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瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ

2008年11月05日 | 落語
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ
◎ 瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ(詞花229)[百]

【通釈】瀬の流れが速いので、岩に塞がれている急流がその岩に当たって割れるように、たとえあなたと別れても、水の流れが下流で再び行き合うように、将来はきっと逢おうと思っているのだ。

【語釈】◇瀬をはやみ 瀬の流れが速いので。《われて》に懸かる。◇滝川の 「滝川」は滝のごとき奔流。「の」は《のように》といった意味の使い方。◇われてもすゑに 急流が岩に当たって割れるように、別れても、水がいずれ下流で再び行き合うように、将来は。

【補記】第三句「滝川の」までは「われて」を導く序詞であるが、情念のこもった暗喩ともなっている。障害に打ち当たって破局に至る、といった悲恋の経過を読みとることが可能だが、恋歌と呼ぶにはいささか詞が激しすぎはしないか。若くして宮廷の内紛に翻弄され、政争の犧牲として譲位せざるを得なかった院の無念と、なお将来に賭ける執念をこの歌に読み取るのは、決して牽強付会とは言えまい。

【補記2】久安百首では「ゆきなやみ岩にせかるる谷川のわれても末にあはむとぞ思ふ」とある。詞花集における改変を、香川景樹は撰者藤原顕輔によるとしたが、安東次男は撰集の宣を下した院自身による改作であろうという(『百首通見』)。

【本歌】武烈天皇「日本書紀」
大太刀を垂れ佩き立ちて抜かずとも末は足しても遇はむとぞ思ふ


【参考歌】読人不知「後撰集」
せきもあへず涙の河の瀬をはやみかからむ物と思ひやはせし

【他出】久安百首、後葉集、古来風躰抄、定家八代抄、詠歌大概、八代集秀逸、定家十体(ひとふしある様)、時代不同歌合、歌林良材

【主な派生歌】
瀬をはやみ岩きる浪のよとともに玉ちるばかりくだけてぞふる(藤原定家)
春のゆくみ吉野川の瀬をはやみせくもかひなき花のいは波(後鳥羽院)
めぐりあはむ雲のはつかにみか月のわれても末に影へだつなよ(三条西実隆)


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