フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2009年8月①

2010年09月08日 | しゃちょ日記

 ───────────────────────────────
 2009年08月01日/その32◇ギター修行僧すかるのあんちょこ

 33 ギター修行僧すかるの冒険 j.JPG

 ギター修行僧すかるのあんちょこ

 身体にたたき込まれたはずなのに
 なぜか頻繁にトチ狂うコンパス、
 左手指先マメ、
 飛び散るブエルタ汗シャワー、
 愛のツッコミでむせび泣きはらした
 嬉し涙と悲しみの涙、
 500mlは使ったかと思われる瞬間接着剤、、、
 媚びへつらいながらも伴奏修行の難関超大旅路に
 敢然と立ち向かう、
 超ドマゾチックすかるの実体験に基づく表技、
 裏技、秘技、ジンクス、爆笑伝説、、その集大成?たる
 秘伝のあんちょこを今ここに公開。・・。

 ――――――――――――――――――――――――

 とまあ、こんな感じ(↑)の異色の大物新人である。
 日刊パセオの「『フラメンコ笑辞典』に、
 あまりにおもろい投稿をお寄せいただけるものだから、
 思わずmixiメッセでスカウトに走り、日パへの不定期連載をノーギャラでお願いした。
 ギター関連の私の友人知人は、ジャンル越えでプロだけでも100名は数えるはずだが、
 このギター修行僧すかるは、そのどのタイプにも属さない未知のおっさんである。
 無論お会いしたこともないので、実際にはおっさんかどーかもわからない。
 彼は私との約束を果たし、初めてだというブログを先日アップしてくれた。
 好みは分かれるだろうが、ハマる人間も多いことだろう。
 けっこうバイレの練習生には学びどころが満載だなと、まぢで私はそう思う。


 ───────────────────────────────
 2009年08月02日/その33◇哀しみのフラメンコ川柳
                   
ヨラ/フラメンコ川柳.jpg

 ヨランダ画伯による「フラメンコ川柳」プロモーション4コマ。
 「フラメンコ 10年やっても 17さい
 実に、実に、うらやましー話である。
 もっとも、こんなの(↓hiro)もあるんで、要は気の持ちようか。
 「フラメンコ 何年やっても まだハタチ

 それはさておき、
 天災美形歌人、北海道・マールの本格乱入で、
 現在すごいことになってる当トピックに、明日はあるのか?
 ちなみに、こんなのが(↓)ヘーキで載ってる(汗)

 「基礎の無い 工事も踊りも 命とり

 「フラメンコ 初めが肝心 男もね

 ───────────────────────────────
 2009年08月03日/その34◇お気に入りの短詩

 君の言葉に歌を聴き
 君のしぐさに舞を見る

 業界の内外から毎日のようにかかるバブル期のお座敷は、
 こんなサビで泣かせるフォーク歌謡調の持ち歌一本で乗り切った。
 そんな短詩が当時の心情にピッタリだったこともあって、
 私の爆唱カラオケに対する反応はそれなりで、
 見知らぬ姐さんグループからバランタイン17年を丸ごとプレゼントされたことは、
 私の生涯における最大にして最後の栄光である。

 三橋美智也や春日八郎を子守唄代わりに聴いて育った世代なので、
 演歌・歌謡曲だけは筋金入りだ。
 自分で歌うことはともかくも、それらを楽しく聴くことにかけては、
 かなり上質なアフィシオナードたる自負がある。

 仕事を最小限に押さえて、カンテ・フラメンコのCDを1日5枚以内と決めて、
 みっちり聴き込んでいた頃、
 ほぼ一年くらいで、これはいい、これはそうでもない、
 みたいな感触が自然とわかるようになった。
 北島三郎と森進一はいいけど、○○○○や○○○○はそうでもないみたいな、
 好みを超越するセンサー感覚である。
 マノロ・カラコールを聴くと三橋美智也を、
 アントニオ・マイレーナを聴くと春日八郎が聴きたくなるという、
 天然異常感覚で鳴らす私の云うことだから、
 もちろんこれはまるでアテにはならない。

 ま、それはともかくも、この国際的な不況が逆に本物志向を促し、
 そろそろ我が日本にも、ミゲル・ポベーダのような
 国民的歌手が出現するのではないかと、心ひそかに私は期待している。

 つーことで、人気・実力ともにカンテ・フラメンコ最前線を突っ走る、
 ミゲル・ポベーダのとれたて新譜『コプラス・デル・ケレール』
 (※ええ加減に訳せば、お気に入りの短詩、みたいな)が、
 くる日も来る日も、朝から晩まで流れるパセオ編集室であった。

ボベーダ.jpg
ミゲル・ポベーダ/コプラス・デル・ケレール
(2009年/ユニバーサル)

 ───────────────────────────────
 2009年08月04日/その35◇フラメンコライブはどう創られる?

 「フラメンコライブはどう創られる?」

 こんなテーマで複数から執筆依頼が来ていたので、
 よく自宅でも顔を合わせるバイラオーラに無理やり頼み込んで、
 きのうの午後、ちょうど今週末のライブを控えた彼女の、 
 その制作現場を取材させてもらった。

090804カデーナ・リハ.JPG

 さまざまなジャンルから集結したミュージシャンたちの、
 その即座のアンサンブルと会話のレベルの高さに舌を巻きつつ、
 時(3時間)の経つのも忘れて走らせたメモは20ページにも及んでいた。

 メモをまとめながらカツどん食ってパセオに戻り、
 ボリュームある経営会議(2時間半)をガッツリすませ、
 取材メモをPCに整理したら、70%完成の記事が二つ出来上がっていた。
 そう、江戸っ子は早いのが取り柄だ。
 これに内容が伴ってりゃあ万々歳のところだが、
 ないものねだりは、いけねえ、いけねえ。(涙、つーか号泣)

 ───────────────────────────────
 2009年08月05日/その36◇天気予報

カプージョ.jpg
[カプージョ・デ・ヘレス/これが俺] ALIA 2000年
   
 知る人ぞ知るヘレスの名カンタオール(男性歌手)、
 カプージョ・デ・へレスの何が飛び出すかわからない、
 素朴なんだがワクワクするようなアルテ。
 そんな芸風を連想させる私の大好きな落語家、
 昔昔亭桃太郎さんの得意ネタはコレ(↓)。

気象庁の運動会が、雨で中止になったそーです

 4枚リリースするCDの内2枚に入っているネタなので、
 きっと桃太郎師匠ご本人もお気に入りなのだろう。

 あっ、お天気関係者の方がいらしたらごめんなさいね、
 これって失礼すぎですよね。
 でも、これってたぶんギャグですから~
 って、、、フォローにも何にもなってねーよ(汗)

 ───────────────────────────────
 2009年08月07日/その38◇昭和なシュール

 母に手を引かれながら、荒川の上を歩いている。

 対岸の土手同士を結ぶように、
 なぜか川面に直接、あまりにも唐突に
 3メーターの幅もない狭い砂利道が続いており、
 それを東側から西側の小松川方面に向かって、
 私たちは歩いているようだ。

 川向こうで何か用事をすませてきたようだが、
 それが何であったかはわからない。
 やはり手をつないで、私たちの後をついてくる
 姉と兄の姿からすると、私は5歳くらいだろうか。
 そのほかに、川の上を歩く人影はない。

 荒川を渡りきって土手を越えれば、
 そこは都電25番線の終点『西荒川』あたりのはず。
 電車道にしばらく沿って、
 煙草屋を左に行けば我が家がある。
 ロッシーニを口ずさみ、上機嫌で仕事をしながら、
 父は私たちの帰りを待ちわびていることだろう。

 波の荒れる、こんなに幅広な大川を歩くのは、
 泳げぬ私には相当に怖いはずなのだが、
 母としっかり手をつないでいるせいなのか、
 まったく恐怖は感じていない。
 つくしん坊が生えているはずの小松川の土手は、
 もうすぐそこだ。
 だが、いくら歩いてもなかなかたどり着かない。
 おかしいなあ。
 でも、そんなことはどーでもいーや。
 そう思いつつ、黙々と私たちは歩く。

 おそらく小学生の頃に見た夢だと思うが、
 いまだにその光景を鮮明に憶えている。
 土手の緑と荒川の青が印象的だったから、
 それはおそらくカラーの夢だったのだろう。
 夢の記憶は、そこでプッツリ切れるのだが、
 いつかその続きが観れないものかと、
 もう40年以上も想っている。

小山家/日比谷公園.jpg

 ───────────────────────────────
 2009年08月08日/その39◇アントニオ・ガデス

 「とにかくパセオを続けること」
    

 舞踊団を率いて来日するたびに、フラメンコの帝王、
 アントニオ・ガデスは、若い私にこのことだけを求めた。

 ガデスは聡明で優しい人だった。
 私を見た瞬間に彼は、
 「この男が憶えられるアドバイスはひとつだけだろう」と、
 とっさに判断したに違いない。
 
 アントニオ・ガデスは完璧主義者だったが、同時に
 相手のレベルに合わせた要求も出来る人だった。
 私は不完全主義者だが、同時に自分のレベルに
 合わせた要求には応えようとする人である。
 それゆえ、私は彼との約束を守り続けているのだ。

ガデスDVD.jpg

 本国スペインでも発売されていない、
 「永遠なるアントニオ・ガデス」を描く
 スペイン国営放送制作、
 株式会社パセオ発売によるDVD

 

           
 ───────────────────────────────

しゃちょ日記バックナンバー/2009年8月②

2010年09月08日 | しゃちょ日記

 ───────────────────────────────
 2009年08月09日/その40◇残暑見舞い

 法事で訪れたお寺で、男が用を足していると、
 不ウンにも紙がない。
 援軍頼みに小窓から顔を出してみると、
 ウンよくひとりの僧が歩いてくる。

 「あんた、この寺の坊さんかいっ?」
 「そー(僧)です」
 「紙がねーんだ、持ってねーかい?」
 「何枚だあ? なむまいだあ」

 結局、あまりに横柄な男の態度に、僧は去ってしまう。
 こーゆー奴は、ホットケということなのだろう。
 男は仏にも見放され、カミにも見放された。

 こないだテレビでやってた三笑亭夢之介師匠の
 冴えたお笑いに、お寒い蛇足を加えてみた。
 この暑さの中、凍えるよーな寒さを提供しよーとする
 献身的なこのわたくしからの、
 みなさま方への残暑お見舞い。

 ───────────────────────────────
 2009年08月10日/その41◇父の戦略

 「きれいに焼けちゃったなあ、はっは」

 焼け跡を静かに見つめる兄は、駆けつけた弟をふり返りながらこう云う。
 二十数年前、隣家からのもらい火で生まれ育った実家が全焼した。
 悲劇を喜劇に転じようとする、その爽やかな笑い声がいまも心に響く。
 「便所まで丸焼けで、あれがほんとのヤケクソだったよなあ」。
 そんな昔話に、何度ハラを抱えて笑い合ったことだろう。

 「長男は堅気に、できれば公務員に。次男は自由な道で」。
 真田一族じゃないけど、それが親父の戦略だったんだよと、
 四つ年上の兄から、数年前そのことをはじめて聞かされた。
 幸村みたいに勝手放題に跳ねまわるお前がうらやましかったよと云う兄だが、
 彼にしたって第一志望の小学校の先生になれたわけだから、
 そこはおあいこのように思える。

 怖いもの知らずに荒稼ぎしていた学生時代の私には、
 実家や兄にその半分ほどを回していた一時期があった。
 当時は大学の合気道部一直線だった武闘派の兄は、
 そのことをいまだに恩に着てくれるのだが、
 二度の結婚や株式会社設立の時には目ん玉が飛び出るような祝儀を包んでくれた。
 おまけにもう四半世紀近く、兄には大きな借金の保証人を引き受けてもらっている。
 私がポシャれば兄貴もポシャる、通算すれば数億円の保証人だ。

 昨年から兄の連帯保証なしで借金が出来るようになったので、
 これまでほんとにお世話になりましたと、
 この正月の兄宅の新年会で両手をついて永年の礼を云ったら、
 手放しで喜んでくれると思っていた兄がちょっと寂しそうな表情をした。
 兄にとっての私は、ヤクザな弟であると同時に、
 手がかかって当たり前のバカ息子同然だったことに、その時気づいた。

 その元旦の新年会では私の連れ合いが作るパエージャが恒例化しているのだが、
 甥や姪たちがこれに夢中でパクつくのを横目に見ながら、
 兄との共通項である文学の話になった。
 音楽はからきしダメで、昔から硬派文学を好んだ読書家の兄だが、
 近ごろは肩の凝らないエンタテインメントがお楽しみらしい。
 とっておきの愛読書は超人気作家、あの佐伯泰英さんの時代小説だと云う。
 その新刊はすべて買う、テレビドラマも全部観る。
 あっ、フラメンコの小説なんかも書いてるぞ、おまえ、佐伯泰英知ってるか?

 その昔の数年間、フラメンコ協会設立・運営のために、
 毎晩のようにその佐伯さんとツルんでいたことを私は話した。
 当時ビンボーだった佐伯さんが無理やり買った四輪駆動の保証人、
 しょーがねえんでオレがなってやったんだよ。

 ほ、ほんとかよ、おいっ?
 つーことは、佐伯泰英の保証人がおめえで、
 そのまた保証人がおれだってこと?……。
 ううっ、さすがわおれ様の弟だあ!と、
 こんどは心底うれしそうに笑った。

都電・面影橋.JPG

 ───────────────────────────────
 2009年08月11日/その42◇ギブ&テイク

 人生と料理の達人・秀の一周忌が近づき、
 いまも活況を呈する代々木上原“秀”にて、
 秀を愛する老若男女による
 肩の凝らない呑み会をやることになった。

 “肩の凝らない”という秀好みのコンセプトが肝心なところで、
 遠方のお仲間たちにも郵送するそのお知らせの文面は、
 売れっ子コピーライターのヒデノリに書いてもらいたい。
 一行でウン百万を稼いだりもするヒデノリだが、
 私の食いかけのおしんこから
 高級タクアン2枚を進呈することで、
 大喜びで彼はそれを引き受けた。

――――――――――――――――――――――――
 今年は、8月○日を
 「喰いしん坊の日」にさせてください。

 秀さんが、活躍の場を
 私たちそれぞれのココロの調理場にうつして
 早くも1年を迎えようとしています。
 今も差しだされるひと品ひと品の味わいは、
 景気につられてうつむきがちな我々の気持ちを
 どこかで救ってくれているに違いありません。
 そこでいかがでしょう。
 今年は8月○日を「喰いしん坊の日」に。
 ワイワイと集まって、ガヤガヤと楽しい夕べに
 できたらと思います。カウンターにテーブルに、
 お互いの無事を確認しながら笑いあえれば幸いです。

             「喰いしん坊の日」実行委員会

――――――――――――――――――――――――

 う~む。
 文章というのは、こう書くものかと思った。
 いまもみんなの心に生き続ける、
 楽しげな秀の包丁さばきが脳ミソいっぱいに広がる。

 ヒデノリはちょうど私よりひと回り年下のヒツジで、
 週に何度かは呑み交わす、ここ十数年来の
 ご近所のチョー仲良し連のひとりだ。
 近年は、内外の政治・経済情勢や
 スポーツ・文学ネタを彼が担当し、
 冷房入らずの駄ジャレや
 前人未到の下ネタを私が担当することで、
 私たちの美しいギブ&テイクの関係は成立している。

 ───────────────────────────────
 2009年08月12日/その43◇ディスクに潜むドゥエンデ

duquende1.jpg
 『ドゥケンデ/サマルーコ』 POLYDOR/2000年


 恐いほどに切れ味鋭いテクニック、
 憑依した如くにデーモニッシュなまでの表現。
 次はいったいどんなことになるんだろう?
 その張りつめた緊張感に思わず息を呑みながらも、
 最後まで持っていかれてしまう。
 どどっと疲れるが、それは最高の充実感をともなう疲労だ。

 太陽を反射してキラキラと光り輝く美しい水面。
 そして、その水面下にあるのは恐ろしいほどの深みだ。
 ドゥケンデの意識は、常にその底知れぬ深淵の方に集中している。
 アポロン的(理性と調和)なものではなく、
 ディオニソス的(命の根源的力)なものに向かう。
 人間なら誰しも時に持て余してしまう、
 心の奥底に潜む得体の知れない欲求と衝動。
 彼はそうした暗闇とガチンコで向きあう。
 そこでの対話もしくは格闘こそが、
 彼のカンテ・フラメンコそのものと云っていい。

 だから、アレグリアスを歌ってもめっちゃ暗い。
 ペルラ・デ・カディスがシギリージャを歌っても
 「希望の灯」が見えるのとはまったく対照的だ。
 本人的にはパコ・デ・ルシアとのブレリア(レアル広場)がお気に入りらしいが、
 ヤジ馬的にはカニサレスとやったシギリージャが群を抜いて異常にすばらしい。
 期待となれ合いよりも不安と孤独に充ちた現代の、
 その核心を射抜くような容赦なき絶唱には、
 逆に癒されるというか明快なカタルシスを与えられる。

 ――――――――――――――――――――――――

 これは、数年前に書いた販促コピーなのだが、
 ワケのわからん文章がかえってウケたのだろう。
 このドゥケンデのCDが急激に売れ出したことは、
 私の人生最後の自慢である。
 ちょっと前のパセオフラメンコに載った彼のインタヴューは面白かった。
 無口そうなドゥケンデがけっこう楽しげに語っているから。

 「フラメンコは飲まなきゃいけない。
 その源はいろんな意味があるけど、僕はそれを飲む。
 でも、最初から意図したわけでもないよ。
 僕はただ喉が渇いていたんだ(笑)。
 でも、今言った意味はそこにあるよね」

 この象徴的な一節が、いかにもドゥケンデらしい。
 女性を口説くのにもまさにドンピシャの台詞だと思うが、
 すでにそうした前途が絶望視される私は来世での借用に希望をつなぐ。

 さて語るべきは、
 20世紀カンテ・フラメンコの超名盤『サマルーコ』の2曲目、
 例の『シギリージャ/たったひとことだけでも』である。
 ファンタスティックに可愛らしいおとぎの国のお話なのかと思ったら、
 話が違うよ、おゐおゐ、ここは地獄の三丁目かよっ!みたいな、
 約30秒ほどのカニサレスのイントロで始まるアレだ。

 ご存知ない方には、これはもう、実際にお聴きいただくしかないのだが、
 凄いとしか云いようがない位にモノ凄い。
 フラメンコを見くびるクラシックの音楽オタクも、
 これを聴かせると一発で黙る。

 つまり、その、ちょっと説明し辛いんだが、
 録音ではそいつを捉えることが難しいとされている、
 例のアレ(ドゥエンデ)が来てる。
 こんなことを大声でしゃべると、ナンだかよくねーことが起こりそうで、
 先ほどからほれ、ちょっと文字まで小さくなっちまったようだが、お客さん、
 このことだけは、くれぐれも内緒に頼むぜ……って視力検査かっつーの。

 ───────────────────────────────
 2009年08月13日/その44◇そっちかい

 「以前よりも、話の論理が明快になったね」
 論客として鳴らすSが、珍しくこの私を褒めた。

 「習うより慣れろ」。
 または、「闘いながら闘い方を覚えろ」。
 この三年半あまりの最大の収穫は、
 毎日のブログ更新やコメントのやりとりによって、
 自分のしでかしたことや考えたことを、
 ダイレクトに文章で伝達できるようになったことだろう。

 こーゆード素人の駄文を他人さまに読んでいただくには、
 さしあたっての礼儀として、あるいは安全策として、
 起承転結みたいな構成を意識する整理作業が必要だ。
 そして、そこでの論理の練り上げのプロセスが、
 一石二鳥的に、日常の会話なんかにも
 そのまんま活かされることになる。

 ふへへ( ̄▽ ̄) 。やっぱしな。
 そうじゃねーかと内心オレもそう思ってたんだよとニヤけた刹那、
 クールで鳴らす論客Sはこう付け加えた。

 「以前は云わんとすること自体サッパリ理解できなかったけど、
 最近はお前の話す内容のくだらなさ加減がハッキリ理解できるようになった」
   
 ───────────────────────────────
 2009年08月14日/その45◇必勝を期す


 闘う人間たちの喚声が響いている。
 方々に火の手が上がっている。
 どうやら戦闘の最中のようだ。

 「手はず通り、女子供は抜け穴から脱出させました」
 白いターバンを巻き、立派なヒゲを生やした私の家臣らしき精悍な男が、
 私に向かってそう叫ぶ。

 どうやら私は戦闘員ではなく、高い地位の人間らしい。
 時代は中世のようだ。
 見覚えのある回教風の建物がいくつも並んでいる。
 あのアルハムブラ宮殿にもよく似ているなあ。

 「敗戦は時間の問題です。大臣、あちらへっ!」
 見れば、味方とわかる豪奢な衣服を着た人たちの
 首のない亡骸がいくつか整然と並んでいる。
 敵に捕えられ辱めを受ける前に自害を、
 という彼の意図をすぐに察知する。
 それと、どうやら私は大臣らしい。
 それによって、人を見る眼のない人たちで構成される国であることもわかる。

 躊躇も恐怖もなく、そこへしゃがみ込んだ私は、
 その木の切り株にピタリ額をつけ、
 背後から大斧で首をはねやすいような体勢を構え、
 その瞬間を待つ。
 首に軽い衝撃を受け、ああ終わりなんだなと思う刹那に目が覚めた。

 首へのショックは、
 寝床の脇のソファに登るために、いつものようにジェー(犬)が、
 私の体をジャンプ台代わりに使ったときの衝撃だったようだ。
 出番が少なかったのは、わずか数秒で見た夢だったからだと合点する。

 関ヶ原の戦いにおける豊臣方の足軽やら、
 壇ノ浦の戦いにおける平家の船頭やら、
 合戦の先駆けをやったことは多々あるが、
 幹部クラスを演じる夢はたぶん今回が初めてだ。
 いきなりの大出世に驚きつつも、
 戦の夢で勝ち組にまわれたことなど一度もなかったことに、
 ふと気づいて力なく笑う。

 よーし、次回は必ず勝つからなあと、
 自分に暗示をかけるようにつぶやいた瞬間、「ぐぇっ」。
 まるでトドメを刺すかのように、
 ソファのジェーが私の胸元にド~ンと降り立った。
         

 ───────────────────────────────
 2009年08月15日/その46◇何をやっても一生は一生

 「何をやっても一生は一生」

 その昔、プロ棋士を志すきっかけになった警句。
 それまでは、何物かに流されている感じが強かったのだが、
 将棋の月刊専門誌の文中に黒光りしていたこのアフォリズムには、
 きっぱりとしたワクワク感があった。
 そうかっ! 自分の人生は自分で選んでいいのかあ!

 昭和40年代半ば。
 すでに世の中は、あまりにも過保護になりすぎている時代だったから、
 流されやすい中学二年の私は、そんなことにさえ気付いていなかった。
 異様な過保護に本能を狂わされる現代の少年少女も大変だが、
 わたしら世代も同じようなものだったのではなかろうか。

 この言葉が内包するポジティブな開き直り戦略が、
 プロ棋士入門テスト失格に始まる、失敗に失敗を重ねまくるその後の、
 他から流されるのではなく、自ら積極的にスベりまくる人生の、
 あるいはフラメンコという目的にたどり着くプロセスの、
 それらすべての源だったのかと思うと妙に感慨深い。
 将棋専門誌に生きるヒントをいただき、
 いまフラメンコ専門誌に生きる糧と十字架をいただく。

 ちなみに近年は、これまでの数限りない大失敗を
 巧妙にカムフラージュしようとする
 「人間万事塞翁が馬」が座右の銘だが、なにか。

 明治神宮.JPG
 ───────────────────────────────


しゃちょ日記バックナンバー/2009年8月③

2010年09月08日 | しゃちょ日記

 ───────────────────────────────
 2009年08月16日/その47◇仲間
           
 晴天のきのう土曜日。
 午前中に雑用をかたづけ、入院中の友を見舞いに。

 それは彼からのリクエストだった。
 いつだって自分の方から駆けつける、
 アクティブでド根性の塊のような彼の性質からすると、
 それはあり得ないリクエストだった。

 いくら鈍感な私でも予測せざるを得ない内容の話だった。
 それが何時のことなのかはわからないが、
 私だって、いつか周囲にしなくてはならない類の話だ。

 ベッド脇にドヴォルザークのシンフォニーのCDがある。
 ロマンティックを極める第三楽章が印象的な第八番。
 先ほどまで聴いていたらしい。
 そういう趣味を初めて知ったが、なるほど彼らしい選曲だ。

 それまでの経緯、そしてこれからの展望を冷静に彼は語り、
 それを受けて、私は彼といくつか具体的な約束をした。
 でも手術がダメだと決まったもんじゃないんだから、
 明るい路線を考えないのは片手落ちだと、
 彼の論理の欠陥を突いた。

 静けさや 岩に染み入る 蝉の音。
 病院を出たら、芭蕉みたいなシーンが聞こえてくる。
 昼下がりの噛みつくような日差しだったが、
 タクシーをやめて、駅まで歩くことにした。

 いつでも汗水たらして一所懸命に、
 しかし楽しげに働く彼は、仕事上の私の戦友でもある。
 汗だくになりたくなった私は、
 長くてアップダウンのあるそのシンプルな一本道を、
 ややムキになって歩く。

 ───────────────────────────────
 2009年08月17日/その48◇やれやれ

 高田馬場駅前の銀行で借り入れの本契約をすませ、
 やれやれとばかり、パセオ近くのルノアールで遅いモーニングをとる。

 「やれやれ」と云うのは、
 早朝からの自宅デスクでの仕事に熱中しすぎて、
 その日午前10時の契約のことを、すっかり忘れていたからだ。
 朝風呂にも入らず、メシも食わず、短い足のダッシュで駆けつけ、
 ギリギリのところで約束の時間に間に合った。

 この25年、締切を落としてもハラを切らない執筆者たちのおかげで、
 どうやら人との約束を守れるタイプの人間になれたことに、
 皮肉でなく感謝したくなる。
 正直云うと、以前の私は平気でそれを落とす惨めな詐欺野郎だった。
 思い上がって相手の“時”を軽んじたがために、
 せっかくの大チャンスを幾度も逃した。
 今ではあらゆるチャンスをガシリ先手で受け止め、
 そのほとんどにチャレンジ~失敗できるほどに成長した私である。
 ま、とりあえずの結果はいっしょだが、
 その爽やかさやポテンシャルには格段の差があるのだ、と思いたい。

 ま、そりゃさておき、実に感じのよい接客をする、
 バリバリの新人らしきそのルノアールのグラマーなねえさんをチラリ見ながら、
 その言葉の脈略から、中学時代の英文法(グラマー)の女性教師のことを思い出した。

 「グラマーの河井です」

 男子に人気の、女優の加賀まりこさん似の勝気な美人だが、
 ものすごく痩せっぽちだった河井先生が折おり敢えてこう強調し、
 毎度私たちの失笑を買う“やれやれ”な光景を思い浮かべながら、ゆで卵にかぶりつく。

 ───────────────────────────────
 2009年08月18日/その49◇早口言葉


 先月の大相撲・名古屋場所。
 幕内の熱い闘いをテレビ観戦しながら、
 弁当を食っていたら、
 デザートに桃が二切ればかり入っている。

 スモウもモモも幕の内、とはこのことかい。
              
 いかり草.JPG

 ───────────────────────────────
 2009年08月19日/その50◇面影橋から

 何をやっても中途ハンパで、結局どこにも就職できない25歳の私が、
 文京区の本郷に音楽関連のオフィスを構えることができたのは、
 よくよく考えてみると、実は姉のバックアップによるところも大きい。

 飛び切りのチョー美人とは云い難い八歳上の姉だが、
 その気さくで真摯な性格から男どもにはよくモテた。
 「将を射んとすればまずその馬を射よ」とばかりに、
 その末弟である私は中学生の頃から、
 そうした義兄候補の紳士諸氏からの接待攻勢を盛んに受けたものだ。

 さて、独立から数年後、フラメンコ関連の請負仕事をきっかけに、
 先方の担当だった女性を好きになった。彼女は私の話をおもろいと笑い、
 しょっちゅう笑い転げる彼女を観るのを私は好きだった。
 ともに既婚者であり、ほんのたまさか呑みに行くだけの淡い交流だったが、
 あるとき気持ちがひとつであることが発覚する。
 結局、双方の性格や立場を確認し合い、
 一度も手を握り合うこともなく私たちは付き合いを断った。
 自分でも信じ難い、二十数年前の、村下孝蔵さんもまっ青の純愛物語である。

 ふとした事から、その女性と私の姉の面影やら表情やら性格やらが
 大きく重なることに気づくのは、その数年後である。
 深入りせずに淡々と終われた本当の理由を、
 その時はじめて私は知るのだった。
 すでに還暦を越えた姉だが、このとっておきのラブストーリーだけは、
 勿体なくていまだに話さないでいる。

面影橋から神田川.JPG

 ───────────────────────────────
 2009年08月20日/その51◇元気の出るボヤキ

 「金を出せっ!」
 信用金庫に侵入し女子行員に包丁を突きつける強盗。
 身体を張ってその行員を救出した支店長は代わりに腕を刺され、
 犯人は逃走した。
 その朝刊記事を読みアワを食って奴のケータイに電話すると、
 俺がドジ踏むわけねーだろ!、と杉田支店長は大見得を切った。
 おめーのドジはもう千回は観てる!という言葉を呑み込みながら、
 私は胸をなでおろした。
 十数年前に東京・東部で起きた実際の事件である。

 高三時代のなかよし同級生である杉田とは、もう36年の付き合いになる。
 大学を出てから出身高校近くの信用金庫勤務一筋、
 30代半ばにして支店長に出世した男で、
 学生時代は“失恋の神さま”との異名をとった。

 月に一度くらい、まるでご機嫌伺いのような電話で、
 さり気なく最新の経済・金融情報を教えてくれるのが、
 ここ数十年来の慣例になっている。
 その方面にまるで疎い私は、
 奴のおかげで未然に災難から逃れたことが幾度かある。
 昔から危なっかしい生き方をしていた私を、
 お互いこの歳になっても心配で仕方ないらしい。

 いまでも年に何度か、出身高校近くの人気のちゃんこ屋で、
 他のなかよし仲間と共にだらしなく呑む機会は、
 人生の余禄としてはかなり上等な部類に属すると思う。
 近ごろ役員に昇格した杉田の、その年季の入ったボヤキは、
 ますます深い味わいを熟成しつつある。
 ふつう愚痴というのは、
 それを聞く相手をどよんとした気分に陥らせることによって
 自分を救おうとする邪悪なものだが、杉田のそれは、
 昔から聞く相手に元気を振る舞うような芸風のトホホな自嘲ネタなのであある。

 仲間のみんなで強盗撃退記念祝賀会を張ってやった時なども、
 命を張って女子行員と金庫を守ったご褒美として支給された
 会社からの報奨金について、奴のボヤキは炸裂した。
 「5万円、俺の命は5万円」
 その晩の杉田は、数々の失恋懺悔の合い間に、
 この哀しい嘆き節を飽くことなく歌いまくった。

 そんな彼の哀しくも明るいボヤキを聴いてると、
 ふと思い出すのはカンテ・ボニートの名人、
 あのペペ・マルチェーナの親しみある懐かしい歌声だ。
 庶民には大人気だったが、純粋派からは反発を食らったマルチェーナについて、
 プーロの大長老マトローナはこう語ったという。
 「マルチェーナをダメだと云う人もいる。
 でも何十年も歌っていて、人々がそれについて行くんだから、
 何かを持っているわけですよ」
         

 ───────────────────────────────
 2009年08月21日/その52◇チリも積もれば

 フラメンコ・ルネサンス21。
 いまをときめく超人気作家、佐伯泰英さんの命名である。
 フラメンコ界最大のイベント、日本フラメンコ協会主催・新人公演が、
 今日から三日間、東京・中野ZEROホールで開催される。
 その変わらぬ運営のきびしさの中、
 その人気やステータスは年々ヒートアップする一方だ。

 anif2009.jpg

 協会の大きな功績からは、
 とてつもなく巨大で強固な組織と勘ちがいされる方も多いだろうが、
 実際のところは、アマプロ問わず単にフラメンコを愛する人間たちが、
 手弁当で無理やり成立させている世界である。

 さて、どんな世界にも足を引っぱりたがる連中はいるもので、
 そんな輩のいちゃもんを統合して谷口編集長が聞き役を引き受けたのが、
 パセオ2007年1月号の新人公演特集だった。
 役柄とは云え編集長の失礼極まりないツッコミに対し、
 日本フラメンコ協会濱田滋郎会長、田代淳事務局長が、真正面からご回答くださった。
 以下は、その折の田代さんの発言の抜粋・要約。

 「協会には公的機関からの援助はいっさいなく、
 協会員の会費のみで維持、運営している組織です。
 現在も協会の財政的基盤は、まったく確立されていません。
 これまでも理事、役員、事務局などの好意と奉仕的精神によって成り立ってきました。
 現在の会費収入は年間500万~600万円程度。
 その中から、フラメンコの普及発展をヴィジョンに、
 新人公演やフェスティバルをはじめとする様々なイベントを開催しています。
 新人公演の成功によって、良くも悪くも、
 協会はあたかも巨大な公的機構のように思われています。
 しかし、現実はそうじゃない。
 では何故、なぜ関係者たちはがんばっているのか?
 自分たちが愛したこの世界を次の世代につなげたい、手渡したいからなんです。
 そんなバトンタッチができないのなら、協会など続ける意味がないでしょう」

 いつも温厚な田代の淳さんから、思わず熱血の真情がにじみ出ている。
 こうした実情は、フラメンコ愛好家の間に正確には伝わりきってはいないから、
 情報公開の方法にはまだまだ工夫の余地はあるのだろう。

 もちろん協会はHPなどで必要な情報公開をしているのだが、
 それらをろくろく読みもしない匿名クレーマーが、
 ウェブ上で協会の揚げ足を取ろうとするトホホな風潮は相変わらずだ。
 また、こうした協会の実情を察知している多くの関係者が、
 フラメンコ界の未来のために協会の必要性を感じながらも、
 ボランティアはご勘弁という現実もあるし、
 会費もボランティアも勘弁だが恩恵だけは遠慮なく持っていく確信犯には、
 あっ、そーなんですかあ、と云うより他はない。
 こうしたところにもフラメンコ協会の苦悩がある。
 それでも結構とド~ンと構え、清貧・民主運営を貫く協会が、
 都合のよい親かなんかと勘違いされてしまうのは、あまりに気の毒すぎる。

 「先輩にはおごってもらうが、後輩にはおごらない」
 これが今の世の中の主流とも云うべき風潮だし、
 なにもフラメンコ界に限ったことではない。
 むしろ、そうした一般的風潮に逆らい、
 持ち出し一方のボランティア運営によって愛するジャンルを支えようとする
 フラメンコ協会のスタンスこそが異端なのである。

 「先輩におごられたら、後輩におごり返す」
 協会スタッフとはこんな旧式タイプに属しており、
 こうした異端者の数がプロ・アマ問わず、
 ある一定数をキープし続けることができれば、
 フラメンコ界の未来はそれなりだろうし、
 面倒や出費は人任せという新式タイプが主流となれば、
 新人公演も何もなかった昔へとまた逆戻りという、
 とても明快な物理構造が視えてくる。

 不況が世界を覆い、文化どころではない現代において、
 大パトロンに頼ろうとする幻想は現実的ではない。
 また、モラルによって解決できる問題でもなさそうだ。
 もともとアートは、むしろ反モラル的であることによって
 社会に豊かさを供給する性質のものだから、それはなおさらのことだろう。

 これはあくまで、プロ・アマ問わずそれを愛する一人ひとりの
 「アートに対するプライドの在り方」の問題なのだと思う。
 個人の心意気によってアートを守ってゆくよりないという国際情勢は
 もはや動かしようのない現実であるし、
 各個人のプライドの集積量の大小が、
 そのままアートの未来を決定してゆくことは必然となるだろう。

 「チリも積もれば山となる」
 フラメンコやバッハを筆頭に、私にも愛するアートがいくつかあるが、
 結局はこの物理的現象に賭けるしかないと思っている。
 くやしいかな、誰かにやってもらえることを期待できない世界なのだから。
 でもねえ、一度限りの人生を、ずっと内側から温め続けてくれるアートだもんね。
 喜んでチリになったろかいと、私としても死ぬまでそう思っていたい。

 ま、そりゃさておき、今日から楽しい新人公演!
 休憩中はロビーのパセオブースで呼び込みのおっさん(腹巻ステテコのつるっ禿が目印)を
 やってるんで、よろしかったら冷やかしてやっておくんない。
   

 ───────────────────────────────
 2009年08月22日/その53◇成長の通過点

 今日はフラメンコ新人公演の二日目。

 「奨励賞受賞者は?」が話題になるのは普通のことだとは思うが、
 私などの最大の楽しみは、賞の行方ではなくステージそのものにあり、
 また、その白熱のステージに現れるヴィジョンから、
 10年後、20年後の彼もしくは彼女のステージ姿を想像することにある。
 賞取りそのものがヴィジョンになっているフラメンコが、受賞することはあっても、
 その逞しい未来とは必ずしも直結しないデータの数々が、
 新人公演の長い歴史とともに、私にそういう観方をさせるようになったのだと思う。
 
 一昨年のパセオ誌上で、
 かつて新人公演・奨励賞を受賞(1992年)された実力派バイラオーラ、
 鬼本由美さんが、さすがの卓見を述べておられた。
 では、その由美さんの『新人公演は成長の通過点』(文:西脇美絵子)から一部抜粋で。

 ――――――――――――――――――――――――

 もちろん受賞したいと思って出演したし、受賞できたことは大きな喜びでした。
 でも今振り返ってみて、私にとって新人公演がなんだったのかというと、
 受賞云々ということよりも、踊り手人生の通過点としての意味が大きいです。
 受賞はひとつの区切り、ひとつの結果ではあるけれど、
 踊り手としては、実はそれ以降のほうがずっと長い。
 そこからがスタートといってもいいくらいです。
 しかもその先は、何も頼るものがない獣道を探り当てるようにして、
 成長していかなくてはならないのですから。

 ここ数年は、生徒たちが出演するようになり、
 教える側・観る側の人間として新人公演に関わるようになりました。
 そこで感じるのは、受賞に重きを置きすぎない方がよいということ。
 賞を意識するあまり、表現者としての輝きや個性が半減しては本末転倒ですから。
 選考結果についてはいつも話題になりますが、
 「どうしてあの人がとれなかったの?」と観客に言われる踊りを踊ることにも、
 とても意味があると思います。

 ───────────────────────────────
 2009年08月23日/その54◇夏の終わりに

 ビューティフル・サマー。
 フラメンコ新人公演も本日が最終日!
 今日もロビー・パセオブースで呼び込みのおっさんをやる。

 夏もあとわずかだ。
 猛暑の中を汗水たらしてがんばった方々を、
 こう私はねぎらいたい。
                        
 おつかれサマー♪
                  
               
 いかり草.JPG

 ───────────────────────────────


しゃちょ日記バックナンバー/2009年8月④

2010年09月08日 | しゃちょ日記

 ───────────────────────────────
 2009年08月25日/その56◇母の肖像 ①

 働くことが大好きで、
 家族や親戚やご近所との団らんを何より愛した母だったが、
 彼女は断じて私に食い物の好き嫌いを許さない人だった。
 ま、そのおかげで、今の私はなんでも食えるわけなのだが……。

 実家を離れそれなりに稼ぐようになったハタチ頃の私が、
 外で母にメシをおごる機会が増えた頃、
 その衝撃の真実は発覚する。

 財布をパンパンにして、何でも来いで旨いものをご馳走したろうという私に、
 コレはだめ、アレは嫌いと、なんとも勝手放題をぬかしまくる母。
 そ、そう。母は実に食い物の好き嫌いの激しい人間だったのだ。

 そのまさかの事実に気づいた瞬間、おそらく私は80メーターぐらいドン引いた。
 「な、なんだよ~、じゃあ、自分の好きなもんばっかし作ってたんじゃ~ん」と、
 約80メーター後方から私は叫んだ。(つづく)

 とほほ1.jpg

 ───────────────────────────────
 2009年08月26日/その57◇母の肖像 ②

 昨日書いた食い物の好き嫌いはさておき、
 おおむね有言実行タイプで、
 決めたことはほとんど実現した母であった、という評価は不変である。

 あれはたしかTBSラジオの素人民謡選手権みたいな番組だったと思うが、
 日本民謡を習いはじめて1~2年の母が
 「勝ってくるからさ」とにっこり笑ってひょいと出かけて、
 ほんとに優勝をかっさらってきたことがある。

 さあ、これにはご家族もご近所も親戚ご一同さまも驚いた。
 稚拙な歌唱力もなんのそので、
 ただひたすら明るいアイレと強い心臓のみを武器に、
 優勝カップを手にしたことは、誰の耳にも明らかだったからである。

 つーことで、その内輪の祝賀会では、
 「し、審査員は、歌唱力を評価しねーのか?」という当然のツッコミを、
 関係者一同、誰もが無理やりハラに呑みこんだことを、
 つい昨日のことのように思い出す。

 「お前なんか、荒川の橋のたもとで拾ってきた子なんだから」
 母からよく聞かされたこの話が本当でありますようにと思ったことが、
 正直云って何度かある。(完)
       
                    
 おーまいがっど.jpg

 ───────────────────────────────
 2009年08月27日/その58◇心の芽

 「キアヌ・リーブスと私はウリ二つである」

 いくぶん形而上学的とも云えるこの命題に対し、
 初対面の私のウェブ友数名は、
 フラメンコ新人公演ロビーのパセオ・ブースにおいて、
 目を固く閉じながら、
 心の眼で私を観ることによって、こう断言した。

 「まぢキアヌそっくりじゃ~ん」

 まあ、たしかに、キアヌと私では、
 演技力、ルックス、銀行残高、髪の毛の本数などに
 雲泥の差はあることは一面の事実である。
 だがしかし、同じ人類なのだから、
 カエルやカバやクロマニョン人などに比べれば、
 キアヌと私は「そっくりじゃ~ん」という彼女たちの結論には、
 人間同士が互いになかよく前向きにやってゆくための、
 たいへん優れた英知を感じることができると思う。

 今日からでも遅くはない。
 一同、これに見習いたいものである。


 ill01.jpg

 ───────────────────────────────
 2009年08月28日/その59◇この世でいちばん美しいのは

デスヌード.jpg

 デスヌード(desnudo)その3『小島章司/魂の贈り物』。
 今回は、世界でもめずらしい男ばかりのフラメンコである。
 よって女王・鍵田真由美は、な、なんと受付係である。

 画像 011.jpg

 佐藤浩希を筆頭に5名の若手バイラオールが、
 小島章司を迎え、4名のミュージシャンのとともに
 生サパテアードのフラメンコを炸裂させた。

 [B]小島章司/佐藤浩希/矢野吉峰/末木三四郎
    関光/松田知也
 [C]マヌエル・デ・ラ・マレーナ、アギラール・デ・ヘレス
 [G]マレーナ・イーホ、斎藤誠

 すでにご覧になった方はご存知の如く、
 ライブは「ううっ、凄っ!」のひと言に尽きた。
 ラスト30秒、小島章司の足技の音楽に泣けた。
 これが、アルテだ。
 うれしくって、言葉にならない。

 画像 024.jpg
 (小島章司、佐藤浩希の新旧マエストロ、
  なぜか阿木燿子さんと連れ合い)

 至宝小島章司から、未来の担い手佐藤浩希たちに、
 心をこめて贈られたものは何か?

 年齢のかけ離れた、
 かつ流派も異なるトップ・バイラオーラたちは、 
 自らの役割をまっとうしながらも、
 互いの心を必死に感じようとしていた。
 見えないはずのバトンが、はっきりと視えた。

 AからBへ、BからCへ……。
 心から心へ。そしてまた、心から心へと。
 この世でいちばん美しいのは、
 人間だけにしかできない、
 そんな人間同士のコミュニケーションだよと、
 柄にもなく私は思った。

 ───────────────────────────────
 2009年08月29日/その60◇情熱の覇者

 野心や恋愛のように激しい情熱ばかりが、
 ほかの情熱に打ち克てると思うのは誤りである。
 なまけ心は、どんなにだらしなくはあっても、
 しばしば情熱の覇者たらずにはいない。
 それは、人生のあらゆる企図とあらゆる行為を蚕食し、
 人間の情熱と美徳とを、
 知らずしらずのうちに破壊し、絶滅する。  
           
 ロシュフコウ.jpg
 [ラ・ロシュフコオ/箴言と考察]より
 岩波文庫(1976年当時で定価200円)
             
 容赦のない辛口分析でマキャべリと並び、
 私ら世代には人気のあったパリ生まれの
 貴族ロシュフコオ(1613~1680年)による
 (日本で云えば徳川幕府の創成期のころだね)
 比較的有名なアフォリズム。
           
 若い頃に肝に銘じたはずの金言だが、
 折をみて、
 今の私にもみっちり聞かせてやりたいものだ。

 ───────────────────────────────
 2009年08月30日/その61◇“あしたのジェー” アンケート

 彼はますます彼になる。
    
 当日記にも時おり登場するフラメンコ犬 “あしたのジェー” の、
 そのメインキャラを、どれにしよーか?
    
代々木公園のフィクサー3.JPG
    
「まったくの偶然」.JPG
    
ジェー.jpg
     
 mixiのアンケート機能を使って、
 こんな人気投票をやってるのだが、
 現在までの途中経過(計40票)はこんな感じ。
 
 ◆いちばん上(黄色ジャケット)=9票
 ◆まん中(ギターとじゃれる)=28票
 ◆いちばん下(落ち葉のなかで)=3票

 わしゃ、断然いちばん下だと思っていたので、
 まん中に対する反響にちょっとビックリ!
 ところで、あなたはどれ派?

 ちなみに、わが家の連れ合いは、ジェーにこう云った。
 「やったあ! どっちにしてもジェーが優勝だねっ!」

 ───────────────────────────────
 2009年08月31日/その62◇なんでかフラメンコ

 「人間も犬のようになんのてらいもなく、
 素直に死ねるといいと思うが、
 そうは問屋がおろさないのは、
 われわれが精神という厄介なものを背負いこんでいるせいだろう」

 「だが、それを嘆いて犬のほうが幸せだと言ってみてもはじまらない。
 人間には人間の死にかたがあるのであり、
 その本質はただ一つでありながら、
 その現れかたは千差万別であることが、
 われわれの世界を豊かなものにしているのは否定出来ない」


 ずっと前に、詩人の谷川俊太郎さんが
 『単純なこと複雑なこと』というエッセイの中で、
 こんな目からウロコを書かれておられた。
 若い私は深くうなずきながらも、
 具体的な正解までは教えてもらえないことに
 落胆したことを想い出す。
 このシンプルで頼りがいのある考察は、
 人々にさまざまな感想をもたらすと思うのだが、
 久しぶりにこれを目にした私はこんな感想を書いてみる。
 
 ひとつには、「その本質はただ一つでありながら、
 その現れかたは千差万別」って、
 まさにフラメンコの宇宙そのものだと思った。

 次に、仮に世情に即した正解はあったにしても、
 時代や地域を超えられるような普遍的な正解には、
 なかなかお目にかかれないであろうことを思った。

 おしまいに、それでもやはり正解らしきものを垣間見たいからこそ、
 毎日ひーひー云いながらも、
 フラメンコに貼りついているのかもしれないと思った。
          
冬枯れ①.JPG

 ───────────────────────────────