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ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

白茶と青茶 ‐ 茶の話(五)

2012年04月09日 | 宗幸雑記

 茶の製法の違いとは?
 白製と青製の違いのことで、上林家の「茶入日記之覚」(1619年)に “ 青茶 ” と記されている。
 青茶とは湯引き製法で作る茶で、新芽を蒸すのではなく沸騰した湯の中に通すのだが、灰汁(あく)を少し入れると葉の色素と灰汁のアルカリ性が反応し鮮やかな緑色になることを発見。

 小堀遠州が、古田織部好みのこの青みを帯びた色の茶、青茶、青製の茶を後から出来た茶として「後昔」(のちむかし)と名付けた。

 P2_2O2_2一方「初昔」(はつむかし)は、青茶が出回るまでの茶の製法で、蒸して作った茶のこと。
 遠州は、従来の白みを帯びた色の茶を “ 白茶 ” と名付け好んだという。

 これが、最初の昔の製法、昔とは伝統ある昔ながらという意。で造られている茶のことで「初昔」と名付けたという訳。

 初昔、後昔の名付け親と伝えられる遠州は多才な人で、御茶吟味役として宇治茶にも関わり深く、それまでの茶名が等級を示しているだけだったものを、季節や茶園などを表す銘をP4_2P3_3付けたり、茶の道具に銘付ける風雅な楽しみをもたらした。

 茶道では、何人かが一椀を廻し飲む「濃茶」と、一椀を一人で飲みきる「薄茶」がある。
 これまでに書いた茶の等級や、茶名、顧客である茶道家元などに「銘をお願いします」と付けてもらった御銘のことは、その濃茶に使う茶のこと。

 現在、薄茶用にも銘が付けられ販売されているが、明治時代でも別儀(べちぎ)、間詰(あいづめ)、極揃(ごくそそり)など等級を表す名称で、薄茶の銘の歴史は浅い。

 V5P5その昔、試飲して茶を決めると、注文した茶は半袋(10匁)に茶銘、摘採日、詰めた日、詰めた茶師を記し購う人の茶壷に詰め保管、その袋をつめた茶壷の隙間に詰め茶をするのだが、これが薄茶用抹茶となる。

 詰茶は試飲していないので茶師により味に差があり、購った人が茶師の優劣の判断をしたり、好み違いで取引を中止したりした。
 そこで茶師達は詰茶を持ち寄って<合組>しておき、詰茶で差が出ないようにしたと聞いたことがある。仲間内の知恵という訳。

 余談だが、現在は灰汁で湯がく青茶製法は不純物混入の問題もあり、蒸す白茶製法になっている。

 五回に亘ってのお茶の話、参考になりましたでしょうか?
 日本の言葉は言霊ともされ美しい。茶道の中で知る言霊に日本人であることを感謝する日々です。

 ところで、紅(あか)に始まり、白、紫、そして、黄と続いた花シリーズ、最終回は桃色です。
 ペトロが撮りためた中から選びましたが、どの色の花もそれぞれに美しく心を和ませてくれました。(
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.452

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初昔と後昔 ‐ 茶の話(四)

2012年04月06日 | 宗幸雑記

 通称金閣寺と呼ばれる鹿苑寺、その鹿苑寺四世鳳林承章(ほうりんじょうしょう)が、1635年から34年間にわたって記した「隔冥記」(本字は草冠に冥)という日記がある。
 その日記には、千宗旦、金森宗和などとの交友が記されているが、その中に、宇治に茶詰めを依頼した各茶師と茶銘のことが残されている。

 Y2O1茶摘みや製茶の違いや園の名前、鷹爪などの茶葉の形状などから茶銘を付けているようで、極、極上などに示された今までの付け方から変化が出てきている。
 それでも茶銘は、茶師のたちの符号の役割であったように思われる。

 この日記にある、“ 初昔 (はつむかし)、“ 後昔 のちむかし)ついて、上林家前代記録では、「公方家(徳川将軍家)お好みの極上の茶」と書かれているが、1642年の仙洞御所の茶会で上林の後昔が使われたと書かれているので、初昔、後昔の茶銘はもう少し前から使われていたようだ。

 Y3_2Y3初昔、後昔の茶銘の抹茶は、現代でも販売されているので歴史は相当に長い。

 裏千家11代玄々斎の言葉を聞き書きした茶法書に、「初昔、後昔は、夫々の茶師の家の極上の茶10斤の中から良い茶を1斤選び出し、その1斤からさらに選別した六十分のもの」と書かれている。
 ということは、同じ名前でも各茶師で味は違っていたと思われる。

 ちなみに、宇治茶1斤は200匁(約750グラム)で10分の1が1袋20匁、その半袋は10匁。濃茶が極上の茶といわれる訳が分かる。

 Y4Y5この徳川将軍家お好みの茶、初昔、後昔は、茶人が命名した抹茶ではと言われている。

 昔の字を分解すれば「廿一日」となるので、立春から八十八夜前後の21日間、その前半に摘んだ茶が初昔で、それより後半に摘んだ茶が後昔と、若い頃に聞いたことがある。

 抹茶になる覆い下の茶は、被覆効果が出る5月中旬くらいが摘み始めなので、このような俗説が生まれたのではないかとも言われている。

 今では、初昔、後昔の茶銘は小堀遠州が名付けたと伝えられているのだが、では、この銘々の由来とは? 茶の製法の違いにあったと言う。それは次回に。(
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.451

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格付け ‐ 茶の話(三)

2012年03月14日 | 宗幸雑記

 室町幕府八代将軍義政の頃、茶の品質、等級を表す呼び名、「吉、ヨシ、ヨキ、上、ヒクツ(挽き屑)」などが残されているのが茶銘の始まり?

 「山科家礼記」(1491年)に、茶銘として「無上」が記されており、「茶具備討集」(1554年)に、無上は森、祝、宇文字、朝日の四園の茶を称し、それ以外の茶園の茶には無上は付けないとある。

 P110室町後期には、茶の品質、等級の茶銘として、「無上、別儀、ソソリ(揃)、クダケ(砕)、ヒクツ(挽屑)」が一般的になった。
 無上(茶会記では濃茶、薄茶用)は、この時代における最高の茶を意味しているが、何故この銘が付けられたのかはっきりしない。

 はっきりしないのは別儀(濃茶用)も同じ。
 京都の茶好きが、無上ひと袋の中から良質の茶葉だけを細い箸で選り出し茶会をした。
 V1R1_2客は村田珠光、松本珠報、志野道耳などだったらしいが、「美味しい」と評判になり、これが別儀になったと伝えられている。 客は武野紹鴎だと伝える本もある。

 また、その紹鴎が葉茶を蒸すときに、「そっと蒸して欲しい」と注文したので別儀の銘が付いたとも伝えられている。

 天正年間(1573年~92年)には、無上、別儀に変わり、「極無」、今も最高級の濃茶のことを表す「極上」、「極」が茶銘として台頭している。

 V2Blog無上の銘が衰退していくことは、茶業者の栄枯衰勢にも絡んでいる。
 室町時代の茶師は幕府の滅亡とともに多くが没落、信長の時代に一番の茶師とされた森家も、秀吉の時代から徳川時代に代わると上林家に押されていく。

 江戸時代は、上林家一族が宇治茶の世界を引っ張った。
 上林竹庵、上林三入、上林味卜(みぼく)上林六郎、上林又兵衛、上林春松などの茶師が活躍、上林家は宇治郷の代官でもあった。

 こうした中で、宇治では「御茶師三仲ケ間(さんなかま)」を組織している。
 三仲ケ間とは、禁裏、将軍家に茶を供する「御物(おもの)茶師」、徳川家が寺社に献上する袋茶を詰める「御袋(おふくろ)茶師」、その他の茶を供する「御通(おとおり)茶師」の三段階に分けられた茶師のことで、全部で40軒余の茶師が活躍していたという。(
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.446

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合組(ごうぐみ) ‐ 茶の話(二)

2012年03月12日 | 宗幸雑記

 いわゆる宇治七園、森、祝、宇文字、河下、奥山、朝日、琵琶は、御用茶園になった以上は栂尾を凌ぐ茶を作るのが命題だった。

 宇治が天下一の茶の産地と言われるようになったのは、茶を扱う人が経験的に霜を防ぐと美味しい茶が出来ることを知っていたこと、その霜を防ぐために覆う莚を作る条件が揃っていたことに拠るとされている。

 W220宇治の近く巨椋(おぐら)池があって莚に使う葦が豊富に生えていた。
 加えて宇治川で京都と繋がり肥料が豊富、将軍家からの資本も潤沢で覆下栽培に大々的に取り組める環境にあった。
 ポルトガルの宣教師ロドリゲスは、「宇治では茶畑の上に棚を作り葦の筵で囲い、2月頃から新芽の出る3月末まで霜の害を防いでいる」と記している。

 よい抹茶の三条件は “ 色と香と味、これを揃えるのは大変難しいと想像できる。

 W4W3覆下で被覆効果をした茶葉を透かしてみると、青み、黒み、白み、赤みが見えると言い、この色合いが、挽き上げると抹茶の色に微妙に影響するのだそうだ。

 赤土で育ったものは赤みが、粘土質のものは香気があるとされ、宇治川の低地、砂地の茶園のものは、色、艶はよいが味は淡白でコクに劣るとも。

 茶は茶壷に入れて口切(11月くらい)まで密封し保管するのだが、赤土や粘土質の茶は保存状態がいいが砂地の物はいまひとつとも言う。

 B2_0_26_2ということは、ひとつの茶園で三つの条件が揃った茶を作ることは至難の業。
 そこで茶業者は、いろいろな場所で取れた茶葉をブレンドすることになる。このブレンドのことを “ 合(ごう)” すると呼ぶ。

 茶葉を “ 合組(ごうぐみ)”する歴史は古く、茶業者が秘伝として技術を伝えて現代に至っているのだそうで、今風に言えば差し詰め企業秘密?
 当時は、茶壷を茶師に預け新茶を詰めて貰ったのだそうだが、注文する方は試飲し詰める茶を選び出したという。

 将軍家が買い求める茶は、京都所司代などの立会いのもと古田織部、小堀遠州など御茶吟味役が試飲し決めていたらしい。
 見本の茶には識別する記号や名称が付けられていたそうだが、花、竹、梅、など結構適当に付けたと思われる茶名も見られるというから面白い。(
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.445

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本茶と非茶 ‐ 茶の話(一)

2012年03月09日 | 宗幸雑記

 すべて物には名前があるように、茶の世界でも菓子には菓子屋が、抹茶には茶師がそれぞれ名前を付けている。

 茶の命名は少し意味が異なり、茶師が名付けたものは単に「茶銘」といい、茶師が上得意の僧侶、公家、武家や茶道家に「名を下さい」と付けて貰ったのは「御」の字を付けて、「御銘」となる訳。

 O5O4お茶席では「御銘」、抹茶を作った茶師・製造家である「お詰元」などの名を訊ねるが、道具立て、菓子の名前や茶の御銘などから、そのお茶会のテーマを連想するのも楽しみのひとつである。

 一般的な粉末茶は20ミクロン(μm)で湯を注ぐと混ざるが、抹茶は5μmから10μmの超微粒子なため湯を注ぐとダマになる。茶筅で混ぜるのはこのため。
 ちなみに、1μmとは1000分の1mm。

 R3R2抹茶の喫茶法は、京都の古刹、建仁寺を開山した栄西禅師 が1191年宋より伝えたとされている。
 彼は宋に2回渡ったとされているが、2回目の帰朝で九州の平戸に着き、そこで宋の禅院の喫茶法と茶の種を持ち帰り栽培した。

 日本では、平安時代中頃から茶の栽培が途絶えていたが、栄西によって茶の栽培が復活したとされている。

 彼が伝えたのは抹茶の喫茶法だが、中国では明の時代になって釜炒りの煎茶が主流になり、蒸して作る抹茶などは廃れていったという。

 R5R4栄西禅師により茶の種を貰ったと伝えられているのが、御鳥羽上皇より京都栂尾山を賜った明恵上人(1173~1232年)で、栂尾で茶の栽培、良質の茶を作ったとされ、この茶園で作られた茶は “ 本茶 ” と呼ばれた。

 ちなみに、全国に広まった茶園で取れる茶は “ 非茶 ” と呼ばれ、南北朝時代には産地を当てる飲み比べや金品を賭ける闘茶が流行り、庶民には一服一銭の茶売りが喫茶の裾野をますます広げた。

 室町幕府の三代将軍足利義満が、宇治に七箇所の御用茶園を拓いた。
 これが、森、祝、宇文字、河下、奥山、朝日、琵琶の茶園で、宇治七園と言われる。
 “ 非茶 ” のひとつだった宇治がどうして “ 本茶 ” 栂尾を凌ぎ、日本一の美味しい茶の産地となったのか? それは次回に。(
 (これまでに撮った写真から。今回は「紅い花」ですが、“名前” は判りますか?

 Peter & Catherine’s Travel Tour No.444

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寒い時期の筒茶碗

2012年02月27日 | 宗幸雑記

 雪や寒風騒ぐ日々が続いているが、この時期だけ形が筒状で普通の抹茶茶碗より口径が小さい筒茶碗を使うお点前がある。
 普通の茶碗より口径が小さいと点てた抹茶が冷めにくく、客に少しでも暖を感じて頂くという心使いである。
両手ですっぽり包み込んで頂く薄茶は、茶碗の温かさが手から身体に伝わり、薄茶の味も増す。

 教室では、二月は例年筒茶碗を使い “ 絞り茶巾点前 ” を稽古する。
 そのお稽古も、幾分か水ぬるむ時期になって、そろそろお仕舞いの頃となった。

 A1_3 A2_3 

 # 床には Yo さん、Ni さんがお持ち下さった梅と椿を生ける。(左)
 
# 絞り茶巾では、茶碗を拭くための茶巾、一般の布巾のこと。を、四つ折にして絞った状態で先を上にして茶碗の左側に入れ茶筅茶杓と組む。(右)

 B1_3 B2_3 

 # 点前は薄茶点前どおりに進める。(左)
 
# 違うところは、筒茶碗の拭き方と絞った形の茶巾を、席中で三つ折に畳んでから四つ折りに畳むこと。(右) 

 拭き方も、筒茶碗は口径が小さいので少し違う。
 いつもは茶碗の周りを拭き、茶碗の中を平仮名の “ ” の字、底を “ ” の字を書くように拭くが、口径の小さな茶碗なので茶巾を人差し指と中指の二本で挟み、まずは “ ” の字、次いで “ ”の字と中から拭いてゆく。

 C1_2 C2_2

 # それから、茶巾を茶碗のふちに掛けて三回半、拭き茶巾で茶碗を挟んだまま膝前に置き、茶巾をはずすのだが、こうすれば自分の手の甲が拭いた茶碗につかず清潔。(左)  
 
# 茶筅通しや茶を点てる時に、左手で茶碗を少し斜めに傾けて扱うと茶筅の扱いが楽だし細やかに点てられる。(右) 

 温かさの心遣いがこの筒茶碗を使った “ 絞り茶巾点前 ”、酷暑の時期には少しでもお客に涼しさを味わい感じて貰う “ 洗い茶巾点前 ” もある。

 茶道では季節の移ろいを五感で感じるいろいろな点前があり、主客それぞれが共に楽しめる。

 D1

 # 主客がともに楽しみ笑顔が広がる場面を、昨年の地域の文化祭で写真クラブの方が鮮やかに写して下さった。(上)

 その写真、「和」の題を貰ってクラブの作品展示会に飾られたが、笑い声の絶えない楽しい稽古場風景はお客様を迎えても同じと、その写真を見て嬉しくなった。
 それにしても「和」とは、素晴らしい題だと思いませんか?(
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.439

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稽古納め

2011年12月26日 | 宗幸雑記

 すところ五日ばかり、各地からは年の暮れの風物詩も届く。
 振り返れば、お正月の松が取れた中旬から三回、年初の釜をかけて新年を寿ぎ、2月からお仲間の皆さんと通常通りの稽古を始めた。

 A2_2A1_2今年は、東日本大震災に続く福島原発の大事故、季節の変わり目にごとに襲ってきた豪雨禍など、多くの方が辛い目に遭われた年でもあった。

 そんな厳しい世情だったけれど、茶事、裏千家や茶会訪問、飛鳥茶会や公民館主催の文化祭の呈茶、陽明文庫見学など、課外稽古も楽しみながら学ぶことができた。

 その稽古も、クリスマスイブで、無事納めることができた。
 それも、お仲間の皆さんの支えあってのことと感謝している。

 A4A3 翌日曜、降誕祭の主日(日曜礼拝)のミサをお休みして墓参を済ませた。

 ところでペトロ、墓参の帰途、恒例の<寄り道>ともなりつつある、「温泉に浸かって、一年の疲れを流して帰ろう」と、誘ってくれた。

 昔からあったのかどうか知らないが、温泉旅館などが宿泊しなくとも入湯を楽しめるプランを売り出しているし、小奇麗な公共の入湯施設もある。

 A6A5 それで 「何処かいいところはないかなと探していたようだが、墓参後のこととて時間も限られ、結局は何時ものとおり、帰り道にある有馬の湯に浸かり炭酸煎餅を齧って帰るコースを楽しんできた。

 稽古中の留守を快く守ってくれたし、稽古を終えて少しでも疲れが取れればと気を遣ってくれるペトロに感謝のほかない。

 ただ、自分の健康もさりながら、連れ合いに長患いをされるとお稽古どころではなくなるのも現実。
 帰りの道すがら 「ありがとう、疲れが取れたよの言葉を添えて、「来年も元気に過ごしてね」と言うと、こちらの気持ちなどとっくにお見通しのよう、「・・・・」苦笑いを浮かべ乍らハンドルを握っていた。

 今年一年、稽古の場を和ませてくれた 「花」とともに、重ねて皆さんに感謝。 (
 peter & Catherine’s Travel Tour No.416

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茶杓箪笥 ‐ 陽明文庫(後)

2011年12月09日 | 宗幸雑記

 後西天皇が、天皇として唯一六本の「宸作茶杓」を残され、「予楽院茶杓箪笥」に収められているというところまでが前回。
 「稲葉茶杓箪笥」にも後西天皇宸作が一本あって10年ほど前にある展覧会で拝見した。
 その折、手控えとして、“ 腰が素直で櫂先と切止めにしみ、折溜めから露先まで短い ” と感想を書いている。
 今回の作も同じく、腰は素直だし、無理の無い姿の美しい作である。

 予Photo_2楽院近衛家熙(いえひろ)や後西天皇に香道、学識、詩歌など教えた常修院宮は、宮廷文化サロンのリーダーで、後西天皇の父である後水尾院をはじめ公家との交流のなかで、「姫宗和」と呼ばれる優美な茶風を築きあげた金森宗和から茶を学んでいる。

 その宗和作の茶杓も並んでいたが、当時の宮中が彼の影響を受け、品の良い素直な茶杓で露先がきれいという感想を得た。

 後西天皇と宗和の他に「予楽院茶杓箪笥」に収められているのは、利休、宗亘、10年ほど前に拝見している瀬田掃部、織田有楽、小堀遠州、細川幽斎と三斎など。
 武野紹鴎の節切り止め形は、現存する10本の中の1本だろうか?
 それまで中国からの輸入品だった銀のさじや象牙の茶杓を、初めて竹で作ろうとした村田珠光作の茶杓も。

 珠Photo_6光は、茶瓢形、笹の葉形、象牙形の三種類を作ったらしいが、今回はその象牙形を拝見、予楽院の好みを窺うことができた。
 珠光の下削り師だった珠徳の節なし象牙形の茶杓もあった。
 珠光茶杓も僅かしか現存せず珍しいが、珠徳はもっと珍しい。
 初めて拝見したが、珠徳は木製、茶さじ形で残されていると聞いていたので、文庫長に訊ねると、「此処にあるのは竹製」と言われた。

 私の気に入りの古田織部もあり、利休に似た作りの茶杓で、彼は焼き物などで見せる大胆な造形はまったく見られず、師利休に似た鋭さのある形だった。

 名和文庫長のお話を伺いながら、滅多に拝見することが叶わぬ茶杓ばかりを目の当たりにし、少し舞い上がってしまったことを長々と綴ってしまった。

 小春日和の一日、臨済宗の名刹妙心寺の塔頭大法院(写真)に足を伸ばし、紅葉を愛でながら醒めやらぬ余韻を楽しんだ。(
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.409

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茶杓箪笥 ‐ 陽明文庫(前)

2011年12月07日 | 宗幸雑記

 11月の晦日近く、小春日和の一日のこと。
 お茶のお仲間の皆さんと、紅葉が観頃の京都にある五接家筆頭の近衛家伝来の膨大な史料を保管する「陽明文庫」(写真上)を訪ねた。

 今2回の企画は、奈良のお仲間の Mm さんのご尽力によるところ大きく、文科省がユネスコ記憶遺産に推薦した国宝「藤原道長御堂関白記」や素晴らしい刺繍の踊る表具裂が使われた軸など、名和文庫長の直々のご説明で、貴重な文庫所蔵品の一端を拝見できることになり感謝のほかない。

 その日伺った者は、「裏千家を勉強しています」と予めお伝えしていたので、心のうちでは「予楽院茶杓箪笥」に収められている三十一本の茶杓のうち、一、二でも拝見できればいいなと思っていたのだが、なんと文庫長は、十本余りを並べて待っていて下さった。

 滅多に見せてもらえない茶杓ばかり、舞い上がってしまって、後になってもっとしっかり箪笥を拝見しておくのだったと、帰宅してから勿体ないことと自分を叱った。
 お笑いめさるな、反省とおさらいの意味も込めて、その「茶杓箪笥」とそこに収められている「茶杓」について改めて勉強をした次第。

 「Photo_5茶杓箪笥」(写真下:展覧会HPから)は、高さと奥行きも幅30cmくらい、正方形に見えなかったので幅は少し短いか? ため塗りの慳貪蓋(けんどんふた)は、箪笥の横に立てかけてあった。

 箪笥の左側に、儒教の教えである「五常」の “ 仁・義・礼・智・信 ” の文字が書かれた白い紙が貼ってあって、その一番上 “ 仁の棚 ” に、後西天皇(ごさいてんのう)作の茶杓が入っている。

 江戸時代に第111代天皇に即位された後西天皇は、専ら学問に打ち込み、「水日集」などの著作を残され、和歌の才能もあり古典への理解も深かったのだそうで、天皇としてはお一人だけ「宸作茶杓」を残されたという。

 その茶杓、六本あると聞いていたのだが、ある書籍で、“ 一本が貸し出されて戻っていないと紙に書かれて貼ってある ” と読んだことがあり、箪笥をよく眺めてみたが残念ながら判らなかった。以下次号に。(
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.408

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わらべ人形

2011年09月28日 | 宗幸雑記

 茶のお仲間の高槻の H さん、以前、<わらべたち>で紹介したことがあります。
 その H さん、彼女が主宰する「わらべ人形同好会」のお仲間の皆さんと “ 作品展 ” を開かれました。

 A1_4  A2

 ♪ 初春 「お正月」 「おこた
  (写真の上で左クリックすると拡大します。是非、大きくしてお楽しみ下さい。

 人形というと五月人形やお雛様、市松人形のような単品、翁など対になったものが思い浮かびますが、彼女たちの作品は、四季折々の懐かしい思い出の日常を舞台に、無心に遊ぶ童たちの群像です。

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 ♪  ひな祭り」 「春の小川」 「桜まつり」                      「金魚すくい

 夕焼け空になったら、お母さんの「ご飯ですよ~」の声が聞こえてきそうで、大急ぎで走って帰った家路。
 おこたの中で本を取り合い兄弟喧嘩をした冬の陽だまり、どの人形たちにも懐かしい郷愁が感じられます。

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 ♪  「ふるさと」 「ふるさと:左部分」 「ふるさと:右部分

 鑑賞しておられる誰もが、ほっこりした笑顔でした。
 ところで「ふるさと」ですが、一体、何人のわらべたちが遊んでいるのでしょうね?

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 ♪ 秋(2) 「みのりの秋」 「七五三」          ♪  「冬の風情

 写真をご覧頂きながら、ひととき童心に戻り、幼き日々を偲んで貰えればと思います。
 若い方には、ついこの間まで何処にでも有った日常風景なんですよ、と伝えたいですよね。

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 ♪ 日本昔ばなし 笠地蔵 ‐�齠」 「笠地蔵 ‐�齡」 「笠地蔵 ‐�齦

 笠地蔵の余りの可愛さに笑ってしまいました。

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 ♪ 日本昔ばなし(2) 「うらしまたろう」 「ももたろう」   タペストリー 笠飾り」 「蓑虫

 ペトロ は、写真をアップしながらオランダの画家「<ブリューゲル絵みたい」だと言います。
 なるほど上手い例えと、珍しく感心したのでした。(

 Peter & Catherine’s Travel Tour No.384

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