2016年1月1日(金)
以前行ったことのある北海道・月形町役場へ、ある書類の請求申請書を速達機能のあるレターパックで昨日発送したんですけど、タイミング悪く北海道は猛烈な吹雪。
追跡サービスを見ても受付の記録しか表示されていないので。今は郵便機能は難儀している状態なのかな? ひょっとして飛行機を北海道まで飛ばせないんですかね?
でも札幌ドームでオープン戦はあったみたいだけどさ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
美観地区、クラシックな倉敷の観光の肝。
倉敷川を中心とした白壁・海鼠壁などが並ぶ商人の町で、昭和54(1979)年に伝統的建造物群保存地区に指定されました。
何だかんだ言ってもやっぱり落ち着く界隈だわい。しかもすいているし。
↓手前の建物は大正6(1917)年築の旧倉敷町役場、今は観光案内所の倉敷館。
中橋の向こう側の建物は倉敷考古館。土蔵作り米倉を改装したもの。
倉敷館正面右側にある昔のポスト→
箱の真ん中縦に薄い字で「書状集箱」とありますが、郵便制度が始まった頃のポストには「郵便箱」とも書かれていたそうです。
「郵便」という言葉に全く馴染みのない当時の人たちは、「便を垂れる」ための箱と勘違いして、ここに用を足した人がかなりいたようで・・・。しかしこんなに高くてどうやってやったんだろ?
中橋は渡らんとね→
遠くを見る。
んっ?何だか大勢でこっちに向かってきたよ?。イヤな予感。
「△■★Σζ∽∇!」何言っているのか分からないけど、大声で話ししているのでどこからの人かは分かる。
そう、日本の観光という観光地を席巻している大陸から来た方たち。きっとこの橋は瞬く間に大群に呑み込まれてしまうだろう。
↓その人たちに取り囲まる前に、美観地区でも一番のお気に入りの本町通りへ。
こっちもかなりの人が歩いておりました。ただし、倭人だけ。ホッとするわ。
「倉敷川沿いより先に町となり箪笥屋、桶屋など職人達が軒を連ねる場所でした」とは倉敷観光WEBの解説。
倉敷市民の初詣は創祀1700年を超えるここで→
鶴形山という山に鎮座している阿智神社。昔は島だったという。
↓このウラ通りも好き。でも何故か人気が今一つ。
日当たりが悪いからかな?
しばらく時間がたったのであの方々はいなくなったかな?、と思って大原邸の方から戻ると、先程と比べてもさらにパワーアップした数がいる(ような気がする)。
それに、もはや日本語の会話は全く聞こえないですよ?、向こうの言葉しか聞こえん。
ここって日本だよな?なんて思うことしばしば。
大原美術館→
倉敷紡績の2代目・大原孫三郎氏が昭和5(1930)年に創立した日本初の私立西洋美術館。
ここも博物館実習で見学させられましたが、苦痛でしかなかった事だけは覚えております。
もういいでしょう。
美観地区にサヨナラする前に、もう一度中橋に。
「くらしき川舟流し」は運休のよう→
できるだけ川っペリに近づいて、せめて舟に乗った気分になったつもり。
↓駅方向に続く閑古鳥がうるさい正月休みのアーケード商店街を通りホテルに戻る。
チェックアウトを済ませて倉敷を去ります。
昔、チボリ公園があった駅北口→
ついぞ入ったことはなかったのですが、短期間であっさり閉園。
こんなにいい駅前の絶好の立地にあって潰れたとは、かなりつまらんテーマパークだったようです。
用意周到、岡山駅を経て→
西川原・就実駅へ→
正式には西川原駅らしいけど、駅建設費用全額を近くにある就実学園という学校法人が出したのもあって駅名票には「・就実」が付いたらしい。
〔45〕岡山県岡山市中区役所→
区名に「中」とあるけど、市の中心部は北区。
↓近くのコンビニでは元日らしくお汁粉のサービスがありました。
「いかがですか?」と言われましたが、あいにく苦手でな。せっかくのご好意をすまんのお。
焼いたモチに醤油を付けて海苔を巻いてくれたらいくらでも戴くんだが。
参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
以前行ったことのある北海道・月形町役場へ、ある書類の請求申請書を速達機能のあるレターパックで昨日発送したんですけど、タイミング悪く北海道は猛烈な吹雪。
追跡サービスを見ても受付の記録しか表示されていないので。今は郵便機能は難儀している状態なのかな? ひょっとして飛行機を北海道まで飛ばせないんですかね?
でも札幌ドームでオープン戦はあったみたいだけどさ。
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美観地区、クラシックな倉敷の観光の肝。
倉敷川を中心とした白壁・海鼠壁などが並ぶ商人の町で、昭和54(1979)年に伝統的建造物群保存地区に指定されました。
何だかんだ言ってもやっぱり落ち着く界隈だわい。しかもすいているし。
↓手前の建物は大正6(1917)年築の旧倉敷町役場、今は観光案内所の倉敷館。
中橋の向こう側の建物は倉敷考古館。土蔵作り米倉を改装したもの。
倉敷館正面右側にある昔のポスト→
箱の真ん中縦に薄い字で「書状集箱」とありますが、郵便制度が始まった頃のポストには「郵便箱」とも書かれていたそうです。
「郵便」という言葉に全く馴染みのない当時の人たちは、「便を垂れる」ための箱と勘違いして、ここに用を足した人がかなりいたようで・・・。しかしこんなに高くてどうやってやったんだろ?
中橋は渡らんとね→
遠くを見る。
んっ?何だか大勢でこっちに向かってきたよ?。イヤな予感。
「△■★Σζ∽∇!」何言っているのか分からないけど、大声で話ししているのでどこからの人かは分かる。
そう、日本の観光という観光地を席巻している大陸から来た方たち。きっとこの橋は瞬く間に大群に呑み込まれてしまうだろう。
↓その人たちに取り囲まる前に、美観地区でも一番のお気に入りの本町通りへ。
こっちもかなりの人が歩いておりました。ただし、倭人だけ。ホッとするわ。
「倉敷川沿いより先に町となり箪笥屋、桶屋など職人達が軒を連ねる場所でした」とは倉敷観光WEBの解説。
倉敷市民の初詣は創祀1700年を超えるここで→
鶴形山という山に鎮座している阿智神社。昔は島だったという。
↓このウラ通りも好き。でも何故か人気が今一つ。
日当たりが悪いからかな?
しばらく時間がたったのであの方々はいなくなったかな?、と思って大原邸の方から戻ると、先程と比べてもさらにパワーアップした数がいる(ような気がする)。
それに、もはや日本語の会話は全く聞こえないですよ?、向こうの言葉しか聞こえん。
ここって日本だよな?なんて思うことしばしば。
大原美術館→
倉敷紡績の2代目・大原孫三郎氏が昭和5(1930)年に創立した日本初の私立西洋美術館。
ここも博物館実習で見学させられましたが、苦痛でしかなかった事だけは覚えております。
もういいでしょう。
美観地区にサヨナラする前に、もう一度中橋に。
「くらしき川舟流し」は運休のよう→
できるだけ川っペリに近づいて、せめて舟に乗った気分になったつもり。
↓駅方向に続く
チェックアウトを済ませて倉敷を去ります。
昔、チボリ公園があった駅北口→
ついぞ入ったことはなかったのですが、短期間であっさり閉園。
こんなにいい駅前の絶好の立地にあって潰れたとは、かなりつまらんテーマパークだったようです。
用意周到、岡山駅を経て→
西川原・就実駅へ→
正式には西川原駅らしいけど、駅建設費用全額を近くにある就実学園という学校法人が出したのもあって駅名票には「・就実」が付いたらしい。
〔45〕岡山県岡山市中区役所→
区名に「中」とあるけど、市の中心部は北区。
↓近くのコンビニでは元日らしくお汁粉のサービスがありました。
「いかがですか?」と言われましたが、あいにく苦手でな。せっかくのご好意をすまんのお。
焼いたモチに醤油を付けて海苔を巻いてくれたらいくらでも戴くんだが。
参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→