ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

茶飯釜の茶事

2011年06月03日 | 茶事/茶会

 奈良のお仲間と勉強を兼ねて、少し珍しい “ 茶飯釜の茶事 ” を開いた。

 亭主役のMmさん、この茶事のメイン、板風炉の茶飯釜で美味しいご飯を炊くため、炭加減など何度も試されこの日を迎えたとか。
 道具組は、Aさんのいつも墨跡鮮やかな会記でご覧あれ。

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 余談だが、おくどさんでご飯を炊いたことがある人、随分と少なくなっただろうと思う。
 始めチョロチョロ中パッパ、赤子泣いても・・・、と教わったの、ひょっとして私だけじゃないよね?

 話はそれるけど、その昔、三種の神器と呼ばれた洗濯機と冷蔵庫、そして炊飯器が、主婦に限らず女性をどれだけ家事から解放したことかと、遠い日を懐かしくも想う。

 それだけに、ご飯が炊き上がるまで、亭主の Mmさんよりもドキドキしてしまったかも?
 亭主や客が助け合いながら、火吹き竹で炭の火力をあげたりする。
 美味しそうな匂いが、茶室に漂い始めるとほっと安心。

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 ところで、この茶事、ちょっと大袈裟に “ 幻の茶事 ” なんて言われてもいるが、元を質せば、ひとつきりの釜で粥を炊き、その釜で簡素にお茶を沸かす、致し方ない不如意な状況をさらりと侘びに生きるが本意であろう。

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 利休さんの時代に、草深い山科の地に庵を構え寓居、ひとつきりの釜を楽しんだ伝説の茶人丿貫(へちかん)の逸話が残る。
 この釜、別名を「宗徳釜」と呼び、堺の豪商銭屋宗徳が三代目宗旦から贈られたのが由来。

 宗徳、号を自在庵一釜斎とし、生涯この茶飯釜ひとつを自在に掛け、飯を炊き、茶を喫み、侘を楽しんだと言う。

 釜の前後には、“ 気儘自在に “ の意であろうか、「飢来飯(きらいはん)」と「渇来茶(かつらいちゃ)」が鋳出してある。
 この言葉、大徳寺の清巌和尚の筆との説があり、この茶事を創ったとも言われている。

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 話を戻して、この日の茶事、炊き立てのご飯、料理上手のMmさんが手ずから拵えた擂り流しの緑鮮やかな冷製煮物椀など、とても美味しく頂いた。
 Uさん手作りの山椒の香りも美味しい薯蕷饅頭が、席を和ませてくれた。

 入梅に合わせたように台風が近づいた生憎の空模様だったが、そんなことを忘れさせるほど賑やかに、そして濃密な時が流れた。 (
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.334

コメント (1)
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