いえ、実際に越谷に行ったというのではなく、バーチャルですが・・・
ひょんなことから藤岡作太郎の日記を読み始めています。
藤岡作太郎は、金沢市出身の明治期の文学者で、現東京大学でも教鞭をとっていた人物。美術にも造詣が深かったのですが、39歳という若さで亡くなってしまいました。
その作太郎の日記を読んでいるのですが、これがひどく難解なんです。書いてある内容は、日記ですので、難しいことが書いてあるわけではなく、かなりくせのある筆文字なので、読み下しに頭を痛めています。江戸期の古文書の方が、文字のスタイルもある程度整っているのでまだ読みやすい。明治期の人は、どうしてああも達筆なんでしょう。
数人のゼミ形式で読み合わせを行なっているのですが、私の担当したところが、ちょうど今頃の時期で、越谷に桃を見に行った、ということが書かれている場面でした。
明治38年の日記なので、開通して2,3年経った東武鉄道の大沢町駅(現在の北越谷駅)で汽車を降り、駅周辺の桃畑や古梅園を見、久伊豆神社、天嶽寺、大聖寺などを見てまわった、ということが書かれています。
彼の歩いたルートはどんなだろうとネットから地図を引っ張り出したり、日記に出てくる地名や旧跡を色々検索してみたり・・・。
越谷の北部は砂地で、桃や梅などの果樹栽培に適していたそうで、越谷の桃は、杉田の梅(現横浜)、小金井の桜とともに江戸近郊の花の三名所に数え上げられるほど著名だったようです。
北越谷駅の西側に、浄光寺というお寺がありますが、そのあたり一体はかつて「古梅園」があって、現在は宅地化が進んで、浄光寺境内に数本当時からの梅の木が残っているだけだそうですが、近くに梅林公園が作られ、新しい花の名所ともなっているようです。
久伊豆神社(「ひさいず」と読みます。)の藤が見事だそうで、これから見頃を迎えるのでしょう。作太郎のころにも藤棚があった、ということが書かれていましたが、それほど立派なものではなかったようです。
この久伊豆神社、越谷周辺にたくさんあって、かつてこのあたりで勢力を持っていた武蔵七党(『平家物語』などに登場する児玉党とか横山党などが有名ですね。)の一つ私市党、与野党(よのとう)が信仰していたということです。名前のとおり、伊豆の三嶋大社と関係があるらしい。ということで、三嶋大社を検索してみたり・・・
なにやら、本来の目的である「日記を読む」ことからずいぶんかけ離れたことをしているような気もしないわけではないのですが。
おかげで越谷のこと、少々詳しくなりました(笑)。
写真は兼六園の桜第二弾。
本文とは全く関係ありません。