
こんな恐ろしい小説は久しぶりだ。もちろんホラーではない。(だいたい僕はホラーやミステリーはほとんど読まない人だ。)これは一応どこにでもありそうなある家族のお話だ。だが、この怖さは半端じゃない。そのへんのホラーのこけおどしの比じゃない。意外な犯人(?)捜しの手管もふつうのミステリー以上の仕掛けと展開で最後まで息つく暇もない。緊張は最初から最後まで持続する。複数の視点から描かれるお話はそれぞれの想いをそれぞれの立場から伝え、その連鎖からある家族の崩壊と再生へのドラマとして綴られていく。
父親と母親、兄と妹。4人家族だった。いや、ほんとうは5人だ。兄の英樹が7歳の時、2歳だった弟が死んだ。主人公はこの一家の母親、恭子。50歳くらいか。子供たちはもう独立していて家は夫と二人暮らし。そんな彼女の異常な行為がお話を動かしていく。
彼女は周囲から「バラ夫人」と呼ばれていた美しい女性だった。だが、夫婦仲は冷めている。夫は仕事にかまけて家庭を顧みない。しかも10年間職場の女性と浮気している。彼女は知っていて何も言わない。夫には興味はない。息子の英樹をひたすら溺愛している。そんな彼も結婚して今は家を出ているが、彼の妻が妊娠したことからこのお話は始まる。視点はこの4人と、英樹の妻、妹玲子の恋人、そして母親恭子の母。お話の核心部分を担うのは英樹の祖母に当たるこの女である。彼女が事の発端なのだ。
現在から過去に遡り描かれる「母と息子」の物語を中心にして、その根底にある「母とその母」の物語へと。さらに最後は「母と娘」の物語へとたどりつく。この3つの関係性でお話は進展していく。もう終わったと思ったところからまさかのラストへとなだれ込む展開はスティーブン・キングの、というかデ・パルマの映画『キャリー』を思わせる。あの墓から手が出るショックに比肩する衝撃だ。しかも、そのショックは一瞬ではなく、その後のお話につながる。生きている限り悪夢はまだまだ続く。というか、死んでもなお続くのだ。
子供に対する虐待はここに極まる。こんな凄まじい虐待があるのか、と震える。でも、それが自分によって形を変えて連鎖していくのだ。よくある話かもしれないが、それをこんなにも衝撃的に見せられるのは、ここに描かれるものが半端ではないからだろう。読んでいるほうも、心身ともに疲弊する。幼い子供の頃からべっとりと染みついたものは消せない。逃げられない。
最初は英樹夫婦の確執をさりげなく描くところから始めて、どうしようもない泥濘に至るまで、執拗に見せていく。子供が生まれると知ったところから始まる恐怖。恭子(英樹の妻からすると義母)の生まれてくるはずの赤ちゃんへの不気味な執着。それは子供が男の子だとわかった瞬間からさらに加速していく。もう異常なんていう生易しいレベルではない。そして、何が彼女をそうさせるのかが、懇切丁寧に描かれていく。簡単なことではないから解決のしようがない。こんがらがったすべてを解き明かすことはできない。
母と息子のお話はどこにでもある。嫁と姑の問題なんかどこにでもある。だが、それをこんなふうに見せた小説は知らない。遠田潤子はどこまでも執念深くこの家族の闇の中に踏み込んでいく。やがて光りは射す。一瞬、明るい未来が。だが、そんなところで終わらせるわけはない。恐ろしい。