唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

キッド / チャップリン

2006年11月27日 | 映画 か行
キッド/一日の行楽

ジェネオン エンタテインメント

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1921年作品

子どもがかわいい。大きな帽子とだぶだぶの服からちょこっと顔が出ている感じがほんとにかわいい。だから、2人が引き離されるシーンはやっぱり悲しくて泣いてしまうのです。

不思議なのが夢のシーン。あれは、何を思って入れたのだろうと思ってしまいます。あまり子どもが出てこないんですよね。突然天国に悪がいたずらをして、揉め事が起きてしまうというのは、今考えると不自然な気がします。しかも、逃げようとした主人公は警察に撃たれて死んでしまうんです。物語とは直接関係ないくせに意味ありげに最後に入れてるのにはどんな意味があるのでしょうか・・・

今回改めて気になったのは、貧困のすさまじさです。そこでけなげに生きているところがまたいいところなのかもしれませんが、その生活状況は恐ろしいほどひどいです。当時のアメリカがそうだったのだろうけど・・・その一方で、お金持ちがいるわけですが・・・

もう一つは、この前オリバーツイストを見たからというのもありますが、子どもがおかれている状況というのでしょうか。母親が出てきたのは慈善病院。生きるすべもなく、子どもをおいていくしかできなかった状況。それで、孤児だとわかると、孤児院に強制的に送られちゃうようなところが、社会の硬直した姿というか、なんといえばいいのか思いつきませんが、子どもに人権はないという感じがしました。
これは、チャップリン自身の経験からくるものかもしれませんが・・・

だからチャップリンはそういう、子どもにとっての幸せは何なのかという答えを心の絆に求めることができたのでしょうね。

そうやって考えると、あの医者にしたって、悪巧みで引き離そうとしたわけではなく、孤児院に引き取ってもらうことが子どものためになると思っていたのだろうし、それが社会的常識だったのかもしれません。

映画から、そのときの社会状況を知ることも大事ですね。たしかに古い映画です。そりゃ、今見れば、子供だましの映像もあるけれど、そのつくった人が当時の社会の何を見て何を訴えたかったのかを見ることも大事ですね。

それで話が元に戻って・・・夢の中の話はなんだったのだろう・・・

話を変えて、もう一つ、母親が子どもを引き取りに来るシーンはちょっと印象的でしたね。むすっとしている子どもと喜ぶ親。親は一方的に抱きしめるわけです。ここで気になったのが、羽のついた帽子。すごい風になびいていました。もしかしたら、母親の喜びを表現したのかもしれません。そういう効果を狙ったのかな?

よけいなことですが、仮に1921年に5歳だと、1916年生まれか・・・今生きていたら90歳か・・・

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