この国の民、1948年の建国以来、叡智と勤勉で国造りに取り組んだらしい。
緑化もそのひとつで、そのことは、<旅の後で(2)‐花の国>の稿で書いた。
大雑把だが、この国のほほ中央、テル・アビブと首都エルサレムを東西に結ぶ線、その以北は緑豊かな土地が広がり、以南は大部分が砂漠と曠野である。
今回の旅、イエスの足跡に触れることに加え、紀元前後の遺跡を巡ることも目的にしていたようだ。
暢気なものでその遺跡巡り、現地に着いてバスで巡り始めて知るというお粗末極まりないふたりだったが。
∮ 地中海に面した美しい遺跡「カイザリア」、ビザンツやローマ時代の遺跡(左)が遺っています
∮ ユダヤ王朝のヘロデ大王は、アテネに匹敵する大きな「港町」(中)を築こうとします
∮ 以来、ローマ皇帝カエサルにちなんでカイザリアと呼ばれるようになります
∮ 「バニアス」の名前で知られている「ナハル・ヘルモン国立公園」(右)です
∮ 神殿の跡が残る岩壁には、アラブ人の伝説による預言者エリアの墓があります
∮ ヘロデ王の息子ピリポが町を大きくしました
∮ それで、カイザリアと区別するために、「ピリポ・カイザリア」とも呼ばれています
イスラエルには、国立公園と自然保護区が65箇所ほどあって、今回はそのうちの6箇所(赤字表記のところ)を巡ったらしい?
らしいというのもまた頼りない話だが、エルサレムを除けば僅か4日ほどの間に10を超える遺跡を巡ったようだ?
事前の勉強不足もあって、テル・アヴィブ空港からバスに乗って、最初に向かったカイザリア、翌日に向かったシリアとの国境に近いバニアス辺りまでは、旅の初めでもあり、また、遺跡の景色も雰囲気にも特徴があって、混乱もさほどなかったのだが。
∮ 世界最古の「オアシスの町エリコ」(左)の「テル・アッスルターン」の遺跡です
∮ なんと、今から1万年も前の住居跡や「石を積み上げた塔」(中)などを観ることができます
∮ そして、「クムランの遺跡」、紀元前2世紀の終り頃のものだそうです
∮ ユダヤ教徒のエッセネ派が、禁欲的な修道生活をこの地で送った「居住跡」(右)です
それも、旅の三日目、紀元前1世紀から紀元7世紀頃まで人が住んでいたことが判明しているカペナウムあたりから、そろそろ回路がショートし始めた。
∮ イエス宣教の地、カペナウムの「古代ローマ時代の遺跡」(左)です
∮ ユダヤ教の会堂「旧シナゴーク」(中)の跡も遺っています
∮ イエスが道を説いたシナゴークはさらにこの地下にあるのだそうです
∮ その隣に、「ペトロの家の教会」(右)があります
∮ その下には、ペテロが当時住んでいた家の跡が遺っています
四日目のパレスチナ自治区エリコのテル・アッスルターンから死海文書が発見されたクムランにきて、正直、そこが何処やらさっぱり判らなくなってしまった。
∮ マサダ国立公園、ヘロデ大王が築いた「冬の離宮」(左/右)です
∮ ユダヤ戦争でローマ軍に追い詰められた、千人足らずのユダヤ人がここに立てこもります
∮ 2年以上も抵抗を続けたそうです
∮ 異教徒に辱めを受けることをよしとせず、7人の子女を除き全員自決します
∮ 戦争は終わり、ユダヤ人2000年の離散の歴史がここから始まったとされています
五日目、マサダ国立公園ヘロデ大王の冬の離宮は、特徴があってまだまし。
∮ 荒涼たる「ゲネヴ砂漠」(左)、遠く芥子粒のような集落が望めます
∮ 建国に貢献した初代首相ベン・グリオンゆかりの「キブツ・スデ・ボケル」(中)
∮ そこから眺めた果てもなく続く「曠野」(右)です
それも、ゲネヴ砂漠からアヴダット国立公園あたりになると、もう勝手にどうぞという感じ。
∮ 砂漠の中に突如として現れるアヴダッド国立公園(左/中/右)
∮ アラビア半島から地中海へと抜ける香料の道があります
∮ その途上にある「ナバテア帝国の隊商都市の遺跡」です
そして六日目、灼熱の地、テル・ベエル・シェヴァでは、食傷気味、感激もそこそこといった按排。
∮ ユダヤ民族の父祖アブラハム、イサク、ヤコブが三代に亘って住んだというベエル・シェヴァ
∮ ここに、紀元前4000年の居住跡などが遺こる「テル・ベエル・シェヴァの遺跡」(左)が
∮ 遠く「灼熱の街ベエル・シェヴァ」(中)が望めます
∮ この遺跡の名物?は大掛かりな水道施設、深さ17mの「縦穴式貯水槽」(右)が遺っています
そんな旅程の中で、ゲネヴ砂漠の遊牧の民ベドウィン族のテントでのランチは実に面白い体験だったが、その模様は次回に。
Peter & Catherine’s Travel Tour No.411
※ イスラエル巡礼、前回の《温暖化》へは、<コチラ>からお入り下さい。
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