ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

続・ボッティチェリ ‐ ウフィツィ美術館

2011年03月07日 |  ∟イタリアの美術館

 メディチ家の庇護を得て、約20年にわたってフィレンツェで活躍したボッティチェリ。
 1481年、ローマに招かれ、サン・ピエトロ寺院の壁画制作に携わっている。

 システィーナ礼拝堂のミケランジェロの傑作「最後の審判」。
 その壁画を背にして左側、北面に描かれた六枚のフレスコ画 「キリスト伝」。その中の 「反逆者たちの懲罰」などを彼が担当している。

 話はそれたが、ウフィツィ美術館の主役たる彼、「ヴィーナスの誕生」と 「春 = ラ・プリマベーラ」の他に、「東方三博士の礼拝」 「パラスとケンタウロス」、<師弟対決>で取り上げた 「 聖母戴冠と四聖人」などが架かっている。

 なかでも、ひと際目を惹くのがトンド形式で描かれたふたつの聖母子像、「<書物の聖母>」から連なる作品とされる。

 それは、絵の中の書物に聖母マリアを称えるマリア頌歌、通称 “ マニフィカト ” が記された 「マニフィカトの聖母」(写真上)。

 そして、幼子イエスが受難の象徴とされる “ 柘榴 ” を手にした 「柘榴の聖母」(写真下)、我が子の行く末を思って浮かぬ顔に描いている。

 彼が描くところの女性像、優美で官能的な表情は、師<フリッポ・リッピ>描くところの 「聖母」に似て、聖なる内にそこはかとなくエロティシズムが漂い、女好きの師匠譲りのように思える。

 Photo_3だが、意外にもこの御仁、享楽主義の女嫌い? 異性にはまったく興味を示さなかったというから面白い。

 その彼、心酔していた豪華王ロレンツオの死の前後から、急進派の修道士<サヴォナローラ>の思想的影響を強く受けるようになる。

 それまでの優雅で伸びやかな画風は、極端に硬直した神経質なものへと変化、それは、ここウフィツィに架かる寓意画 「<ラ・カルンニア(誹謗)>」、古代ギリシアの画家アペレスが描いた 「誹謗」を再現したもの。に、顕著に見られるという。

 サヴォナローラ処刑後は制作意欲を失い、1501年 「<神秘の降誕>」(ロンドン・ナショナル・ギャラリー)を描いて以降、ほとんど筆を絶ってしまい、極貧のうちに波瀾の生涯を終えたとされている。

 ところで、最初に訪れた折のこと、壁に貼られた小さな紙に失望させられてしまう。
 そこには、盛期ルネサンスの巨人ダ・ヴィンチの処女作ともされる傑作が 「ある筈なのに?」と悔しがる。

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