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習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

燐光群『戦争と市民』

2008-12-28 19:12:43 | 演劇
 思いもしない展開に仰天した。戦争についての話であることはこのタイトルなのだから分かっていたが、単純に過去のお話を風化させないように語り継ごうとか、そんなことを坂手洋二さんがしたりはしないだろうとも、思ってはいたが、それにしてもこんな話だなんて想像もしなかった。意外というより、その発想の凄さに圧倒された。

 戦後63年、あの第二次世界大戦から長い長い歳月が過ぎた。今では戦争体験を持つものよりも戦争なんて歴史の教科書の中でしか知らないという世代のほうが圧倒的多数を占める。そんな時代の中で、あの大戦の記憶を今も持ち続ける年配の世代が、今、何をするのか(なんだか人事みたいだ)、そんなことが描かれるのだろうと思いながら芝居を見始めたのだが、だんだん話が人事ではなくなるし、気が付けば、この芝居は過去の出来事を語るのではなく、今という時代のリアルな状況を描く作品になっていく。だからといって、あの大戦のことをおざなりにするのではない。あの日から今まで時間は途切れることなくずっと続いているのだという当たり前のことが当たり前のままに描かれていくのだ。そんな大前提の中でこの芝居は描かれていく。坂手さんがこの芝居の副題として『鯨丸市年代記』というタイトルを用意された気分がよくわかる。これは過去の戦争の話ではなく今に続く戦争の話であり、舞台となる昔から捕鯨で生きてきたこの町のクロニクルでもある。

 芝居は、ヒサコ(渡辺美佐子)たちが、今も残っていた防空壕に入る場面から始まる。もちろん、彼女が、かってここで過ごした時間を回顧するなんていう定番にはならない。まず、彼女はここであの頃の自分と出会う。このへんまではある種の定番かもしれない。だが、鯨の捕鯨の話にスライドしていき、気付けばなんと彼女が市長選に出馬することになる。あれよあれよといってる間にラストで再び防空壕に入り、閉じ込められることになり、北朝鮮がミサイル攻撃をしてくるなんて話になり、それに対して日本国政府は何の手立ても出来ないなんていう展開になる。捕鯨反対運動がエスカレートし、その結果、鯨を名誉市民として迎え入れようだなんて荒唐無稽な話になる。それをシリアスに見せていく。鯨を食べるような野蛮な人間に対して、攻撃もやむなしだなんていうバカバカしい話を真剣に見せていくのだ。こういう話を性急に見せるのではなく、悠々としたタッチで2時間30分強の長編に仕立てる。

 荒唐無稽の極みのようなストーリーが、とてもシリアスなタッチのまま語られていくのだ。重いトーンで63年前の出来事を掘り起こし、今も消えない記憶を戦争の傷跡を描くように見せかけて、気付くと、今、この村が直面する問題として描かれていく。

 変わることないアメリカのやり方に対して、それを単純に批判するのではない。戦争というものの持つメカニズムを検証し、市民であるわれわれに何が出来るか、を描いていくのだ。被害者、加害者という単純な分け方ではなく、それを明確な論理のもとに突きつけてくる。勝ったものは自己正当化したがる。それがこの63年前から連綿と続いて今のアメリカへと至る。

 戦争を過去のものとして捉えるのではなく、今の僕らの問題だという。まだこの先この戦争は続く。

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