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映画・演劇のレビュー

『東京島』

2011-05-27 23:25:22 | 映画
 原作が出版された時、すぐに読んだのだが、あれは大概な小説だった。あの桐野夏生によるドロドロの世界を、篠崎誠はなんともカラッとして、あっけらかんとした映画に仕立てた。ストーリーは基本的に同じだ。でも、描き方の違いで、まるで印象の異なる別世界を作り上げる。

 ここまで、冗談のような軽さで、こんなにも過酷な状況を見せられるとは、思いもしなかった。原作で描かれたさまざまなサバイバルが、この映画では、ただのリゾート気分になる。ここに登場する日本人の若い男たちは、この過酷なはずの現実と向き合い、なぜだか、遠足気分だし。漂着した中国人たちもなんだかとても優しくて、彼らに危害を加えそうにないし。こんなんで、いいのか。

 だいたい、ここで描かれるものは、本来なら生き残りを賭けた過酷な無人島生活のはずなのに、それがこんなも緩い状況でいいのか? 篠崎誠監督は、明らかにそこを狙って作っている。リアルなドラマではなく、この状況をひとつの寓話として描く。

 それにしても、主人公の清子を演じた木村多江は、凄い。こんな厭な役を、逃げ出すことなく、よくぞやりきった。40代の年増のおばはんが、この無人島のたったひとりの女であることから、ちやほやされる。逆ハーレム状態だ。だが、その天国の日々も一瞬で終わる。ふんだりけったりである。だが、そんな女を見事演じた。

 そして、なんとも気合いが入らないこの映画に於いて異彩を放っているのは、窪塚洋介演じるワタナベという男だ。彼は、16人の日本人青年の集団からは離れて、彼らが東海村と呼ぶ産業廃棄物を入れたドラム缶が棄てられてある海岸でひとり暮らす。徒党を組むのが、嫌なのだ。当然のことだが、清子に対しても、敵対する。彼は中国人集団とは仲がいい。なぜだかわからないが、彼は中国語が理解できるようだ。それは中国語を知っているからではない。雰囲気でわかるらしい。映画の後半になると、背中に巨大な亀の甲羅を背負って、登場する。その姿はまるで『ドラゴンボール』の亀仙人だ。冗談のように、そこにいて、誰にも関わりあうことなく孤高を貫く。だが、なんだか飄々としている。さらには終盤になると、いきなり姿を消す。しかも誰もそのことには触れない。

 この映画は、「リアル」な(というか、生々しい)原作とは方向性を異にする。どちらかというと、冗談のようなファンタジーだ。だが、ただの荒唐無稽というのとは違う。原作同様、これもまた別の「(観念的な)リアル」なのである。人間の本性を突き詰めていく。だから、目を背けたくなる。ラストで、現実の東京に戻ってきて、その10年後が描かれる。島で生まれた子供の10歳の誕生日だ。そこにやがて現れるはずのもうひとりのゲストとは、たぶんワタナベであろう。それって、たぶん衝撃のラストだ。

 それにしても、ワタナベとは、何だったのか。同じように誰からも相手にされなくなる映画の後半の清子も気になったが、それより、後半で、存在すら消えてしまうワタナベ、である。とても気になる。

 このなんとも不気味で、そのくせ気の抜けた寓話が描く世界に酔いしれて欲しい。あの原作のイメージからこんな誰もが思いもしないような映画を平気で作る篠崎誠監督は凄い。彼は確信犯だ。『女王陛下の草刈正雄』といい、これといい、とても『おかえり』でデビューした彼と同一人物だとは信じられない。変幻自在だ。本人は、たぶん、このへんてこで、捉えどころのない映画を作って、してやったり、の気分なのだろう。

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