習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『ヤッターマン』

2009-03-22 19:36:46 | 映画
 バカなことに持てる情熱のすべてを傾けていく姿を見ていると、大袈裟ではなく本気で、「生きていること」ってそういうものなんだなぁと思える。中途半端はつまらない。やるならとことんやらなくては、と思う。だがなかなかそうはいかないのが現実だ。どこかで妥協しなくては成立しないことが多々ある。だが、三池崇史と日活は不可能を可能にした。不可能というよりもあほらしすぎて誰もやらないことを本当にやってしまった、というほうが正しいだろう。正真正銘のバカである。

 この映画を見ながら驚くやら、呆れるやら、そして虚しくさえなる。ここまでやらなくてもいいんじゃないか、と思うくらいだ。だが、彼らは手綱を緩めない。とことんやる!最終的にはここに何かを突き詰めたすがすがしさすら感じた。

 これだけの大予算を投入して、ここまでくだらないことをやり遂げたのである。30分もののTVシリーズそのままのテイストを維持するなんて、誰もやらん。エピソードは敢えて櫛団子式に作られてある。「毎週毎週(よくやるよ)」的な科白まで出てくる。定番の展開をきちんと踏襲して、TVを見ていない人にはついていけないように作ってある。だがそれは安易な作りではない。確信犯的行為なのである。

 ここには映画としての可能性は何もない。アニメとしてもこんなにも陳腐なパターンに終始する水戸黄門感覚のB級作品をA級映画の予算で日活が社運を賭けて映画化したのである。本来ならこれは大いなる愚行としか言いようがない。こんなものに莫大なお金と労力を注ぎ込んで怖くなかったのだろうか。バカに注ぎこむことができる限界を超えている。こんなことをしてもきっと誰も褒めてくれはしない。バカだなぁ、と失笑されるだけだ。そんなこと充分承知の上でやり遂げたのである。

 最近、僕はバカづいている。デル・トロの趣味だけで作ったような『ヘルボーイ ゴールデンアーミー』も大概だったが、あれは作家性の所産だから置いといて、『エリートヤンキー三郎』とか『カンフーダンク』『片腕マシンガール』『テネイシャスD』の4本にこの『ヤッターマン』を加えて5本もくだらなさの限界を行く映画を短期間で見ている。それって、僕が壊れているのかと不安になるくらいだ。まぁ、それは嘘だが、偶然が重なったのと、とことんくだらなさを突き詰めようとする人たちの熱い想いが僕を突き動かしたのだろう。(まぁ、冗談ですが)

 さて『ヤッターマン』である。もうこれは映画ではない。アニメをそのまま実写として作り変えただけだ。だがここまで徹底してやられると、驚くしかない。普通じゃない。作家として三池崇史が何をしようとしたのか、なんてここにはない。子供が無邪気にヤッターマンごっこをして遊んでいる。それをカメラで撮影しただけ。そんな感じの映画なのである。「今週のメカは何々だ!」なんて科白まである。ラストでは次回の予告編(もちろん冗談として作ってある!)がついてくる。これがまた見所満載でぜひチャンネルをひねりたくなる代物。

 役者たちは全員、キャラになりきっている。あの櫻井翔がガンちゃんに。ふかきょんがドロンジョさまに。しかもスマスマレベルのドタバタに何10億を注ぎ込んで。(同じこと何度も書いてる! それくらいにインパクト強い。)こんな映画見ても何の意味もない。それだけは明言できる。しかし、ここまで意味のないものにここまで本気になるという奇跡を目撃することは、決して意味のないことではないと断言できる。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« DIVEプロデュース『中島... | トップ | AI.HALL+小原延之共... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。