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旧約聖書入門―光と愛を求めて (光文社文庫) / 三浦 綾子

2012年06月09日 | 
旧約聖書入門―光と愛を求めて (光文社文庫)
三浦 綾子
光文社


神の存在を信じていないので、神に祈ったこともありません。
神の意思は人間には計ることはできないので、自分にひどいことが降りかかってもただただ神を絶対的に信じるしかないというのは、結局現状を甘んじて受け入れることになってしまうのではないかと思えます。それが国家権力の支配に利用されたなら、世の中を変えようという立場には立てない気がします。

神の恩恵を受けたことがない中でその神を信じろということが考えにくいのだけれども、神を信じる立場からすれば、その考え自体が人間の傲慢さなのでしょうね。

もし、神がいるとすれば、それは「無」だと思います。無には絶対不可侵です。「有」になった瞬間に限界が生じ、神は神でなくなるんじゃないのかな。無いものを求めるからこそ「絶対的」になれるんじゃないでしょうかね。自分にとってはその無いものにすがることの方が無意味に思えます。

人間が傲慢になるたびにリセットボタンを押されてしまいます。
津波は天罰なんてひどいことを言った人もいますが、それ自体もこの世界では受け入れなければならない天罰なのでしょう。でも、なぜ、津波を起こしたのか。それは人間の傲慢さなのか。であるならばなぜ東北地方なのでしょうか。
天罰といえる人がいたら、よほど熱心な信者か、傲慢で人のことを思いやれない人間ですね。
様々な疑問を出すたびに、神のご意思は人間の考えの及ぶ範囲では理解できないと一刀両断されそうですが、そこで思考停止というのは、ある意味楽な考え方ですよね。

読み物としては面白そうな話がいっぱいありそうですが、すごい長そうですね。
そういえば書いてありました。旧約は39巻、新約は27巻だそうです。

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