないという。
 彼が帰ってからおれの隣に坐った人がよかった。小説の話になり、誰が好き
か、ということになった。おれは、山本周五郎だというと、「おれもそうだ」
とその人がいった。
 さあーそれからが楽しかった。周五郎の小説のことを一つひとつ話し始まっ
た。あれがどうのこれがどうの、今月曜日の夜NHKでやっている「柳橋慕情」
の話になり、あんなのはダメだ、やはり小説を読まなくてはつまらない、なん
てことになった。
 ふたりの結論は、「青べか物語」はいい、ということだった。「蒸気河岸の
先生」「ちょう」なんてこと大声で話し、周五郎のエッセイで、何年かたって
小説のモデルの浦安に行ったことを書いているが、そのエッセイでも盛り上が
った。
 周五郎以外では誰がいい、なんてことになり、太宰、安吾、檀、なんていう
人から始まり、三島、吉行淳之介、池波正太郎、藤沢周平、…。そのうち、輪
をかけて周五郎の好きな老人が文庫本片手にやってきて、収拾がつかなくなっ
た。
 おれは、すっかり酩酊した。

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