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映画・演劇のレビュー

インテレP『新・愛のメモリー2006+コブラとは何だろうか?』

2006-12-20 19:07:50 | 演劇
 これはかなりヤバイ芝居だと思う。というか、これは芝居なのか?よく分からない。まぁジャンルなんてどうでもいいが、それよりまず、「これ」である。

 全く意味のない事をこんなにも真摯にやられてしまったら、見ているこちらも襟を正して見てしまう。3部構成で、洋子(dracomの佐野洋子だ)と高杉(河合良平)の悲恋を描く2本と、謎のコブラシリーズの1本が間に挟まれている。

 これを見ながら意味を追いかけても、何にもならない。その点ではdracomと同じだがdracomのすっとぼけた世界とは違い、とても真面目で一直線な作品なのだ。その情熱はいったいどこから生じるのか?構成演出の河合さんの頭の中を覗いてみたいよ、と思う。

 そこには何の意味もないのは当然だが、それにしてもこの確かな自信はどこから生じるのか。迷いとか、ためらいなんてほんの少しもない。自分のしていることに対してすがすがしいくらいに確信を持っていられるのが凄い。これは、思いつきですらない。かたくなにスタイルを守り続ける。そこまでさせる意志とは何なのか。

 S高原のサナトリウムに入院している高杉と、彼を愛し続ける洋子。2人の愛の記憶によって彼の治療を試みる平田医師(岬千鶴)。この3人による連続ドラマ(なのか?)。さらに、このメロドラマと抱き合わせでいつも上演されるコブラの話。岬千鶴という怪しい女優演じるコブラとは何か。そんなこと全く分からない。今回も彼女はただ、ベッドで寝てるだけだ。ワイヤーでひっぱり花道をゆっくりステージに向け移動してくるベッド。そこには何の意味もない。全く意味を持たないのだ。何を見ているのか分からなくなるくらいに凄い。

 佐野洋子(あの無表情は演技ではなく、ほんとに表情がないのではないかと思わせる)もそうだがどうしてこんな人が存在するのか、と思わせるものが岬千鶴にはある。2人のダンスシーンはいつもながら圧巻である。

 無意味というものの本当の姿をここに見る。無意味とは意味がないのではなく、意味すらないことではないか、と思わせる怪作。次回があればきっと見てしまうであろう。なかったとしても全く気にならない、というくらいに凄い。(今回は凄いのオンパレードだ。語彙がないのではないか、と思わせる文章だ。)


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