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映画・演劇のレビュー

A級MissingLink『その間にあるもの』

2021-09-03 19:03:53 | 演劇

久々の土橋さんの新作だ。もちろんA級MissingLinkの公演自体も久々になる。いずこもコロナ禍でなかなか公演ができない現状の中で放つ新作は、いろんな意味で今までとは少し違うものになるだろう。心境の変化や現状に対する想いや、さまざまなものが作品に影響するはずだ。そんななかでのこの作品である。

母と娘がハグするシーンがなぜか、こんなにも心に沁みてくるのは、コロナのせいで他者と直に触れ合うことが困難になってしまったからか。心だけではダメ。体で触れ合うことで言葉では伝えきれない想いが伝わっていくのではないか。

この芝居の登場人物たちはみんな、うまく形にはできない心の中の様々な想いを秘めている。それをなんとかして伝えたいと思う。でも、伝えきれないもどかしさを抱えて身悶えしている。いろんなことが表には出ないまま、お話は進行する。わからないことだらけ。だけど、そんなことは気にもならない。芝居に引き付けられる。仙台からこの和歌山の地に移住してきた夫婦を中心にしてお話は展開する。彼らが作、演出する町民参加型の市民劇の稽古現場が舞台となる。

彼らが作る芝居は、新しく出来た町営ホールの館長の実体験がモデルになっている。彼が10年前に起きた大雨による事故で妻を亡くしたこと。そしてその直後、娘が家を出ていったこと。それまで仕事一筋で家族を顧みなかったが、事故の後、家族を失ってひとりになり、生き方を変えた。そして今、そんな自らのことを芝居にしてみんなに見せようとしている。

そこに、娘が帰ってくる。彼女は芝居の稽古を見てこんなのは本当のことではないとクレームをつける。阪田愛子演じる娘の交戦的な言動が芝居をリードしていく。どうしてここまで頑ななのか。傲慢で見ていて腹がたってくるほどだ。彼女をキーマンにして、彼女と館長である父との確執へとお話はスライドしていく。その根底には事故で亡くなった母親(妻)との確執がある。劇中劇と現実とが交錯していく。何度となく繰り返される同じシーンの稽古は緊張を高める。(それは劇中3度繰り返される。)

そこに4年前にここに移り住み芝居を続ける夫婦の抱える問題が重なり合う。誰もがそれぞれ抱える痛み、苦しみが、この1本の芝居を作ることを通してひとつになるのか。胸に秘めたひとりひとりの想いはどこにたどりつくのか。誰にも譲れないものがあり、それが彼らを苦しめ、そしてそれを通して未来が開けてくるかもしれない。失くした娘への哀悼の想いは全面には出ない。それだけにその傷みは深い。

冒頭のイノシシのエピソードは強烈だ。何が始まったのかと、思う。インパクトは強い。こけおどしではない。このシーンが実は重要な伏線にもなっている。道に飛び出してきたイノシシを車で轢いてしまったこと。助けたイノシシが恩返しをしてくること。全く反対の方向を向く状況は背中合わせだ。何が真実で何が嘘なのか、本人にもわからない。

作、演出の土橋さんは、記憶と現実「その間にあるもの」をみつめようとする。東日本大震災から10年。コロナ禍の今、この先に僕たちが見るものを見据えて、このA級20周年記念作品は1年遅れて21年目に僕たちに向けて「あなたの今はどこにあるのか」とつきつけてくる。


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