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とてもおもしろい発想だが、あまりに作りが緩すぎてこういうのがありなら、なんでもありだろ、と思ってしまう。芝居って自由なものだけど、その自由さは作り手の強い意志によって統御された作品世界を核に据えることで感じられるものであって、それもなく、ただなんでもあり、では作品としての体を為さない。
松永さんの実験的な芝居作りはその危ういライン上にある。役者の素人臭さが、作品の力となり得たならいいのだが、そうはなっていない。3人の役者はこれを少しテレながらやっているかに見える。それが見えたから、観客である僕たちはひいてしまう。これでは作られた虚構世界の劇世界が心地よいものにはならない。それは役者のせいではない。
夢の中で、暗い森の中を歩いていて、そこで死体と出会う。死体が話しかけてくる。女と死体の男とのやりとりが描かれる。ナンセンスだ。結婚相談所にやってきた前述の女と相談員のやりとり。彼が女に紹介した男はもう死んでいて、彼女はその死んだ男に会いに行く。今ここで描かれていることはすべて夢の中の出来事で、自殺した男を彼女がもう一度殺したらしい、とか。どこが本当でどこからが嘘なのかの判別には、特に意味はない。でも、それではダメでしょ。ここまでユルユルにされると、もう話を信じ切れなくなるから、乗れない。こういうシュールでナンセンスな話は好きなのだが、これはやりすぎ。
松永さんの実験的な芝居作りはその危ういライン上にある。役者の素人臭さが、作品の力となり得たならいいのだが、そうはなっていない。3人の役者はこれを少しテレながらやっているかに見える。それが見えたから、観客である僕たちはひいてしまう。これでは作られた虚構世界の劇世界が心地よいものにはならない。それは役者のせいではない。
夢の中で、暗い森の中を歩いていて、そこで死体と出会う。死体が話しかけてくる。女と死体の男とのやりとりが描かれる。ナンセンスだ。結婚相談所にやってきた前述の女と相談員のやりとり。彼が女に紹介した男はもう死んでいて、彼女はその死んだ男に会いに行く。今ここで描かれていることはすべて夢の中の出来事で、自殺した男を彼女がもう一度殺したらしい、とか。どこが本当でどこからが嘘なのかの判別には、特に意味はない。でも、それではダメでしょ。ここまでユルユルにされると、もう話を信じ切れなくなるから、乗れない。こういうシュールでナンセンスな話は好きなのだが、これはやりすぎ。