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映画・演劇のレビュー

自由派DNA 『GPS』

2009-12-08 23:20:15 | 演劇
 2年半振りの本公演だ。初心に戻り、今、自分たちがここにいるということ、ただそれだけのことを2時間15分の大作として描く。作、演出の梶原俊治さんは虚構パーティーのころから、一貫して変わることのない自らのスタイルに固執する。それは芝居を1本の ストーリーとして語るのではなく、シチュエーションの中でのドラマが、内面世界を象徴させながら展開する、というスタイルである。自由自在にテーマが流れていく。意識の流れに沿って芝居は動いていくのが心地よい。

 今回のテーマは、「少年時代に抱いた幼い夢が長い歳月の中で、どう変化してしまったか」である。そして、どんなに時代が変わろうとも、それでも見失うことなく自分の立ち位置を守り続けること、そうすることでこの先にむかっていける、ということが語られていく。正直言うとかなり気恥かしい。しかも、冒頭の5分ほどのシーンでそのすべてを語ってしまう。その後の2時間強はプロローグの検証でしかない。本当ならこんな描き方はしない。だが、梶原さんは今回敢えてこのスタイルで挑む。語りたいことはもう決まっている。でも、それを自分の方法で念入りに検証したかったのだ。これはその確認作業である。

 4人の子供たちが遊んでいる。その日、彼らは冒険をする。いつも以上に遠くに行こうと思う。この先へと、足を踏み出す。そこで、ひとりの男と出会う。彼は、木を切り刻み、人形を作っている。ピノキオだ。少年たちはその男を手伝うことで、満ち足りた時間を過ごす。翌日、再びその男のところにいくが、もう男はそこにはいない。

 それから、時は流れ、子どもたちは、大人になる。あの日見た夢は実現しないまま、つまらない大人になってしまった。3人はそれぞれ夢破れて打ちひしがれている。そんな彼らが偶然再会し、あの日のあの場所を捜しに行く。土の中に埋めたピノキオ人形を探し出すために。

 この単純極まりない芝居が、なぜか胸にしみてくる。それは作り手の強い覚悟がストレートに僕たち観客に届くからである。優れた芝居は、物語ではなく、作者の熱い思いが確かに届いてくるところに成立する。わかるとかわからないとかいうことは、その際あまり関係のない話だ。2年半振りのこの新作を見ながら、ずっと変わることなく自分の芝居を作り続けることの幸福を噛みしめる。

 もちろんこの芝居に問題がないわけではない。僕のこの文章を読んで、最初の《4人》がなぜ《3人》になっているのか、気になった人もいるだろう。だいたい芝居を見ながら、僕も凄く気になった。最初は4人いたではないか。あのもう1人は座敷わらしか?実は、そこにこそ、この芝居ももうひとつの切り口があるのだ。さらには、あの日出会ったゼペットじいさんのようなあの男は何者なのか? そこも置き去りにしたままである。単純な構造のこの芝居にあるいくつかの綻び、実はそこからこの芝居はもともとあるレールから、逸脱していける、そんな可能性があった、はずなのだ。だが、なぜか、そこには封印がなされた。まぁ、これだけでも長い芝居だから、そこまで追いかけると3時間くらいになってしまうかもしれない。でも、ほんとうはそこもきちんとフォローしたうえで2時間に仕上げるべきだった、と思う。

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