いつものようにたった半年のインターバルを経ての再演である。これは近年のきづがわの必勝パターンだ。初演と再演というよりも同じ芝居を短い期間をおいて再上演する。1回目の公演を踏まえてそこでの経験を前提にして(新作のようにリニューアルするのではなく)しっかりとブラッシュアップして再上演するというパターンなのである。このパターンは2011年の『歌わせたい男たち』から始めて8作目となる。自分たちの作品を1本1本大切にして上演するためにこのスタイルを生み出した。リスクが大きいことは覚悟の上だ。たった半年のインターバルでの再演に前回来たお客さんはなかなか劇場に足を運んでくれないことだろう。いくらファンとはいえ、もう見ているからと二の足を踏むことは必至だ。記憶も鮮明な時期に2度続けて見ようとはなかなか思えないのが人情だろう。それでも彼らはまず自分たちのために、そして自分たちが手掛けた作品のために、そういうアプローチをする。コロナ禍での3年間の休眠期間を強いられたうえでの再スタートの作品である。いつものように大切に上演したい。その気持ちがしっかり伝わってくる。
だから、今回も彼らの誠実な芝居をもう一度目撃しようと思った。敢えて今回はうしろのほうで見た。前回は前方で見たからだ。そしてWキャストのバツミ役は前回の山村八子ではなくもうひとりの魚住美春によるバージョンを選択した。ここまでは前回と違うところ。同じところは劇場は前回と同じ大正コミュニティセンターで、どちらも初日の1回目の上演という同じ条件で見ることにした。(まぁ、それって実はほんとは意図したわけではなく、たまたまそうなっただけなのだけど)
不思議なことだが、まるで印象が異なる作品に仕上がっている気がして驚く。もちろん3人のキャストも変わらないし、台本も演出も変わらないのに、である。前作が「明」だとすれば今回は「暗」とでも呼ぶべき作品になっていた気がする。タッチがなんだか暗くて重いのだ。彼女たちが置かれた状況が1回目以上に切実に感じられた。前回は笑って見ながら、3人の50代の女たちの生き方を応援したくなるような作品だと思ったのだが、今回は見ていて、彼女たちの「今」はそんな単純なものではないと思えた。この先不安を抱えて大丈夫なのか、という気持ちにもさせられた。
ほんの少し視点を変えるだけで、こんなにも様変わりしていくことに驚く。台本の奥行きの深さが、作品を一様に、ではなく玉虫色にして気分によりさまざまなものに見せることが可能だったということなのかもしれない。演じ手、演出の作品自体への解釈が深まりその結果こういう印象を与えたのかもしれないし、観客である僕の(たまたまの)気分ゆえ、かもしれないが、なんだかそういうところもとても新鮮で面白かった。