ふと、何気なく、言葉を拾うことがある。
それは、本からだったり新聞からだったり、時に、映画の中の台詞であったりする。
拾った言葉、そのまま直ぐに忘れてしまうこともあれば、興にのって辞書やWebで、その意味や出典などを調べることもある。
尤も、酔狂、軽い?痴呆症の所為か、憶えておかなきゃと思う尻からど忘れ、狼狽えることもしばしばだが。
そんな言葉、最近、手近にあった紙に走り書きしたのにこんなのがある。
高級住宅地に建つ豪邸に裕福に暮らす一家、頼みとする父親の不慮の死と経営する会社の倒産によって、その日の方便(たづき)にも困窮する羽目に。
狭い賃貸住宅で、嘗ての贅沢な生活を懐かしみ今を嘆く兄らに、妹が明日への希望を胸に、“ これもまた、過ぎていく ” と話す。
少し調べてみると、ユダヤ教の経典、口伝の注釈書とされるらしいミドゥラシュに、「ダビデの指輪」という一節があるという。
そこには、“ イスラエルの第二代国王ダビデがある日、宮中の細工師を呼んで、私のために美しい指輪をひとつだけ作り、そこに次の意味の言葉を刻みなさいと命じた ” とあるとか。
その言葉は、“ 私が大きい勝利を収め喜びを抑制できなくなって高慢になろうとする時、それを諌めるものでなければならず、また、私が大きな絶望に陥って落ち込んでしまう時には、勇気と希望を与えてくれるものでなければならない ” と。
件の細工師、美しい指輪は作ったものの、命じられた言葉を考え付くことができず苦悶に陥ってしまう。
悩んだ挙句、<ダビデとバテシバ>の息子、ソロモン(第三代国王)を訪ね助言を乞うたところ、ソロモンは、“ これもまた、過ぎ去るだろう ” と書いたという。
体調が悪い日や心寂しい日が続いたりすると、何か不安になって、詰まらないことばかり考えてしまうけれど、そんな時、この、“ これもまた、過ぎていく ” という言葉が、心に安らぎをもたらし励ましてもくれる。
好いことも悪いことも、すべては明日(あした)への心の糧としてくれるよ・・・って、ことかな。
これもまた、散っていく花、そのひとつ「アルストロメリア」と「アザレア」、明日のため今日も美しく装う。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.903