後期ルネサンスの後の16世紀後半、イタリアで起こった表現様式マニエリスム。
美術誌では、ルネッサンスからバロックへの移行期に生まれ、その代表格がエル・グレコと教える。
そのことは、ミラノ出身の画家<アルチンボルド>の稿で、素人が判った風なことを説明するよりも絵を見れば一目瞭然と書いた。
で、ここウフィツィ美術館蔵に架かる一枚が、イタリアのボローニャやパルマなどで活躍したパルミジャニーノの、その名もずばり「長い首の聖母」(写真上)。
まあ直截な題を付けたものと思うその「長い首――」、マニエリスムの名に恥じぬ?不思議な感覚を呼び覚まさせてくれる。
普通?に描かれた聖母の顔あたり(写真中左)、バランスが取れて美しい。
その顔に比べ首辺りから心持ち長いようだが、それほど極端でもない。
おかしいのは、異様に太長く、しかも、不自然に捩れている下半身。
その膝の上で、少年ほどの大きさをした幼児が、その場には不似合いに、しどけなく今にもずり落ちそうに眠りこけている。
そこには聖性のかけらも窺えず、とてもこの幼児がイエスとは思えない。
左端で、処女懐胎の象徴とされるクリスタルの壷を抱えているのは、イエスの親戚筋?洗礼者聖ヨハネらしいが、彼とても異様に足が長い。
ここら辺りまでは作者の解釈なので、「好きにしたら」だが、専門家にして意味が判らないとされるのが、マリアの背後で巻物を持つ男と列柱(写真中右)。
そもそも、カーテンらしき物が架かるそこは、家の内なのか外なのかも判然としないらしい。
画家個々人の独創的な感性が、顕著に投影されるのもこの派特有の表現様式。
この絵も細部まで優美に描きこまれ、自然的で人間らしさを探求するルネッサンス様式から離れ、聖母自体が非現実で人工的な印象を与えているとされる。
と同時に、「この表現が、当時理想ともされたんだ」と解説されれば、聖母の胸の辺り(写真下)、さほどデフォルメされていないこともあって頷けないでもない。
ただ、この絵も、「ふ~ん、そうなんだ」と眺め、「さも、判った風にやね」首を傾げ、次の絵に進んだ方がよろしいようで、はい。
Peter & Catherine’s Travel Tour No.342