フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

モディリアーニ MODIGLIANI - UN PEINTRE AUTODESTRUCTEUR

2005-08-28 21:36:40 | 映画・イメージ

今日は、時間と場所が丁度都合がよく、「モディリアーニ ~真実の愛~」 を見る機会に恵まれた。

アマデオ・モディリアーニ Amedeo Modigliani (1884-1920)

この画家に特に興味を持ったことはないのだが、偶然の出会いになった。この映画は、彼の妻になったジャンヌ Jeanne との愛の奇跡を縦軸に、当時のパリに集ったキラ星のような芸術家の醸し出す熱を横軸に描かれている。ピカソ、ディエゴ・リベラ、ジャン・コクトー、モーリス・ユトリロ、ルノワール、モイース・キースリング、ガートルード・スタイン、ハイム・スーチンなどが顔を出している。

特に、成功と金と長寿を求めるピカソがモディリアーニの compétiteur として、彼の立場からすると厭なやつとして描かれている。本当のところはわからないが、彼らの生々しいやり取りを見るにつけ、これまで漠然と持っていたイメージが覆される思いであった。しかし、ピカソは死の床でジャンヌの予言通り、「モディリアーニ」 と呟いて逝ったらしい。摩擦が強いほど、あるいはそうでなければ心には残らないということなのだろうか。

面白かったのは、ピカソがモディリアーニをルノアールに引き合わせるところ。ルノアールが人生を充分に生きた、やや皮肉家の爺として出てきて、「お前は mad dog か」 とモディリアーニに何度も聞く。彼の本質を見抜いているような口調で、しかしこの若造に敬意を抱いているような様子で。なかなか味のあるシーンであった。ルノアールの絵はどうも好きになれなかったが、この映画で描かれているこの爺には興味が湧いてきている。

当時のパリの芸術界が一つの領域に閉じこもることなく、横断的に人が交わり合い、それが熱狂と同時に競合を生む一方、深く激しい友情(例えば、モディリアーニとユトリロの) をも育んでいた様子が伝わってきた。充分に生きるには、恵まれた世界でもあったのではないだろうか。

首の長い女性を描く画家としての印象しかなかったモディリアーニであるが、彼の激しい生き様 (ユダヤ人としての自虐も含めて) を垣間見る機会に恵まれ、その短い生涯に生み出された彼の静かな絵がその血のほとばしりのようにも感じられ、何ともいとおしくなった。

コメント (9)
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