フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2009年11月④

2010年09月11日 | しゃちょ日記

 ───────────────────────────────
 2009年11月25日/その149◇クレーメルのモーツァルト

 一緒になった頃、ダンサーである連れ合いが、
 いいクラシックが聴きたいというので、
 よりどりみどりの大物来日公演の中から、
 ヴァイオリンのギドン・クレーメルを選んだ。
 有名なヴィヴァルディの『四季』と、
 ピアソラの『ブレノスアイレスの四季』を
 相互に組み合わせて演奏するコンサートだ。

 選んだ理由は、すでにCDで聴いていたその演奏が
 実にダンシングだったから。
 あまりライブのクラシックを聴き慣れない彼女には、
 そんなノリと迫力がもっともふさわしいと予測できたし、
 実際の反応も上々だったようだ。

 ギドン・クレーメル。
 ヴァイオリン界の鬼才的巨匠。
 アントニオ・ガデスを想起させる完璧主義者。
 同時に先ごろ来日したディエゴ・カラスコみたいに
 お茶目でユーモラスな側面もある。
 CDで聴くと、あまりに完璧なので、
 かなり冷たい印象を受けるのだが、
 そのライブは、むしろ豪快でエキサイティングだ。

 そんな超人が、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲を
 およそ四半世紀ぶりに再録音した。
 最初の録音は、アーノンクール&ウィーン・フィルと
 アンサンブルする快演で、即座に購入したのだが、
 当時創刊したパセオに大忙しの私が、
 それを初めて聴いたのはおよそ十年後だった。
 なので、今回の新録音には購入翌日かぶりついた。

 クレーメル.jpg
 ギドン・クレーメル&クレメラータ・バルティカ
 「モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全集」
 2006年録音/NONESUCH
 
 ええーっ、ここまでやっちゃうのお。
 予想通り、あっと驚くやりたい放題である。
 すでに決定盤を録音している彼にとって、
 そうでなければ再録音の意味はないから。
 とてもこの世のものとは思えぬ美音で清らかに歌う、
 ダントツ人気のアルテュール・グリュミオー盤を愛聴する
 モーツァルティアンには、青天のヘキレキみたいな爆弾だ。
 
 基本的には、語りに語るモーツァルトだ。
 場面場面の性格が、それぞれフルに強調されている。
 それらを可能にするクレーメルの手兵、
 クレメラータ・バルティカのアンサンブルは驚異的。
 それぞれに濃厚な細部は、
 全体を心憎いばかりにコントロールする
 構成・俯瞰の力によって、相互に輝きを増すのだ。

 この新時代のモーツァルトを、
 代々木公園から明治神宮を散策しながら、
 全曲(1~5番)をイッキに聴いた。
 ファンタスティック、
 ただただファンタスティック!
 時代を築いたスーパー・ヴァイオリニストも、はや62歳。
 その冒険と深化はとどまることを知らない。
 歳だ歳だとボヤいてる場合ではないな、と思った。

 180px-Gidon_Kremer_violin.jpg

 ───────────────────────────────
 2009年11月26日/その150◇あしたは小島章司

 先ごろ国家より文化功労者に顕彰された、
 われらが小島章司。 
 毎年恒例の秋の公演、小島章司フラメンコ2009が迫る。

 今回はスペインの人気バイラオール、
 ハビエル・ラトーレの振付による舞台。
 そして舞台美術はもちろん、堀越千秋画伯。

 私はあす金曜、27日の初日を観る。
 ぜったい凄いよおっ!
 
 kojima2009.jpg

 ───────────────────────────────
 2009年11月27日/その151◇あしたは“遊民”

 9年ぶりに集結!
 多摩美術大学OB・OG公演『遊民vol.2』。
 11月28日(土)18時、吉祥寺・前進座劇場。

 チラシでメンバーの顔ぶれを見て驚いた。
 別の約束が入っていたが、拝み倒してこちらを優先。
 出演キャストはこんな(↓)感じね。

 小原覚/阿部真/翠川大輔/妻沼克彦
 三枝雄輔(友情出演)/井上泉/小林泰子/井山直子
 島崎リノ/今枝友加/吉田久美子/鈴木圭子
 妻沼加世/堅正はるか/松原梓/朴美順
 
 そう。かなりの高等遊民なのだ。
 どんなステージになるのか予測もつかんけど、
 すでにわくわく感は飽和状態。       

                フラメンコ.jpg

 つーことで、今日は章ちゃん、明日は遊民!
                  

 ───────────────────────────────
 2009年11月28日/その152◇小島章司フラメンコ2009

 小島章司フラメンコ2009
 『三人のパブロ~ラ・セレスティーナ』
 (11月27日~29日/ル テアトル銀座)

 kojima2009_2.jpg        
           
 しょちょ日記にフラメンコライブの忘備録を
 つけるようになってから、
 ショーバイ柄それまでの自分の中で数割を占めていた、
 いわゆる「客観批評」的なスタンスが木っ端微塵にぶっ飛んだ。
 アーティストが命を賭けるライブについて、
 どんな形であれ、自らの感想を発信することは、
 逆に自分自身が試されることに他ならない。
 おざなり姿勢でフラメンコに対峙すれば、
 軽く吹っとばされるのはこっちの方だということだけは、
 身に沁みてわかってるつもりだしね。
 そして、その私を批評する最大のコワモテは
 自分自身だと知った。

 どうせ書くなら、中途ハンパはやめて、
 そのアーティストのライブに、一年後、二年後に
 対面するであろう近未来の私のみを対象とする、
 ガチンコ忘備録に徹してみるのも悪くないと思った。
 一方には、歳を取って持ち時間が少なくなってきたので、
 各種締切の合間をぬって出掛けるライブからは可能な限り、
 この世ならではの美しい記憶を得ようとするセコい根性もある。
 時おりネット上で見かける、愛好家の書かれるそんな傾向の
 ライブ感想に触発された部分もあるだろう。
 中でも、褒めたりケナしたりすることを目的としない、
 ライブが巻き起こす書き手の心の化学反応みたいなやつね。
 つまり、未来の自分に対するメッセージを、
 素直に、感じたままに書けばいいんじゃねーかと。

 さておき、鍵田真由美と佐藤浩希が主宰する、
 この夏のデスヌード3に客演した小島章司は、
 そのラストで畏るべき舞踏を現した。
 わずか数分、無伴奏の素踊りで、
 永遠なる宇宙と人間の哀しみと祈りを、
 観る者の胸に強烈に刻み込んだのだった。
 唐突に宇宙の全貌を垣間見させたあの衝撃的瞬間は、
 まさしくこの世ならではの美しい記憶として定着し、
 心の内側からチープな私を励まし続ける資産となった。

 ところで……。
 粋で不屈でぶっち切りにカッコええ、スーツ姿の章ちゃん。
 スペイン人もまっ青な超絶技巧で踊る、
 肉体的に全盛期だった「独り踊り」時代の小島章司を、
 当時から好んで脳裏に焼き付けた私には、
 ここ数年の不安や絶望を印象づけられる彼の舞台に、
 どうしても素直に馴染めないものがあった。
 どーして? 素晴らしいじゃない。
 そんな周囲の感想に幾度も私は孤立した。
 「その先にあるもの」が、私だけに視えていなかった。
 底知れぬ深化を冒険する小島章司のヴィジョンを、
 迂闊な私にやっとこさ、それと認知させたのが、
 先のデスヌードのラストシーンであったというわけだ。
 
 そして今回のフラメンコ悲喜劇『ラ・セレスティーナ』。
 15世紀末に書かれた勧善懲悪の逆を行くピカレスク。
 フラメンコではほとんど見ることのないコミカルな悲劇。
 このスペイン版『ロミオとジュリエット』で小島が踊り演じるのは、
 な、なんと、売春屋を仕切る悪婆妖術使いセレスティーナ。
 センスよく、心地よい観後感を残すハビエル・ラトーレの
 エンタテインメントな演出。
 ギターのチクエロを筆頭とする贅を極める音楽陣。
 そして、徹底的に磨きこまれた舞踊シーンの数々。
 さらに、全員がひとつになる輝くような集中力。
 重たい感動ではなかったが、贅沢な幸福感に私は満足した。

 またしても、意表を突く方向に突如斬り込む小島章司。
 彼こそは、生存中にたどり着けないことが明らかな、
 小島章司だけの最終到達点を、
 それでも全身全霊でめざす確信犯だった。
 その急がば回れ的に周到なプロセスを、
 永いスパンで根気よく貫く姿勢そのものに、
 私の心の共感メーターがイッキに跳ね上がる。
 第3場で、パブロ・カザルスを偲ぶかのように、
 バッハの無伴奏チェロが流れる。
 そのサラバンドの響きにシンクロする小島章司の仕草に、
 あのデスヌード事件の衝撃が静かに蘇る。

 おしまいに、「エバはよかったけど、なんかあの背景の
 まっ黒は情けないなあ~と思ったよお」と、
 この秋の舞台にご不満こいてた堀越千秋画伯が、
 自ら美術を担当するこの公演で「舞台美術かくあるべき」
 みたいな名回答を出したのが、何だがとても痛快だったよ。

 ───────────────────────────────
 2009年11月29日/その153◇高等遊民

 『遊民vol.2』
 9年ぶりに集結! 多摩美術大学OB・OG公演
 (11月28日/吉祥寺・前進座劇場)

 チラシでメンバーの顔ぶれを見て、
 爺婆合コンを拝み倒して欠場し、前進座に駆けつける。
 ひとつの大学が輩出した、その驚きの出演キャストはこうだ。

 小原覚/阿部真/翠川大輔/妻沼克彦
 三枝雄輔(友情出演)/井上泉/小林泰子/井山直子
 島崎リノ/今枝友加/吉田久美子/鈴木圭子
 妻沼加世/堅正はるか/松原梓/朴美順

 そう、高等遊民。
 全員勢ぞろいのオープニングから、
 高い実力と親密なアンサンブルの快感を爆発させる。
 劇仕立ての二部の冒頭には、おゐおゐ学園祭かよ、
 みたいなノリに一瞬固まりそうになったが、さにあらず。
 やはりと云うか、彼らはそれぞれに高い美意識を持った、
 自立する個人の集合ユニットだった。

 なにせ新人公演奨励賞経由でプロのトップクラスで活躍する
 アーティストが舞台上にごろごろしている。
 次から次へとウネりながら、どこまでも高まろうとする
 鉄火フラメンコのパッションには、
 本場アフィシオナードの心さえ動かすような芯があった。
 バキッ! と心を直撃するアルテを六つまで数えた。
 むろん個人技の高低はあるが、
 それらはあたかも相互補填し合う関係のように思えた。
 そう感じざるを得ない絆の深さがまざまざ見えた。

 同じ巣から旅立った仲間が時を経て再会し、
 青春の想い出とともにフラメンコに浸り尽くし、
 やがてそれぞれは、自ら切り拓いたポジションへと戻り往く。
 きっと彼らは数年後の再会を約したに違いない。

 さて、割れんばかりの大拍手とはこのことだろう。
 閉幕の瞬間、客席を見渡せば多くが涙に潤んでいる。
 最近の若い連中は口先ばかりで何もやらねえ、という
 メソポタミアの昔からの繰り言はもうヤメだ。
 やれやれと、私も二粒ばかり瞼が潤んだ。
 「遊び心」と「絆」。
 新しい時代の、質をともなう「ゆるやかな連帯」が、
 滲むドンチョウにくっきり視えた。       
   
 桜.jpg

 ───────────────────────────────
 2009年11月30日/その154◇いずれにしても

 どっちなのか?.jpg

 処方してくれるのか?
 それとも処方せんのか?
 
 受付け致します、って書いてあるけどさ。
 どっちなのか? やはり迷うよね。
 
 ま、いずれにしても、
 私が処方を依頼する場合の先方の回答は、
 決まりきってるわけなんだけどさ。

 「あのお客さま。
 うちには馬鹿につける薬はございません」 
 
 おーまいがっど.jpg

 ───────────────────────────────


最新の画像もっと見る

コメントを投稿