唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

グッドナイト&グッドラック

2006年12月18日 | 映画 か行
グッドナイト&グッドラック 豪華版

東北新社

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白黒で当時の雰囲気を出すためなのでしょう。昔の白黒映画を観たときと同じ雰囲気があります。なんとなく風景の広がりがないというか・・・そういえば、室内だけでお話が進んでいます。

別に共産主義擁護のお話とか、そういうことではありません。ただ、真実と正義に忠実であること、それがジャーナリズムの精神だと、言いたいだけだと思います。

それを時の権力はつぶすわけですね。共産主義のレッテルを貼って。

共産主義そのものの見方が偏見に満ちているとは思いますが、それでも、アメリカ国民として、自由と正義を貫く姿勢こそがアメリカ国民にとっての誇りであったのでしょう。その思想はなんら共産主義に負けることはない。だから、謀略によって封じ込めることではなく、思想、論争で対決すれば必ず勝利できるという確信があったのでしょう。
だからこそ、彼らは、理不尽に立ち向かったわけです。

最後の言葉は現代のテレビ報道の状況をみても重いです。
「もしテレビが娯楽と逃避のためだけの道具ならもともと何の価値もない・・・テレビは人を教育し啓発し心さえ動かします・・・だがそれはあくまで使う者の自覚次第です・・・それがなければテレビはメカのつまったただの箱なのです」

いま、うちのテレビはアンテナをはずしてしまっていますので、みることはないんですが、テレビが国民に与える影響を考えたときに、このままでいいのか、考えてしまいます。
先日教育基本法の改悪案が成立しました。その前の日に、委員会で強行されたときに職場でテレビをいくら回しても、そのことについてふれているチャンネルはありませんでした。その翌朝の新聞の一面も、そのことを重大問題としとりあげている記事はありませんでした。

さすがに成立してからは一面トップを飾っていました。成立してしまえば、世論に対して責任を負わなくて済むからだとは思います・・・

そういえば、古館さんが報道番組で石原知事のトーキョーワンダーサイトの問題をとりあげた後に、正確な言葉は忘れましたが、なんか報道がみみっちくなって、政治のあり方とか、そういう本筋の報道が少なくなってきたように思います・・・みたいなことを言っていましたが、その報道に携わっている本人が言う言葉じゃないと思いました。石原知事の都政私物化の問題はそんな意地汚いみみっちい男がちょっとそそうをしたみたいなちっちゃいことではなくて、そういうことに矮小化しないで、きちんと、都政のあり方、税金の使い方、政治の本筋としてその問題を検証するのが報道の役割だと思います。

だから、報道番組なんかに問われるわけですよ。一つ一つの問題をきちんと権力やスポンサーの思惑から番組を切り離して真実のみに忠実で公正な立場で報道できるかが。日本のマスメディアの状況はそうなっていないのが現実です。

映画の話に戻りますが、タバコが気になります。番組でタバコをすいながらやるというのもある意味すごいことです。


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