ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

侯爵夫人 ‐ アルテ・ピナコテーク

2013年04月11日 |  ∟ドイツの美術館

 ドイツの国立美術館のひとつアルテ・ピナコテーク。
 おフランスの絵画が好きな方は存知よりだろうけれど、疎い当方にとって殆ど馴染みがないこの画家のこの絵からスタート。

  18世紀にフランスで活躍したロココ美術を代表する画家フランソワ・ブーシェ(1703-1770)の 「ポンパドゥール夫人の肖像」。

 Pompadour_8ロココ、この聞きなれないスタイル、美術書に拠れば、“ ロカイユ・貝殻装飾 ” が語源とか。
 美術案内に拠れば、“ 曲線を多用した装飾性の高い形体と明快な色彩、優雅でありながら甘美性も備わる表現、雅宴画と呼ばれる独自の様式が特徴とされ、ルイ15世統治下のフランスを中心に欧州各地を席巻 ” したのだそうだ。

 話を戻してその「 ポンパドゥール夫人の肖像」。
 モデルは、平民階級出身乍らその美貌と幼少期からの教育と素養から、国王ルイ15世の公式の愛妾にまで登りつめたポンパドゥール夫人、本名ジャンヌ=アントワネット・ポワソンだそうな。

 侯爵夫人となったこの女性、政治に関心の薄い旦那に代わって権勢を振るう一方、エリゼ宮などの離宮を建てるわ高価な美術品を買うわ、湯水のように浪費。
 ただ、秀でた文芸的才能からブーシェを始めとした芸術家たちの庇護、早い話がパトロンとなって、ロココ美術の発展に貢献という意味では功績は大きい。

 ベッドで政治を牛耳ったとされる侯爵夫人、似たもの同士? オーストリアはハプスブルク=ロートリンゲン朝の女傑マリア・テレジア、ロシア・ロマノフ朝の女帝エリザヴェータと謀りプロイセン、今のドイツ北部辺り。包囲網を結成。

 Mdchenこの “ 三枚のペチコート作戦 ” と呼ばれる交渉によって、宿敵オーストリアと画期的な和解を結んだとか。

 これが縁で、ルイ15世の孫のルイ16世、ちなみにこの御仁フランス革命で称号が “ フランス国王からフランス人の王 ” となった。の許に嫁いだのが、なんと16人もの子をなした肝っ玉母さんマリア・テレジアの末娘マリー・アントワネット。

 アントワネットがルイ16世に嫁ぐ三年前に侯爵夫人は帰天、直接の接点はない.。
 が、公爵夫人が旦那に 「本妻さんとおんなじお家は嫌!」と言ったかどうかは知らないが、おねだりして建てた離宮小トリアノン宮で子供と静かに暮らしたともされる。
 とまれ、フランス王政最後の時代に華やかに生きた女性ふたりである。

 序でだ、ここに架かるブーシェのもう一枚、「ソファーに横たわる裸婦」もアップしちゃえ。
 モデルはこれまたルイ15世のお妾さんのルイーズ・オマフィー夫人とか、ほんま好きやなあ、この王様というかおっちゃん
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.597

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