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映画・演劇のレビュー

Plant M 『blue film』

2018-01-21 21:01:46 | 演劇

まるで樋口さんのために誂えた台本のようだ。繊細で傷つきやすく、強い。芝居自体も、とてもストレートでわかりやすい。もちろん、これ自体が深津さんの作品の中ではわかりやすい作品なのだが、今回の再演が、こんなにも素直に受け止められたことに驚く。樋口演出は距離の取り方が素晴らしい。常にテキストを手にした主人公のかがり(出口弥生)が、いい。彼女は死者たちに生者たち(こんな言い方はないよな)にも積極的には関わらない。そんな立ち位置を「テキストを持つ」という行為に象徴させるのだが、そのあからさまさがとても自然なのだ。感傷的にはならない。だからこそ、抑えたタッチの芝居は、ストレートに胸にしみてくる。

 

震災により、死んでしまった人たちの記憶。生き残った人たちとの境界線上で、それぞれが交流する。忘れてしまった幼い頃。小学校の頃のこと。今、この駅舎に立ち、来るあてのない電車を待つ。彼女はたったひとり、ここから大阪方面に戻る。海沿いの小さな駅。喪服の兄弟とその姉は、反対方向に帰る。図式化された構図の象徴するものは明らかだ。彼らが纏う衣装の白と黒の対比もそうだ。簡略化された装置も、同じ。ひとつの図式を提示する。しかし、そこで展開するドラマは実はとても感傷的だ。だからこそ、そんな感傷に流されない作劇が必要になる。

 

阪神淡路大震災から7年後に作られた。再演を経て、今、一度、23年後の今日、1月17日、6時開演で、被災地でもあった伊丹のアイホールで1回限りの上演をする。この企画にこんなにもたくさんのお客さんが集まった。あの震災を忘れていないという意思表示でもあるのか。時が経てば、記憶は風化されていく。しかし、誰もあの日を忘れてはいない。あの日から僕たちは変わってしまった。もうそれ以前の自分たちには戻れない。東日本大震災が起きて、原発事故があり、あれ以上に悲惨な事態に遭遇しても、僕たちはあの日の「後の時代」を生きているという事実は変わらない。今も、色褪せることのない衝撃。僕たちはあの日の衝撃以降の時代を確かに生きている。そんなことを、改めて教えられる。これを感傷過多の芝居として作ることは簡単だ。だが、敢えてそんなことはしない。ありのままに受け入れていく。樋口ミユの覚悟がしっかりと伝わってくる秀作である。


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