フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

花粉症 - Chicago

2005-03-15 00:16:07 | 科学、宗教+

今や花粉症の真っ只中である。この時期いろいろな考え(妄想)が浮かんでくることはすでに書いたが、フランス語を始めることになった季節から数えて4度目である。医学の中に、進化医学という考え方が出てきているという。よく読んではいないが、簡単に言ってしまえば、すべての病気には存在価値・意義があるという立場のようだ。この立場に立つと、病気はなくならないし、われわれの生存に不可欠なものかもしれない。それでは、なぜ病気があるのかということになる。ある意味、医学、生物学を越えて哲学の領域にも足を踏み入れる感がある。そこで敢えて、非科学的なことを言わせてもらえば、花粉症という病気は、少なくとも私にとっては自分の中に潜んでいたフランスへの愛を呼び覚ますために在った、ということになるかもしれない。それを呼び覚ますためには、体がいつも通りでは駄目だったということだろう。意識も朦朧とするような、日常の生活から完全に切り離され、頭の中をうろつき回ることができる状態が必要だったのではないか。そう考えて、毎年の辛い季節を耐えるようになってきた。

フランス語に足を踏み入れた翌年の2002年の春から、2003年、2004年と毎年どんな妄想が出てくるのか楽しみに待っていたが、特別なことはなかった。しかし今年は明らかに違っている。「ここではないどこか (quelque part ailleurs)」という、私の奥深く basso continuo (basse cifrée) のように鳴り響いていたものがここに来て噴出してきているようだ。今はシカゴに想いを馳せているところ。東海岸と西海岸から遠く離れたアメリカの懐の中にあり、どこか隔離された印象がある。"The biggest small town" と形容する人もいるように、大都市なのだが小さな町のような人との関係を保つことができ、親しみが湧いてくる街なのだろうか。しかし、日本にはほとんど情報が入ってこない。

もう20年以上前にシカゴを訪れたことがあるが、自分の心象風景と重ったのか、まだ春なのに寒々とした印象しか残っていない。7-8年前に再訪する機会があった。空気が澄み切っていて空は高く、ニューヨークなどとは異なり、確かに大きいのだが小都市の趣があり好感を持った。優れた劇場、美術館、博物館、オーケストラなどがあるが、よそよそしさがない [今日の写真は、その時に The Art Institute of Chicago で発見した Edward Hopper(1882-1967) の画集の表紙]。冬はどんな景色になるのだろうか、などと考えながら街を歩き回った記憶が蘇る。まさに Flâneur として。また、海のようなミシガン湖も素晴らしかった。「ここに住むことができれば、」、心のどこかにそんな子供のような夢が宿ったのか。

早速、Chicago に関する文章が載っている anthology « Chicago Stories » やシカゴ出身の作家ステュアート・ダイベック (Stuart Dybek) の小説 « The Coast of Chicago »「シカゴ育ち」の題で訳本が出ている)、写真集 (一般的なものから公園を扱った « The City in a Garden »、Frank Lloyd Wright の館を集めた « Frank Lloyd Wright’s Chicago » など) を仕入れて、密かな楽しみを味わっている。

今回 BLOG なるものを始めたのも、ひょっとすると花粉の影響かもしれない。

コメント
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