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映画・演劇のレビュー

『麦子さんと』

2013-12-21 21:26:03 | 映画
 こういう地味な映画が作られるということが、まず、すごい、と思う。しかも、それがお正月映画として東宝系で公開される。昔のアイドル映画のノリなのだが、堀北真希主演でアイドル映画というのはないよな。しかも、内容が地味すぎ。

 だいたい前田敦子主演の『もらとりあむタマ子』なんてのも、本来ならアイドル映画として分類されそうなものだが、あれも内容が凄すぎる。地味だし、アイドルが、(と云うか、前田敦子なのだが)家でグータラしているだけの話だ! 昔なら考えられなかったタイプのこんな映画が今はどんどん作られている。しかも、それがほとんど誰にも見られることなく消えていく。映画の出来はとてもいいのに、もったいない話だ。でも、あまりにマニアック過ぎて、仕方ない気もする。作られるのは、絶対にいい。でも、こんなにも簡単に消費されていくのは、いいこととは言えまい。難しいところだ。というか、まだ僕はタマ子は見ていないから、いい映画かどうかは定かではないのだが、確実にいい映画であろうと思われる。それからタマ子だが、小劇場マーケットでそこそこ客は入っているのかもしれない。ただ、昔ならアイドル映画は全国一斉公開だった。

 さて、本題は『麦子さんと』だ。麦子はバイトをして暮らしている。声優志望。でも、専門学校に行くお金もなく、今はふらふらしている。兄と二人暮らしだ。父親が死んでふたりになった。そこに、幼い日に別れたまま会ったこともない母が帰ってくる。しかも、兄は恋人と同棲するから、と言って、家を出ていく。見知らぬ他人のような女(母だが)と一緒に暮らすことになる。

 自分を棄てて出て行った母親なんか、母と認めることはできない。映画は、そんなふたりの日々を描くのではない。突然死んでしまった母親の遺骨を故郷の墓地に持って行き埋葬するための旅を描く。突然の再会、突然の死。何が何だか分からないまま、失った家族(もちろん、母のことなのだが、母だけではなく家族全体でもある)と向き合う彼女のお話だ。

 30年ほど前、村を出て行き、東京でアイドルを目指した少女が、母だった。母と瓜二つの麦子を迎える田舎の人たちとの顛末が、東京での一瞬だった今の母との日々とともに描かれる。麦子は、ただただ受け止めるばかりだ。怒濤のような日々なのに、彼女は静かに受け入れる。最後には、ちゃんと母も受け入れることができる。

 でも、特別なドラマなんかここにはない。こんな地味な映画がよく作られたものだ、と驚くほど何もない。でも、このなんでもなさが、とても素敵だ。吉田恵輔監督は『ばしゃ馬さんとビックマウス』に続いて、今回もまた市井のなんでもない人たちの姿を映画にして見せてくれた。さりげなさ過ぎて普通なら見落とすような人生のひとこまだ。だが、そこにはキラキラ輝く時間がある。映画になんかならないようなありきたりなお話にスポットをあてて、地味すぎる映画をぽんと提示する。なんか、その気負いのなさがすばらしい。絶対客は入らないだろうけど、これはとても素敵な映画だ。みんなには秘密にして自分だけの宝物にしておきたい。


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