
上手や下手からではなく、必ずセットの下からすっと出てきて芝居を始める役者たち。無表情で、とんでもないことをしゃべる。でも、それを全く聞いていない人たち。だからコミュニケーションは成立しない。だが、それ(コミュニケーションの不在、ね)がこの芝居のテーマではない。彼らはそんなものなんて最初からない世界に存在しているのだ。なのに、そんな彼らがお互いに関わり合いドラマは展開していく。なぜだ? なぜかお話は有機的につながっていき、何かを我々に突きつけてくるはずなのに、見終えた後には取り残された気分になる。別にわかるとか、わかりにくいとかいう問題ではない。
好きな女を殺してしまう青年と、他人にその罪をかぶせてしまうその母親。でも女は死なかった。母は後ろから刺したその女の介抱をして恩を着せてつきまとうといいと息子をそそのかす。さて、罪をかぶせられた男は、刑事たちから取り調べを受ける。事件の起こった時間彼は芝居を見ていた。その芝居をやっていた劇団は振り込め詐欺を繰り返す。さらには訪問販売の女がいろんなところに現れて大騒ぎになる。
3つの場所で3つの話は展開する。それらが順に語られていく。ドタバタコメディーになりそうな話なのに、淡々とした芝居として語られていく。そこがよくわからない。なんとなく居心地が悪い。つまらない芝居だ、という訳ではない。とてもよくできていておもしろい。今までのクロムのハイテンションとは別の方向を向いているのもいいと思う。なのに見終えて取り残されたような違和感が残るのはなぜだろうか。終盤になるといつものように混沌としていく。「あれ、これっていつものクロムじゃん」と思う。なのに、ラストでは夕焼けをみんなで見ている、という静かな演劇になる。
ここまでが、見終えた瞬間に書いたメモだ。なんか腑に落ちないから、翌日もう一度見に行く。ここからは2度目の感想。
3つの話がひとつになり、あげくはミュージカルとなっていく終盤の怒濤の展開を見ながら、それまでの「静かな演劇」タッチとの落差に驚く。ここからが前日は乗れなかったのだ。このめちゃくちゃさがクロムの芝居の醍醐味だということは十二分に理解しているつもりだった。しかし、そのむちゃくちゃさを封印してフラットなタッチの芝居作りをこの作品で目指したのではなかったのか。振り込め詐欺、訪問販売、通り魔殺人、といった今回取り上げた題材を通して青木さんが描きたかったのは、新しく立つ東京新タワーに象徴させた僕たちの未来である。あのクライマックスの無謀さの中から2進法で極端から極端に揺れるデジタル時代のあり方を感じとれ、とでもいうのか。「アナログからデジタルへ」をテーマにして、過激から静かな芝居へとシフトチェンジすると見せかけて、結局はいつも以上に訳のわからない世界を提示することになった。(それもまたクロムらしいが)
ラストでは、今はまだ幻の東京新タワー(空耳タワー)をみんながそれぞれの場所で見る。同時に「汚い(美しいではなく)夕焼け」も見つめる。こういう静かなシーンを配して、そこに彼らのなんとなく幸せそうな顔を見て、未来はきっと明るいものになるなんていうなんの根拠もないことを考えてしまった。映画『ALWAYS 3丁目の夕日』にインスパイアされたこのラストシーンは、安直に見えて必ずしもそれだけではない不気味さと安らぎが渾然一体としたなんとも言い難いラストだ。
好きな女を殺してしまう青年と、他人にその罪をかぶせてしまうその母親。でも女は死なかった。母は後ろから刺したその女の介抱をして恩を着せてつきまとうといいと息子をそそのかす。さて、罪をかぶせられた男は、刑事たちから取り調べを受ける。事件の起こった時間彼は芝居を見ていた。その芝居をやっていた劇団は振り込め詐欺を繰り返す。さらには訪問販売の女がいろんなところに現れて大騒ぎになる。
3つの場所で3つの話は展開する。それらが順に語られていく。ドタバタコメディーになりそうな話なのに、淡々とした芝居として語られていく。そこがよくわからない。なんとなく居心地が悪い。つまらない芝居だ、という訳ではない。とてもよくできていておもしろい。今までのクロムのハイテンションとは別の方向を向いているのもいいと思う。なのに見終えて取り残されたような違和感が残るのはなぜだろうか。終盤になるといつものように混沌としていく。「あれ、これっていつものクロムじゃん」と思う。なのに、ラストでは夕焼けをみんなで見ている、という静かな演劇になる。
ここまでが、見終えた瞬間に書いたメモだ。なんか腑に落ちないから、翌日もう一度見に行く。ここからは2度目の感想。
3つの話がひとつになり、あげくはミュージカルとなっていく終盤の怒濤の展開を見ながら、それまでの「静かな演劇」タッチとの落差に驚く。ここからが前日は乗れなかったのだ。このめちゃくちゃさがクロムの芝居の醍醐味だということは十二分に理解しているつもりだった。しかし、そのむちゃくちゃさを封印してフラットなタッチの芝居作りをこの作品で目指したのではなかったのか。振り込め詐欺、訪問販売、通り魔殺人、といった今回取り上げた題材を通して青木さんが描きたかったのは、新しく立つ東京新タワーに象徴させた僕たちの未来である。あのクライマックスの無謀さの中から2進法で極端から極端に揺れるデジタル時代のあり方を感じとれ、とでもいうのか。「アナログからデジタルへ」をテーマにして、過激から静かな芝居へとシフトチェンジすると見せかけて、結局はいつも以上に訳のわからない世界を提示することになった。(それもまたクロムらしいが)
ラストでは、今はまだ幻の東京新タワー(空耳タワー)をみんながそれぞれの場所で見る。同時に「汚い(美しいではなく)夕焼け」も見つめる。こういう静かなシーンを配して、そこに彼らのなんとなく幸せそうな顔を見て、未来はきっと明るいものになるなんていうなんの根拠もないことを考えてしまった。映画『ALWAYS 3丁目の夕日』にインスパイアされたこのラストシーンは、安直に見えて必ずしもそれだけではない不気味さと安らぎが渾然一体としたなんとも言い難いラストだ。