余り好い意味で使われないようだが、“ 帳尻を合わせる ” という言葉がある。
帳簿を〆たものの収支が合わない、何度やり直しても駄目、業を煮やして適当に加減して合わしてまえ! 大方そんなイメージか?
辞書を繰ってみると、“ 物事の辻褄(つじつま)を合わせる、つり合いがとれること ” (大辞泉)とあって、やはり、褒める場面で使う言葉じゃなさそうだ。
ところで、その辻褄って何?と別の疑問も。
男の遊びで一番面白いのは芸者遊びだと聞いたことがある。
一度も経験したことがないので真偽のほども、またこれからも確かめようもないのが残念と言えば残念だが。
その芸者、左褄とも異称するらしいことは、ベタな歌謡曲で幾度か耳にしたような。
彼女たちが左手で着物の褄、和服の襟先から褄先までの間、立て褄(づま)とも呼ぶらしい、を取るからと言うのがその謂れだそう。
余談だが、右褄とは、かつて春を鬻(ひさ)ぐ女性たちを指した言葉だったとも聞く。
じゃ、その褄の辻とはなんぞや? と限(き)りがないが、裁縫で縫い目が十文字に合う所を辻と呼ぶらしく、そこを合わせることから生まれたのが、 “ 辻褄を合わせる ” という言葉だそう。
前書きが長くなったが、人の一生、最後はその帳尻がきちんと合うようにできているとしばしば聞く。
ほんまかいなと思いつつも、ひょっとすればそんなものかも知れないと思わないこともない。
尤も、人の一生、辻褄を合わせるようなものじゃないだろうが。
余程、真面目に生きてきた人以外、脛にひとつやふたつの傷を持っているだろう。
詰まるところ、その傷をどう受け容れるかで、帳尻が合ったなと思いもすれば、合わないよとも、そんなところが妥当なのかも。
思いの外足早にいった花を眺め乍ら、そんなことをつらつら思う暇人酔狂、卯月・四月はゆき、“ 八十八夜の別れ霜 ” (5/2)、やがて “ 立夏 ” (5/6)だ。
むかうむいて茶摘女の歌ひけり (虚子)
そうそうカタリナ、唱歌の「茶摘み」の帳尻ならぬ歌尻?が合わず、「<ちゃんちゃかちゃん>という歌なんだけれど?」と、ころころ笑っていたっけ!
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.965
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