
作者(パスカル・ランベール)の意図は十分わかるのだが、はたしてこの方法が正しかったのか。延々と一人語りのように、一方的にののしる男。それを、ただ、受け止めるだけで、何も言わない女。それがなんと1時間続くのだ。正直言って、これは苦行だ。もちろん、後半は反対に女が反撃する。まだ、こちらのほうが、見ていてほっとする。感情的なのは同じなのだが、彼女のほうが、理性的に見える。相手を範疇に入れて話をするからだ。前半の男の話には一切他者は介入しない。ただ、自分の論理を押し付けるだけ。聞いていてイライラさせられる。
これが、愛の終わりなのなら、そういうのはいらない。お話として描くのではなく、ただ、終わりの風景として、しかも、あまりに象徴的な図式のもとで描かれるから、本当にしんどい。ここには真実がある。それはわかるのだが、それだけではなるまい。そんな悲しい事実を突き付けられても、うんざりするだけだ。
言葉はキャッチボールなのだな、と改めて思わされる。ここにはそれがない、だから、こんなにもしんどい。一方的に投げかけられる暴力をただ、受け止めるだけ。それが男女2ラウンドで描かれる2時間の作品。もちろん、本来は会話劇になるはずの素材だ。それをわざとこういうスタイルにして構成した。こうすることで見えてきたものは確かにある。従来のドラマ作りの手法では伝わらないものをこの斬新なスタイルでなら成し遂げる、のかも、しれない。だが、僕には苦痛だった。もちろん、それが作者の意図なのだから、目的は果たされたのかもしれないが。
これが、愛の終わりなのなら、そういうのはいらない。お話として描くのではなく、ただ、終わりの風景として、しかも、あまりに象徴的な図式のもとで描かれるから、本当にしんどい。ここには真実がある。それはわかるのだが、それだけではなるまい。そんな悲しい事実を突き付けられても、うんざりするだけだ。
言葉はキャッチボールなのだな、と改めて思わされる。ここにはそれがない、だから、こんなにもしんどい。一方的に投げかけられる暴力をただ、受け止めるだけ。それが男女2ラウンドで描かれる2時間の作品。もちろん、本来は会話劇になるはずの素材だ。それをわざとこういうスタイルにして構成した。こうすることで見えてきたものは確かにある。従来のドラマ作りの手法では伝わらないものをこの斬新なスタイルでなら成し遂げる、のかも、しれない。だが、僕には苦痛だった。もちろん、それが作者の意図なのだから、目的は果たされたのかもしれないが。