
もちろんいつもの通り、たまたまのことなのだが、どうしていつも同じ時期に、こんなふうに同じタイプの作品を手に取ることになるのか。なぜか、よく似た傾向の作品は連鎖していくのだ。辻村深月の新作が出ていたからどんなお話なのかも知らずに読み始めたら、一昨日見た映画『最愛の子』と連動するような内容で驚く。さらには、昨日見た南船北馬『これぽっちの。』とも通じる。子供を産んだばかりの40になった夫婦の物語。この小説も40になった女のお話だ。特別養子縁組によって、生まれたばかりの子供をもらいうけ、実子として育てる。6歳になった時、産みの母親が突然現れて子供を返して欲しい、と言う。
これも『最愛の子』と同じように2部構成になっている。前半は子供を育てる夫婦のお話。後半は子供を自ら手放すことでひとりになった母親の話。心から望んでも子供を産むことがかなわない夫婦。どうしても子供を手放さなくてはならなくなった幼い少女。
さらにはこの本の直前に読んでいた川上未映子『あこがれ』も、なんだか関連する。あれは男の子と女の子の話。2部構成。2組の家族の話でもある。小学2年の男の子がパン屋さんのおねえさんにあこがれる話。4年後、6年生になった少女が、自分には腹違いの姉がいるということを知って、会いに行く話。まるで別々の2話だが、主人公の2人は共通する。幼い子と家族のお話という意味では先の2作と同じ。
『最愛の子』と『朝が来る』はどちらも子供が6歳。(『あこがれ』の子供たちは8歳から12歳。)ポンポンは何も言わないけど、朝斗は自分のことを語る。たった6歳であっても、いろんなことを胸の中に秘めている。それをしゃべらないと意思表示するか、否かは大きな違いではない。
後半、ひかり(14歳で子供を産んだ母親)の話になったところから、作品はレベルダウンする。彼女がどうして出産に至ったのか、その顛末を描く部分は少し安易で、家出の後の部分は読んでいて不快にさせられる。未成年がひとりで生きていく困難を描くこと自体は悪くはないけど、もう少し賢く生きることができるにではないか。風俗とかには行かない、というのは悪くないけど、子供が生きていく上で何が必要かをもっとリアルに突き詰めて欲しい。
しかし、そこはこの小説全体のテーマからはなんだか、かけ離れる。これはあくまでも、子供を巡るお話なように思えるのだが。不妊治療からスタートした前半の夫婦の痛みがとてもリアルだっただけに、この後半の少女の話が全体の中にまるで収まらない。ラストでお話が収まるところに収まるのもなんだか安易。悪くはないけど、もっとうまく作ることが出来たのではないか、と思う。