ティツィアーノ 「ウルビーノのヴィーナス」(写真上)。
手に紅いバラを持って寝台に横たわり、柔らかな薄い笑みを浮かべる愛と美の女神ヴィーナス。
窓辺では、<ミルテ>の鉢植えが黒いシルエットで描かれている。
バラもミルテも永遠の愛の象徴であり、尾を巻く子犬は貞節を表しているとか。
ウルビーノ公グイドゥバルド2世が結婚を記念して委嘱したとされるこの絵は、結婚の寓意画として読み解くことができるのだそうだ。
しかし、この絵は、伝統的な寓意画の枠にとどまっていない。
ヴィーナスが向ける視線は、それを観る者に対して女性の神聖性を訴えるとともに、ある種のエロティックさを抱かせている。
彼は、ヴィーナスの形を借りて女性の裸体を描いたとされている。
この絵は、スペイン・ロマン主義の画家<ゴヤ>の「裸のマハ」(プラド美術館蔵)、フランス・印象派の画家マネ「オランピア」(写真中:オルセー美術館蔵)など、後世の画家に大きな影響を与え、男性垂涎の裸体画の出発点になったとも。
余談だが、マネは、「オランピア」で高ぶる性欲を象徴するものとして、犬に代って尾を立てた黒猫を描き込んでいるのだそうだ。
話はそれたが、ここで、<パラティーナ美術館>などの稿で少し触れた、ティツィアーノの 「悔悛するマグダラのマリア」(写真下)に戻る。
この絵の主題は、娼婦であったマグダラのマリアが、イエスの前でその罪を悔い、足元で涙を流し、その涙で濡れた足を自分の髪で拭いた後、香油、画面左下に香油壷が描かれている。を塗るマグダラに、「あなたの罪は赦された」(ルカ福音書7章36‐50)と告げる場面である。
カタリナ が、カラヴァッジョが同じモチーフで描いた 「<悔悛するマグダラのマリア>」で、“ 彼女の頬をひと筋の涙が濡らすのは、神に仕える歓びと畏れか?” と書いている。
それと同時に、カラヴァッジョの絵の中では数少ない、「あざとさのない、切ない愛の絵だと思う」とも。
それに比べて本作は、同じ主題でありながら、マグダラの手の下で金髪に輝く髪が裸体を包み込むその姿は、深い同情性を誘うと同時に宗教画を超えた高い官能性を公然と表現しているのである。
そのことこそが、ペトロ が 「<フローラ>」や 「悔悛――」など、芸術が放つ香気に立ち竦まされる理由でもある、「・・・ン?」「ほんまやて!」。
Peter & Catherine’s Travel Tour No.337