唐茄子はカボチャ

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男はつらいよ 寅次郎恋歌

2008年11月15日 | 男はつらいよ・山田洋次
男はつらいよ 寅次郎恋歌

松竹

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リンドウの話がひとつのテーマです。人間にとって、家族の平凡な暮らしが実は根源的で、それこそが一番の幸せなんじゃないだろうか・・・ということなんですけど・・・

博さんのお母さんの葬式のときの家族のやり取りはやっぱり涙が出てしまいますが、博さんの言うように、若いころの夢を実現できなかったお母さんは「不幸」なのかということなんですが・・・映画全体の流れでみていけば、そのお母さんの言った最後の言葉は、本心だったに違いないと。おもうのですが、どうなのでしょうか。

子どもへ愛をそそいだ日々、家族で暮らした日々を思い返したときに出た言葉なんじゃないでしょうか。

一箇所にしばりつけられている人にはうらやましい旅の生活ですが、旅をしている人がそういう人たちをみたときに、それこそが人間の営みだと寂しくなる。人間は一人では生きて行けないという話がありました。人間は社会をつくって生きていくことが根源的なわけで、旅をしている社会から離れたところにいる人は、自由と言えば、聞こえは良いけれど・・・ただ単なるはみだし者でしかないのかもしれません。社会の構成員になれない寂しさ・・・自分を否定されたようなものかもしれません。

だから、その寂しさをわかってもらいたかったときに、「うらやましい」と言われてしまった寅さんですが・・・社会の構成員になろうかな・・・と思って迷っていた自分に後押ししてもらおうとしていたんだろうに、それを許してもらえなかったと言うか・・・

寅さんは旅の人。自分たちとは違いますよ。という・・・結果的にはそういう宣言になっていたのではないでしょうか。

さくらの「うらやましい」というのは、それとは違います。
入れ替わって、いつも自分が心配しているように、おにいちゃんに自分を心配させたい。これは、リンドウの咲く田舎の家で一緒にきょうだいでご飯を食べている。寅をその一員に入れた発言ですから、心がこもっています。そのように愛されている寅もまた幸せなんですねえ・・・

それに比べて・・・おれなんか・・・・へへへ


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1971年 第8作

寅さんのめちゃくちゃぶりが抑えられて、しんみりさせてくれます。

お母さんの葬儀のときの博さんの家族の会話。
お父さんの女中みたいな人生が幸せだったのか。お兄さんは、死ぬ間際に「思い残すことはない」と言って死んだことに救いを求めようとしますが、博さんは、「死ぬ間際まで嘘をついたんだな・・・」とつぶやきます。兄弟たちは、「何を根拠に嘘だと言うのか!?」と言った時の博さんの返しが痛烈です。「もし仮に嘘でなかったら、そんな人生を本当に幸せだと思って死んだとしたなら、そのほうがもっとかわいそうだ」と言うんです。深い話しです。
お父さんの心にもぐさりと突き刺さったことでしょう。

博のお父さんの夕暮れ、農家のあぜ道を歩き・・・庭一面にリンドウ・・・家の中をのぞくと明かりの下で親子が食事を囲んでいる風景・・・そこに人間の本質がある・・・みたいな話しがテーマになっています。

そして、寅さんは、それを実現してくれる格好のターゲットを見つけるわけです。寅さんはりんどうを買ってその人に渡します。寅さんにとっては、母親と子ども、りんどうがそろって、あとは自分がもうひとつ足りない空間に収まれば・・・と思ったのかもしれません。いや、でも、自分がどうとかよりも、彼女にそういう幸せな人生を送ってほしいという願望がりんどうに込められていたような気がします。そこに自分がいなくてもいいから・・と言った感じで・・・

彼女の力になれることはないか・・・ない。
そして、自分のたびのことを「うらやましい」と言う彼女になんとも悲しい顔をするんです。自分をわかってくれないと思ったわけではないでしょうけど・・・

あ、そこで思ったんですけど、死んだ博のお母さんは幸せじゃなかったわけではなくて、その生活自体に幸せを見出していたのではないか。確かに船にのって外国にも行けなかったし、都会の暮らしもできなかったけれど、それで自分がしたかったことができなかったからって不幸と言うのは単純なことで、その、だんなとの関係や子どもとの関係の中で、彼女なりの幸せを見つけたのかもしれません。それが死ぬ間際の「思い残すことはない」という言葉になったのかもしれません。

そうか・・・深い話しです。

おいちゃんやおばちゃん、ひろしやさくらやこの女の人、たこ社長、ごぜんさまは幸せかどうか。最初の旅芸人、寅さんは幸せかどうか。
どっちの生き方が幸せでどっちが不幸なんてものはないのかもしれません。周りから見てどうという評価もあるかもしれませんが、そんな基準は本当はなくて、自分がどう一生懸命生きたかだし、自分が幸せだったかどうかは自分自身の基準の判断でしかないわけですね。

そこで思い出したのは子どもに「寅さんのようになっちゃうよ」という親のせりふ。ちゃんとこういうふくせんがはってあったんですね。

寅さんとさくらの最後の会話が泣けますね。
お兄ちゃんと入れ替わって旅にでて、「さくらは今頃どうしてるかな」と心配させたい。というんです。すばらしい。お兄ちゃんをいつも心配しているさくらさんのせりふですからね。泣けますね。

2008/1/17

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