唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

おもひでぽろぽろ

2011年03月21日 | アニメ
おもひでぽろぽろ [DVD]

ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント

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一ヶ月もしないうちにまた観てしまいました。
映像が美しい・・・。何度観ても、感動しちゃいます。音楽が重なると、思わず心がゾワゾワッとしてきます。気を緩めると、すぐそうなってしまうので、友達と見るときは警戒しながら見ないといけません。

小学5年生の妙子ちゃん・・・妙子ちゃんの生活は、楽しいこと、嬉しいこと、辛いこと、悲しいこと、理不尽なこと、いろんなことがあったわけですが、それをいちいち心が正面から受け止めてしまうわけですね。大人のように、気持ちを誤魔化すことなんてできなくて。

わがまま?気持ちに正直なことが悪いとは思えないけれど、大人の都合でそれはわがままになってしまう。いい子とは、大人の理屈に素直に合わせてくれる子のことをいいます。
子どもが悪いわけではありません。そうすれば大人がほめてくれるから、子どもは、自分が生きやすくするためにそういう選択をするのです。それができない子は、聞き分けのない子、わがままというレッテルを貼られてしまうんですね。

子どもがなにしてもほっとけといってるんではなくて、社会のルールは親が正面から、子どもと向き合うことが大切なのではないかと。親がまじめに正面から訴えれば、子どもはそれにこたえてくれると思うんだけど。そうならないのは親が、それを避けてきたからなのではないのかなあ・・・暴力に訴えるのも、それは、親が向き合うのを拒否した結果の行為なのではないかと思うのです。

なにを知った風なことを・・・といわれそうだし、子育ての大変さを知らないくせにとも言われそうですが、自分がその立場になって、どういう行動をとるかはともかくとして、そういうことだと思うということです。

親のエゴにあわすことを強要されたこの方が、反動が大きい気がします。
子どものころに受けた傷は、後の人生に大きく影響を与えます。

たまに、子どものころと、思考の仕方が変わってないことにドキッとすることがあります。人と話すときに感じます。特に、苦手な人とか、自分の上の人、正式な場での会話など、そういうときに、自分はいつも小学生の自分に戻ってしまいます。
たぶん、これからも、そうなんでしょうね。

また、阿部君(今度は覚えた)のところは、グググッときます。阿部君のところって、回想シーンではないんですよね。今井美樹さんの語りでずっと聞かせてくれるんです。その方が妙子さんの動揺もわかりやすいですよね。阿部君にもあまりしゃべらせないで。すごく効果的な気がします。

効果的・・・映像とか、そういう演出にすごくこってて、つくりこまれてるなあ・・・と思いました。

最後にまた、都はるみさんの歌を聞きながら、涙がぽろぽろ流れてきました。

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2010-08-10 01:02:12
妙子さんは今は玉ねぎ食べられるのでしょうか。
お父さんとお母さんは元気なのでしょうか。
おばあちゃんは亡くなっているのでしょうか。
5年生の妙子ちゃんだけでなく、高校生の妙子ちゃんも見てみたいです。

今回は、子ども時代のシーンがとても面白かったです。
5年生の自分のことばっかり話する妙子さんにちょっと違和感。
でも、やっぱり、最後また来ちゃいました。
握手してやんねーよっていう子誰だったかな?その辺からもう、大変です。
そして、最後、電車の中のシーンは、涙があふれ出してきました。
やっぱりこの作品、いい映画です。

子どもの妙子ちゃん、すごくかわいいですよね。
大人になってやけに頬骨が出ちゃったけど。
子どもの無邪気さとともに、いろんなつらい思いをしてきてるんですねえ…
当時の父親の存在の大きかったこと。お母さんも娘も父親のいうことには何も口を挟まない。時代なんでしょうね。
電話口でお姉さんが「あなたは大変な過去を背負って生きているのね。はっはっは・・・」というところは、案外本当にそうなんでしょうね。けっこう、身近な家族が残酷だったりします。
ひょっこりひょうたん島の歌がやけに心にしみます。
ああやって、あの頃の子どもは、理不尽な社会を乗り越えていったのかもしれません…なんてね。


握手したけど…今握手してもらいたいのは…誰かな…握手だけ?
その時自分の脳裏に浮かんだ光景は…
それは秘密です。

しかし・・・自分も大変な過去を背負って生きているのです。


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いま、おもひでぽろぽろをみてたんだけど・・・

何度か見た映画なのに、今回、一番感動して、最後ぼろぼろ泣いてしまいました。

いまの自分の気持ちと何かが重なってしまったんですかねぇ…

自分の人生、後悔の連続、今も何か、不安と動揺と…の中での生活ですが…

なにか漠然と求めている「何か」を見つけた妙子さんに感動してしまったようで
す。

まあ、こんな自分の人生も、そんなに悪くないのかな…。と思えます…思いたい
…思えるかな…やっぱりまだ曖昧だ。

でも、昔の自分やそれを後悔してるいまの自分をいつか懐かしく笑える日がくる
ようにしたいです。

・・・こんなメールを友達に夜中に送ってしまいました。
そんなくらい、なぜか感動してしまって・・・

子どものころの親やきょうだいにはなんでもないことがずっと心の傷だったり、こだわりだったり・・・そんな子どものころの傷を思い出させてくれる映画です。といっても、妙子さんのように、あんなことがあったとか、こんなことがあったとか、そんなことを鮮明に思い出すわけではありませんが・・・

でも、なんか、同じようなことがあったなあ・・・と、思わずしみじみ・・・

そして、いつの間にか妙子ちゃんの気持ちになって、同じように傷ついて泣いているのです。
何かいろんなことに夢中でいろんな可能性があったあのころに戻りたいような郷愁というか・・・でも、あんなに必死にいろんな小さいことも考えて考えて、必死だったときにはいろんな意味で戻れない・・・と・・・当たり前ですけど。

そして気がつくと大人になった自分はなんか知りすぎてさめた男になっていて、現状に甘んじてくやしい思いとか、そういうものから自然と避けて、生きているんですよねえ・・・

今、正直言って人生の惰性期です。

いや、だからって、もっと冒険しろとか、そういうことじゃなくって・・・

生きていくっていうことにもうちょっと真剣になった方がいいのかな・・・と・・・

この先何年生きられるか・・・(何年!?)(いや、でも、ほんとに何年だったら・・・人生なんてわからないですし・・・)

自分なりの生きていく意味というものを今の年齢だからこそ・・・

もう一度見つめなおしたい・・・そんな気がした短針長針重なる時刻・・・・マジで1時5分です。

ふられて人生終わりじゃないよ。ふられてからの人生のがそのキズの分大きくなれるさ。

何を言っているのでしょうか・・・

まあ、色々考えさせられるということで。

そう、考えさせられるといえば、何度かこの作品は見ていて、その度に印象が違います。

初めてのときは、あまり感動もなく・・・子どものときの妙子ちゃんが身につまされただけで、なんで最後、妙子さんは田舎に行く決心をしたのかがよくわからずに・・・だったんですが・・・

2度目、3度目とみていくうちに、田舎の風景は人間が作ったというところになるほどと思い、妙子さんは、田舎を選んだのではなく、・・・名前が思い出せないけど、男の人が自分を一番理解してくれる人・・・理解しようとしてくれる人だということを、思わぬことを突きつけられて初めて自覚したということを感じさせてくれたわけです。

そして今回は、やっぱり、その妙子ちゃんと妙子さんのシンクロですね。初めて、重なった気がします。最後、妙子ちゃんも、妙子さんも抱えてきた心の傷とか、重石というか何というか・・・そういうものすべてが忘れるとか、そういうことでなくて、その緒も日でそのものひっくるめて、自分を見つめなおして、それが今の自分を乗り越える決心になったというか・・・何といっていいかわかりませんけど、みるたびに、考えることが違ってきます。

映画を見てこんな気持ちになるとは・・・
映画って不思議だ・・・

2009-03-15
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みたのはこれで4度目でしょうか

気になったのは、真剣な質問などにも小学校5年生の時の話しかしない妙子さんは一般的には不思議な人と思われちゃうのではないかなあ・・・ということ。そして一方の男の人、けんじさん?ひとしさん?だれだっけ?・・男のほうは男のほうで有機栽培の話で切り返す。お似合いの2人。

誰にでも経験のある、子どものころの理不尽で納得いかなくて悔しかった数々の思い出を成仏してくれるかのように綴られるエピソード。最後の阿部君のエピソードはとても悲しく・・・悲しいというのではないか。
 なんというか、表面上の人とのかかわりと本心のギャップを見透かされた時の動揺というのか何というのか。身につまされるというのか。
涙を流さずにはいられないシーンだ。その動揺は痛いほどよくわかる。自分を責めてしまうのもよくわかる。うう・・・
 他にも出かけるときにぐずって親に理不尽にもはたかれるシーンなども本当に悔しくて泣いてしまいそう。

いいせりふは、田舎の風景は人間がつくった風景だというくだり。自然との共生、共存のあり方を示しているようでもあり、人間のたくましさも感じ、とても本質的な感じがした。

今回気になったところは、5年生の妙子と大人になってからの妙子があまりスーッと結びつかなかったところ。今まではあまり感じなかったことだけれど。
子どものときの思い出が田舎での生活とどう結び付いたのか、いまいちよくわからない。2つの物語をくっつけた狙いはなんだろうか。
子どものころに葛藤してきたものが、大人になって現実に突きつけられ、選択を迫られたということなのでしょうか。

以前よりもちょっとなるほどと思ったところが、最後の妙子の行動のところ。

前見たときは、あんな短時間で今までの生活をすててあたらしい人生を選択できるものなのだろうかと思っていました。しかも、なんか結婚が2の次で田舎で生活するための手段として男を選んだようにも感じたから。

今回は、妙子が選んだのは、田舎の生活をするかどうかの選択ではななく、その男の人自身だということはわかった。

2004/01/05 23:58