─────────────────────────────── 身体にたたき込まれたはずなのに ―――――――――――――――――――――――― 三橋美智也や春日八郎を子守唄代わりに聴いて育った世代なので、 仕事を最小限に押さえて、カンテ・フラメンコのCDを1日5枚以内と決めて、 ま、それはともかくも、この国際的な不況が逆に本物志向を促し、
2009年08月01日/その32◇ギター修行僧すかるのあんちょこ
なぜか頻繁にトチ狂うコンパス、
左手指先マメ、
飛び散るブエルタ汗シャワー、
愛のツッコミでむせび泣きはらした
嬉し涙と悲しみの涙、
500mlは使ったかと思われる瞬間接着剤、、、
媚びへつらいながらも伴奏修行の難関超大旅路に
敢然と立ち向かう、
超ドマゾチックすかるの実体験に基づく表技、
裏技、秘技、ジンクス、爆笑伝説、、その集大成?たる
秘伝のあんちょこを今ここに公開。・・。
とまあ、こんな感じ(↑)の異色の大物新人である。
日刊パセオの「『フラメンコ笑辞典』に、
あまりにおもろい投稿をお寄せいただけるものだから、
思わずmixiメッセでスカウトに走り、日パへの不定期連載をノーギャラでお願いした。
ギター関連の私の友人知人は、ジャンル越えでプロだけでも100名は数えるはずだが、
このギター修行僧すかるは、そのどのタイプにも属さない未知のおっさんである。
無論お会いしたこともないので、実際にはおっさんかどーかもわからない。
彼は私との約束を果たし、初めてだというブログを先日アップしてくれた。
好みは分かれるだろうが、ハマる人間も多いことだろう。
けっこうバイレの練習生には学びどころが満載だなと、まぢで私はそう思う。
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2009年08月02日/その33◇哀しみのフラメンコ川柳
ヨランダ画伯による「フラメンコ川柳」プロモーション4コマ。
「フラメンコ 10年やっても 17さい」
実に、実に、うらやましー話である。
もっとも、こんなの(↓hiro)もあるんで、要は気の持ちようか。
「フラメンコ 何年やっても まだハタチ」
それはさておき、
天災美形歌人、北海道・マールの本格乱入で、
現在すごいことになってる当トピックに、明日はあるのか?
ちなみに、こんなのが(↓)ヘーキで載ってる(汗)
「基礎の無い 工事も踊りも 命とり」
「フラメンコ 初めが肝心 男もね」
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2009年08月03日/その34◇お気に入りの短詩
君の言葉に歌を聴き
君のしぐさに舞を見る
業界の内外から毎日のようにかかるバブル期のお座敷は、
こんなサビで泣かせるフォーク歌謡調の持ち歌一本で乗り切った。
そんな短詩が当時の心情にピッタリだったこともあって、
私の爆唱カラオケに対する反応はそれなりで、
見知らぬ姐さんグループからバランタイン17年を丸ごとプレゼントされたことは、
私の生涯における最大にして最後の栄光である。
演歌・歌謡曲だけは筋金入りだ。
自分で歌うことはともかくも、それらを楽しく聴くことにかけては、
かなり上質なアフィシオナードたる自負がある。
みっちり聴き込んでいた頃、
ほぼ一年くらいで、これはいい、これはそうでもない、
みたいな感触が自然とわかるようになった。
北島三郎と森進一はいいけど、○○○○や○○○○はそうでもないみたいな、
好みを超越するセンサー感覚である。
マノロ・カラコールを聴くと三橋美智也を、
アントニオ・マイレーナを聴くと春日八郎が聴きたくなるという、
天然異常感覚で鳴らす私の云うことだから、
もちろんこれはまるでアテにはならない。
そろそろ我が日本にも、ミゲル・ポベーダのような
国民的歌手が出現するのではないかと、心ひそかに私は期待している。
ミゲル・ポベーダのとれたて新譜『コプラス・デル・ケレール』
(※ええ加減に訳せば、お気に入りの短詩、みたいな)が、
くる日も来る日も、朝から晩まで流れるパセオ編集室であった。
ミゲル・ポベーダ/コプラス・デル・ケレール
(2009年/ユニバーサル)
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2009年08月04日/その35◇フラメンコライブはどう創られる?
「フラメンコライブはどう創られる?」
こんなテーマで複数から執筆依頼が来ていたので、
よく自宅でも顔を合わせるバイラオーラに無理やり頼み込んで、
きのうの午後、ちょうど今週末のライブを控えた彼女の、
その制作現場を取材させてもらった。
さまざまなジャンルから集結したミュージシャンたちの、
その即座のアンサンブルと会話のレベルの高さに舌を巻きつつ、
時(3時間)の経つのも忘れて走らせたメモは20ページにも及んでいた。
メモをまとめながらカツどん食ってパセオに戻り、
ボリュームある経営会議(2時間半)をガッツリすませ、
取材メモをPCに整理したら、70%完成の記事が二つ出来上がっていた。
そう、江戸っ子は早いのが取り柄だ。
これに内容が伴ってりゃあ万々歳のところだが、
ないものねだりは、いけねえ、いけねえ。(涙、つーか号泣)
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2009年08月05日/その36◇天気予報
[カプージョ・デ・ヘレス/これが俺] ALIA 2000年
知る人ぞ知るヘレスの名カンタオール(男性歌手)、
カプージョ・デ・へレスの何が飛び出すかわからない、
素朴なんだがワクワクするようなアルテ。
そんな芸風を連想させる私の大好きな落語家、
昔昔亭桃太郎さんの得意ネタはコレ(↓)。
「気象庁の運動会が、雨で中止になったそーです」
4枚リリースするCDの内2枚に入っているネタなので、
きっと桃太郎師匠ご本人もお気に入りなのだろう。
あっ、お天気関係者の方がいらしたらごめんなさいね、
これって失礼すぎですよね。
でも、これってたぶんギャグですから~
って、、、フォローにも何にもなってねーよ(汗)
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2009年08月07日/その38◇昭和なシュール
母に手を引かれながら、荒川の上を歩いている。
対岸の土手同士を結ぶように、
なぜか川面に直接、あまりにも唐突に
3メーターの幅もない狭い砂利道が続いており、
それを東側から西側の小松川方面に向かって、
私たちは歩いているようだ。
川向こうで何か用事をすませてきたようだが、
それが何であったかはわからない。
やはり手をつないで、私たちの後をついてくる
姉と兄の姿からすると、私は5歳くらいだろうか。
そのほかに、川の上を歩く人影はない。
荒川を渡りきって土手を越えれば、
そこは都電25番線の終点『西荒川』あたりのはず。
電車道にしばらく沿って、
煙草屋を左に行けば我が家がある。
ロッシーニを口ずさみ、上機嫌で仕事をしながら、
父は私たちの帰りを待ちわびていることだろう。
波の荒れる、こんなに幅広な大川を歩くのは、
泳げぬ私には相当に怖いはずなのだが、
母としっかり手をつないでいるせいなのか、
まったく恐怖は感じていない。
つくしん坊が生えているはずの小松川の土手は、
もうすぐそこだ。
だが、いくら歩いてもなかなかたどり着かない。
おかしいなあ。
でも、そんなことはどーでもいーや。
そう思いつつ、黙々と私たちは歩く。
おそらく小学生の頃に見た夢だと思うが、
いまだにその光景を鮮明に憶えている。
土手の緑と荒川の青が印象的だったから、
それはおそらくカラーの夢だったのだろう。
夢の記憶は、そこでプッツリ切れるのだが、
いつかその続きが観れないものかと、
もう40年以上も想っている。
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2009年08月08日/その39◇アントニオ・ガデス
「とにかくパセオを続けること」
舞踊団を率いて来日するたびに、フラメンコの帝王、
アントニオ・ガデスは、若い私にこのことだけを求めた。
ガデスは聡明で優しい人だった。
私を見た瞬間に彼は、
「この男が憶えられるアドバイスはひとつだけだろう」と、
とっさに判断したに違いない。
アントニオ・ガデスは完璧主義者だったが、同時に
相手のレベルに合わせた要求も出来る人だった。
私は不完全主義者だが、同時に自分のレベルに
合わせた要求には応えようとする人である。
それゆえ、私は彼との約束を守り続けているのだ。
本国スペインでも発売されていない、
「永遠なるアントニオ・ガデス」を描く
スペイン国営放送制作、
株式会社パセオ発売によるDVD。
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