フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2009年9月③

2010年09月09日 | しゃちょ日記

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 2009年09月16日/その78◇イチかバチカン

 バチカン。
 それは、世界で最も小さな国。

 香川、愛媛、徳島、高知。
 人呼んで、バチカン四国。
        
       うっ、失敗っ!(汗、涙)
                    
 dame.jpg

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 2009年09月18日/その80◇抜き上手

 以前mixiのコミュで『フラメンコ七転八倒』という
 お笑い投稿を募集していたことがある。
 今日は、その折の名作をひとつご紹介したい。

 ――――――――――――――――――――――――
       
 『抜き上手

 ♀4人で練習中、エスコビの抜けと同時に
 『ブッ!』と出てしまいました。
 お尻もいっしょに抜けたようです(--;)

 一瞬静まり返り『今・・・・・おならした?』と
 聞かれ耳まで真っ赤になりその場で倒れこんだ私です。

 ――――――――――――――――――――――――

 全世界のバイレ練習生に、
 安心感と優越感を与える
 感動の名作(実話)と云ってもよいだろう。
 このあと、投稿者である九州のチョー大物Kさんの
 作品(体験談)はウェブ上で次々とエスカレートしてゆくのだが、
 それら作品の、
 あまりにも華麗すぎる献身的自爆性を考慮し、
 涙を呑んでここでの掲載は控えさせていただく。

 おーまいがっど.jpg

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 2009年09月19日/その81◇枯淡の味わい

 きのうの『フラメンコ七転八倒』がバカ受けだったので、
 調子に乗って、もうひとつだけ。

 ――――――――――――――――――――――――
             
 『Oh My!ファザーズ

 寒くなってきたので
 「レッスン用のタイツタイツ……」と
 よく見もしないで稽古に持ってったら
 父の股引でした。

 でも履いてても誰も気が付かないしw。

 ――――――――――――――――――――――――

 Hさんのこの作品は、プロ並みのハイレベル。
 強いインパクトはないのだが、
 ラス前の行間と最後のオチがもたらす
 透明な余韻が素晴らしい。
 じっくり読み返すと、
 そこはかとない哀しみがジーンと伝わってくる。
 実になんとも枯淡の味わい。
 それでも人生なんとかなるさ!の一席。

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 2009年09月20日/その82◇あれはあれでよかったんだよ

 散歩の時にパコ・デ・ルシアを聴くのは珍しいことだ。
 しかもスーパーギタートリオの、
 あの伝説のサンフランシスコ・ライブと来たもんだ。
 頭からラストまで、
 こうしてみっちり聴くのは何年ぶりのことだろう。

 1981年の録音だから、
 このアルバムに熱中したのは25、6歳の頃だ。
 いま聴いても、
 やはり奇跡のライブであることには変わりがない。
 ギターを弾く人間ならば、
 誰もがこのトリオの超人性に驚愕することだろう。
 これぐらい弾けたらなあ、
 みたいな願望を軽々超越するレベルなので、
 ライバル心が芽生える余地もなく、
 純粋な聴き手として、
 どっぷりのめり込むことが出来るのだ。

 ギタートリオ.jpg

 当時リアルタイムでこのレコードにやられた
 オールドファン層は、
 そのこと自体がひとつのエポックとなったろうし、
 また、それぞれの人生は何らかの影響を
 与えられたものと思われる。
 現に私も、その三年後にパセオを創刊する。

 1曲目の『地中海の舞踏』は、
 私の青春のテーマソングみたいなものだから、
 それを聴けば否応なく、
 若かりし日々のさまざまな光景が脳裏を爆走する。
 「何やってんだオレ……」
 ほとんどが、そんなホロ苦い想い出ばかりだが、
 今の私がそこにタイムスリップ出来た場合、
 同じ失敗を繰り返すことはないだろうが、
 別の失敗をやらかす自信がある。
 それはハンパでない大失敗だろうから、
 今度こそ命はないだろう。

 「あれはあれでよかったんだよ……」
 そう胸を撫でおろすのである。

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 2009年09月21日/その83◇パセオ界隈①(高田の馬場)

高田馬場.jpg
安藤広重/名所江戸百景より『高田の馬場』(1857年)
             
高田の馬場.JPG
その150年後のほぼ同じ場所あたり
      
 JR高田馬場駅から早稲田通りを東に、
 15分ほど歩いた西早稲田のバス停あたり。
 パセオからなら約10分。
 江戸時代、堀部安兵衛の決闘で有名な
 元祖“高田の馬場”は、まさにここなのだ。

 たかだか150年でここまで変わる。
 確かにまるで違うようにも見えるが、
 元は同じ場所である。
 ふたつの風景を、注意深く見じっくり比べてみると、
 ほーら………やっぱり、じぇんじぇん似てない。

 だがしかし、いつか進歩も極まると、
 ついつい原点回帰を検討してしまうところに、
 人類のケナ気さがあると思うのだ。

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 2009年09月22日/その84◇そりゃそーだわ

 おとつい日曜の夕方は、
 日刊パセオのイラストでもおなじみのヨランダ画伯と
 もろもろ打ち合わせ。
 ひと段落ついて、さあ、メシでも食おうかと、
 高田馬場をぶらついていたら、
 居酒屋風な呼び込みの兄ちゃんが、
 真剣な面持ちで声を掛けてくる。

 スルーしようと思ったら、
 あきらめずに私たちに貼り付きながら
 熱心にお店自慢の講釈を続ける。

 兄ちゃんのあまりの熱心さに心打たれて、
 3階だというあまり立地条件のよくない
 その店に入った。
 豚肉とキャベツの鉄板焼きのあまりの旨さに
 画伯も大満足!

 “熱意”とか“執念”というものが
 あまり流行らない時代だが、
 そのイケメン兄ちゃんの、
 最後まであきらめない真摯なプレゼンテーションに、
 実は私は大いに感動していたのだった。

 どーせ何かをやるのなら、
 そりゃ一所懸命にやった方がいいわなと、
 当たり前のことを反芻してみた。

 共感②.jpg

 ところで昨晩。
 重たいのはスルーしちまう気分だったので、
 観るつもりじゃなかった映画『おくりびと』。
 しまいにゃ正座で観ちゃったよ。
 もー涙ぼろんぼろん。
 
 続いて『桑田佳祐の音楽寅さん』。
 まさかの最終回に、こつらも涙ぼろぼろ。
 ゆんべは呑みに行かなくて、ほんとによかったあ!

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 2009年09月23日/その85◇パセオ界隈②(面影橋)

面影橋.jpg
安藤広重/名所江戸百景より『おもかげの橋』(1857年)

面影橋.JPG
[その150年後のほぼ同じ場所あたり]

 150年の歳月は、“おもかげの橋”を
 何の変哲もないコンクリート小橋に変えたが、
 辛くもその美しい名は残った。

 橋の向こう右手には、落語『道灌』でもおなじみの
 “山吹の里”の碑がひっそりとその姿をとどめる。
 橋の手前には、東京で唯一のちんちん電車、
 都営荒川線の停車場“面影橋”がある。
         
 都電・面影橋.JPG
     
 目を閉じれば、
 広重の描いた光景が視えないこともない。
 パセオから歩けばほんの五分。

 仕事のアイデアに行き詰まるとブラッと出掛ける
 散歩コースの中ほどに面影橋はある。
 てゆーか、年がら年中アイデアはどん詰まりなので、
 いっそのこと、
 面影橋のたもとに座机でも置いて仕事した方が、
 まだしも効率はいいかもしれない。

面影橋から神田川.JPG
 [面影橋から神田川]

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 2009年09月24日/その86◇正義の味方

 月よりの使者、月光仮面!

 月光仮面.jpg
 ビデオ『月光仮面』 発売元●げんごろお

 幼いころの「都電の運転手」や「プロ野球選手」という
 将来ヴィジョンの狭間に、
 「月光仮面」という憧れの職業があった。

 若い人は知らんだろーが、
 昭和三十年代に一世を風靡した正義の味方である。
 原付バイクにまたがって東京中を駆けめぐり、
 悪人どもを退治するこのツエーおじさんを、
 当然私は実在の人物だと思っていたのである。
 
 たぶん無いと思うが、
 もし「月光仮面養成専門学校」みたいなのが
 高田馬場の会社近くにあったなら、
 私は本気で入学を考えるだろうか。
 かつてスポーツ万能だった俺も、もう54歳だし、
 すっかり心も汚れちまってる。
 適性テストの結果、
 脇役の松田警部に似た試験官のおぢちゃんから、
 「あっ、君は正義の味方に向かないから、
  実習用の悪魔の手先ね。
  そのかわり日当出るから、三千円っ」
 みてーなことを云われそうで、
 二の足を踏みそうな気もする。

 今でも三年にいっぺんぐらいは、
 月光仮面になった夢を見る。
 私立探偵・祝十郎(いわい・じゅうろう)こと私は、
 悪の権化どくろ仮面の一味に追い詰められて
 断崖絶壁から突き落とされるのだが、
 そこはほれ、実は月光仮面の俺である。
 スポーツは万能だし、格闘技と射撃は名人クラスだ。
 それぐれーは何のそので、
 敵に見つからないように即崖をはい上がり、
 月光仮面の衣装を隠してある場所に駆け込み、
 すばやく着替えようとするのだが、
 ちょっと太っつまって真っ白な全身タイツが
 なかなか思うように履けないのだ。
 (注:おしっこやうんこが漏れそうーな時もある)
 ああ、やばっ、どくろ仮面が手下どもと
 どっかに行っちまうじゃねえか。
 奴らを、弾丸サパテアードかなんかで、
 今日こそはとっ捕まえねーことには
 最終回が締まらねえじゃねーか、
 早く着替えんかいっ、こらっ、
 と焦りまくったところで目が覚めるのが定番だ。

 根っからの悪人も根っからの正義の味方も、
 この世に存在しないことを知ったこの期に及んで、
 いったい私の夢は、何を訴えかけているのだろう。

 月光仮面2.JPG   
 [どくろ仮面を追う月光仮面が、
  電線からビルに飛び移る決定的瞬間を、
  パセオ2Fのベランダ物干し場にて、
  筆者懸命に撮影 ⓒ株式会社パセオ]

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しゃちょ日記バックナンバー/2009年9月④

2010年09月09日 | しゃちょ日記

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 2009年09月25日/その87◇一家離散の意義

 毎年恒例、一家離散の数日前。
 連れ合いのスペイン行き用のスーツケースが出てくると、
 それを察知するジェーは、さびしいようなうれしいような
 様々なパフォーマンスを始める。

ジェーすね3.jpg

 通常は、どちらかと云えば孤独を好む土佐犬なのだが、
 この時期は、連れ合いや私にベタつくシェパードとなる。
 
ジェーすね1.jpg

 スペイン行きを前にルンルン気分な連れ合いに
 懐疑的な目を向けるジェーは秋田犬そのものだ。

ジェーすね2.jpg

 ま、それでも一家離散はスムーズに実現し、
 ひとり留守番する私は、この時期、
 早寝早起きの炊事・洗濯・掃除おぢさんとなり、
 約二週間、まるで修道女のように清く正しく美しい
 ストイックな生活を送ることになる。
 しかもこの時期、私は玄米食である。

 二週間の一家離散シーズンもあとわずか。
 早いもので、来週月曜にはまた全員集合となる。
 なぜか全員ころころ太ってのご対面も定番化している。
 この年中行事は、それぞれの「自立と協調」を鍛える、
 絶好のトレーニングなのかもしれない。

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 2009年09月26日/その88◇パセオ界隈③(芭蕉庵)

神田川/関口.jpg
安藤広重/名所江戸百景より『関口・芭蕉庵』(1857年)
            
神田川/芭蕉庵.JPG
その150年後のほぼ同じ場所あたり
                  
 パセオを右に出て、
 神田川をずずっと東に歩けば
 15分ほどで関口の“芭蕉庵”だ。

 名人松尾芭蕉は、
 俳諧プロ入り前の四年間(34~37歳)を、
 ここで暮らしたと云われる。
 ここら辺りは、私的には東京随一の桜の名所である。
              
2008桜①.JPG
 [対岸斜めから芭蕉庵(しだれ桜の下)を眺める]

 年に三日ほど、この絶景を眺めたいがために、
 株式会社パセオは、高田馬場を動けずに居るのだ。
 「引越し代がないだけじゃん!」
 こうした真相よりも、よっぽど味のある理由とは云えまいか。

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 2009年09月27日/その89◇巣鴨になれない

 なかよし連でワイワイにぎわう呑み屋のカウンター。
 活気ある喧騒の中、久しぶりにやってきたユキちゃんは、
 挨拶もそこそこに職場のグチをこぼし始める。

 「こんなんじゃ、巣鴨になれないよ」
 「そりゃそーだろ。おめえだって人間の端くれなんだから」
 「えっ、人間は素直になれないの?」
 「えっ、巣鴨になりたいんじゃねーの?」

 ……ったく、どーゆー会話じゃ。
                
 「ファンタジー」051224.JPG

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 2009年09月28日/その90◇「なに、ただの遊びさ」

 土曜日の午後。
 神田川のパセオ(散歩道)を歩く。
 根を詰める仕事がひと段落したので、そのご褒美だ。
 小田急、井の頭線を乗り継ぎ吉祥寺に出て、
 神田川の水源がある井の頭公園から自宅までの、
 小休憩込みで約3時間、約13キロのコースである。

神田川水源碑051230.JPG

 久々にどっぷりセンチメンタルな気分に浸ってみっかと、
 それ系CDを4枚ばかり聴く。
 ピアソラ、ケニー・ドリュー、ディーリアスと、
 通常とはまったく異なるメニューで、
 しかも締めは、『徳永英明/ヴォーカリスト』だよ。

 『駅』、『異邦人』、『LOVE LOVE LOVE』、
 『シルエット・ロマンス』、『秋桜』など、
 懐かしい名曲のカヴァーがたくさん詰まってるアレだ。
 それぞれの曲が、若かりし日々の
 甘酸っぱい感傷と羞恥のシャワーを浴びせる。
 だからどーしたという、モラトリアムな気晴らしなのだが、
 これが意外と明日への活力につながるところが、
 人間のかわいいところだと思う。ってオレだけかあ?

徳永英明.jpg

 徳永英明さんは好みの歌手ではないはずなのに、
 かなり聴く頻度は高い。
 シンプルで飽きのこない深い歌唱力が、
 その理由なのだろう。
 私の中では、カンテ(歌)フラメンコの巨匠、
 アントニオ・マイレーナと同等の人気の高さだ。

 ちょうどええ加減にくたびれて、
 翌日の煮物用の買い物をして帰宅。
 ひとっ風呂浴びて、里芋の皮をむきながら、
 ビデオで映画『スティング』を観る。
 かつては名画ベストテンの常連だったチョー名作だ。

スティング.jpg

 「なんでこんな危ないことに命を賭けてくれるんだ?」
 「なに、ただの遊びさ」

 ラスト前のロバート・レッドフォードとポール・ニューマンの
 こんなやりとりに、20歳の私はもうメロメロとなった。
 そんなセリフが、あまり堅気でない、
 その後の人生を決定づけた要因だったかもと、
 さらにセンチメンタルな気分を盛り上げつつ、
 独身最後の夜を、ご近所の行きつけへと向かうも、
 例によってお下品なお仲間連の下ネタ攻勢に、
 甘くせつない気分は、瞬時に撃沈せり。

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 2009年09月29日/その91◇不注意

 「つまずきは、落下を防ぐかもしれない」

 なるほど、つまずきは落下の予兆であると。
 軽くつまずいたら、
 それは何か悪いことが起こるサインだから、
 くれぐれも用心せーよ、と。
 
 さすがにイギリスのことわざは味わい深い。
 “経験論”を生んだ国だけのことはある。
 
 つまずいたことなど一度もないチョー優秀な私だが、
 毎日のように、いきなり豪快に落下している原因が、
 おぼろ気ながらわかった気がする。
            
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 2009年09月30日/その92◇悲愴

 チャイコフスキーの『悲愴』を聴く。
 フェレンツ・フリッチャイ指揮、
 ベルリン放送交響楽団の1959年録音。
 あまたの名盤ひしめく中を、最近はこれ一本。
 好き嫌いは分かれるだろうが、演奏は圧倒的だ。

 比較的スケジュールが楽チンで、元気一杯な時に聴く。
 そう。聴けばイッパツで落ち込むことが出来るから。
 嘆くような悲愴ならば、大いに救いはあるのだが、
 フリッチャイの悲愴は嘆かない。
 壮絶な厳しさの中を、ただ何物かに対峙するのみである。
 救いのないことの明らかなることのみが、
 唯一の救いかもしれない。

 悲愴.jpg
 
 全4楽章、約51分をひたすら無心に聴き終えると、
 しばし魂を抜かれたような状態になる。
 日頃よりヘラヘラ生きている私には、
 その感触はショッキングですらある。

 情けない自分が、別に叱咤されるわけでもない。
 荘厳にして、だがしかし、他人ごとではない親近感。
 自ずと襟を正したくなるような不思議なノスタルジー。

 「人間にはこんな感情もあるのだ。
  そのことを忘れちゃいかん」

 ややあって、そんな風に想えてくる瞬間、
 私の心は、自分好みのバランスを取り戻す。

 IMG_0012.JPG

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しゃちょ日記バックナンバー/2009年8月①

2010年09月08日 | しゃちょ日記

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 2009年08月01日/その32◇ギター修行僧すかるのあんちょこ

 33 ギター修行僧すかるの冒険 j.JPG

 ギター修行僧すかるのあんちょこ

 身体にたたき込まれたはずなのに
 なぜか頻繁にトチ狂うコンパス、
 左手指先マメ、
 飛び散るブエルタ汗シャワー、
 愛のツッコミでむせび泣きはらした
 嬉し涙と悲しみの涙、
 500mlは使ったかと思われる瞬間接着剤、、、
 媚びへつらいながらも伴奏修行の難関超大旅路に
 敢然と立ち向かう、
 超ドマゾチックすかるの実体験に基づく表技、
 裏技、秘技、ジンクス、爆笑伝説、、その集大成?たる
 秘伝のあんちょこを今ここに公開。・・。

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 とまあ、こんな感じ(↑)の異色の大物新人である。
 日刊パセオの「『フラメンコ笑辞典』に、
 あまりにおもろい投稿をお寄せいただけるものだから、
 思わずmixiメッセでスカウトに走り、日パへの不定期連載をノーギャラでお願いした。
 ギター関連の私の友人知人は、ジャンル越えでプロだけでも100名は数えるはずだが、
 このギター修行僧すかるは、そのどのタイプにも属さない未知のおっさんである。
 無論お会いしたこともないので、実際にはおっさんかどーかもわからない。
 彼は私との約束を果たし、初めてだというブログを先日アップしてくれた。
 好みは分かれるだろうが、ハマる人間も多いことだろう。
 けっこうバイレの練習生には学びどころが満載だなと、まぢで私はそう思う。


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 2009年08月02日/その33◇哀しみのフラメンコ川柳
                   
ヨラ/フラメンコ川柳.jpg

 ヨランダ画伯による「フラメンコ川柳」プロモーション4コマ。
 「フラメンコ 10年やっても 17さい
 実に、実に、うらやましー話である。
 もっとも、こんなの(↓hiro)もあるんで、要は気の持ちようか。
 「フラメンコ 何年やっても まだハタチ

 それはさておき、
 天災美形歌人、北海道・マールの本格乱入で、
 現在すごいことになってる当トピックに、明日はあるのか?
 ちなみに、こんなのが(↓)ヘーキで載ってる(汗)

 「基礎の無い 工事も踊りも 命とり

 「フラメンコ 初めが肝心 男もね

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 2009年08月03日/その34◇お気に入りの短詩

 君の言葉に歌を聴き
 君のしぐさに舞を見る

 業界の内外から毎日のようにかかるバブル期のお座敷は、
 こんなサビで泣かせるフォーク歌謡調の持ち歌一本で乗り切った。
 そんな短詩が当時の心情にピッタリだったこともあって、
 私の爆唱カラオケに対する反応はそれなりで、
 見知らぬ姐さんグループからバランタイン17年を丸ごとプレゼントされたことは、
 私の生涯における最大にして最後の栄光である。

 三橋美智也や春日八郎を子守唄代わりに聴いて育った世代なので、
 演歌・歌謡曲だけは筋金入りだ。
 自分で歌うことはともかくも、それらを楽しく聴くことにかけては、
 かなり上質なアフィシオナードたる自負がある。

 仕事を最小限に押さえて、カンテ・フラメンコのCDを1日5枚以内と決めて、
 みっちり聴き込んでいた頃、
 ほぼ一年くらいで、これはいい、これはそうでもない、
 みたいな感触が自然とわかるようになった。
 北島三郎と森進一はいいけど、○○○○や○○○○はそうでもないみたいな、
 好みを超越するセンサー感覚である。
 マノロ・カラコールを聴くと三橋美智也を、
 アントニオ・マイレーナを聴くと春日八郎が聴きたくなるという、
 天然異常感覚で鳴らす私の云うことだから、
 もちろんこれはまるでアテにはならない。

 ま、それはともかくも、この国際的な不況が逆に本物志向を促し、
 そろそろ我が日本にも、ミゲル・ポベーダのような
 国民的歌手が出現するのではないかと、心ひそかに私は期待している。

 つーことで、人気・実力ともにカンテ・フラメンコ最前線を突っ走る、
 ミゲル・ポベーダのとれたて新譜『コプラス・デル・ケレール』
 (※ええ加減に訳せば、お気に入りの短詩、みたいな)が、
 くる日も来る日も、朝から晩まで流れるパセオ編集室であった。

ボベーダ.jpg
ミゲル・ポベーダ/コプラス・デル・ケレール
(2009年/ユニバーサル)

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 2009年08月04日/その35◇フラメンコライブはどう創られる?

 「フラメンコライブはどう創られる?」

 こんなテーマで複数から執筆依頼が来ていたので、
 よく自宅でも顔を合わせるバイラオーラに無理やり頼み込んで、
 きのうの午後、ちょうど今週末のライブを控えた彼女の、 
 その制作現場を取材させてもらった。

090804カデーナ・リハ.JPG

 さまざまなジャンルから集結したミュージシャンたちの、
 その即座のアンサンブルと会話のレベルの高さに舌を巻きつつ、
 時(3時間)の経つのも忘れて走らせたメモは20ページにも及んでいた。

 メモをまとめながらカツどん食ってパセオに戻り、
 ボリュームある経営会議(2時間半)をガッツリすませ、
 取材メモをPCに整理したら、70%完成の記事が二つ出来上がっていた。
 そう、江戸っ子は早いのが取り柄だ。
 これに内容が伴ってりゃあ万々歳のところだが、
 ないものねだりは、いけねえ、いけねえ。(涙、つーか号泣)

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 2009年08月05日/その36◇天気予報

カプージョ.jpg
[カプージョ・デ・ヘレス/これが俺] ALIA 2000年
   
 知る人ぞ知るヘレスの名カンタオール(男性歌手)、
 カプージョ・デ・へレスの何が飛び出すかわからない、
 素朴なんだがワクワクするようなアルテ。
 そんな芸風を連想させる私の大好きな落語家、
 昔昔亭桃太郎さんの得意ネタはコレ(↓)。

気象庁の運動会が、雨で中止になったそーです

 4枚リリースするCDの内2枚に入っているネタなので、
 きっと桃太郎師匠ご本人もお気に入りなのだろう。

 あっ、お天気関係者の方がいらしたらごめんなさいね、
 これって失礼すぎですよね。
 でも、これってたぶんギャグですから~
 って、、、フォローにも何にもなってねーよ(汗)

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 2009年08月07日/その38◇昭和なシュール

 母に手を引かれながら、荒川の上を歩いている。

 対岸の土手同士を結ぶように、
 なぜか川面に直接、あまりにも唐突に
 3メーターの幅もない狭い砂利道が続いており、
 それを東側から西側の小松川方面に向かって、
 私たちは歩いているようだ。

 川向こうで何か用事をすませてきたようだが、
 それが何であったかはわからない。
 やはり手をつないで、私たちの後をついてくる
 姉と兄の姿からすると、私は5歳くらいだろうか。
 そのほかに、川の上を歩く人影はない。

 荒川を渡りきって土手を越えれば、
 そこは都電25番線の終点『西荒川』あたりのはず。
 電車道にしばらく沿って、
 煙草屋を左に行けば我が家がある。
 ロッシーニを口ずさみ、上機嫌で仕事をしながら、
 父は私たちの帰りを待ちわびていることだろう。

 波の荒れる、こんなに幅広な大川を歩くのは、
 泳げぬ私には相当に怖いはずなのだが、
 母としっかり手をつないでいるせいなのか、
 まったく恐怖は感じていない。
 つくしん坊が生えているはずの小松川の土手は、
 もうすぐそこだ。
 だが、いくら歩いてもなかなかたどり着かない。
 おかしいなあ。
 でも、そんなことはどーでもいーや。
 そう思いつつ、黙々と私たちは歩く。

 おそらく小学生の頃に見た夢だと思うが、
 いまだにその光景を鮮明に憶えている。
 土手の緑と荒川の青が印象的だったから、
 それはおそらくカラーの夢だったのだろう。
 夢の記憶は、そこでプッツリ切れるのだが、
 いつかその続きが観れないものかと、
 もう40年以上も想っている。

小山家/日比谷公園.jpg

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 2009年08月08日/その39◇アントニオ・ガデス

 「とにかくパセオを続けること」
    

 舞踊団を率いて来日するたびに、フラメンコの帝王、
 アントニオ・ガデスは、若い私にこのことだけを求めた。

 ガデスは聡明で優しい人だった。
 私を見た瞬間に彼は、
 「この男が憶えられるアドバイスはひとつだけだろう」と、
 とっさに判断したに違いない。
 
 アントニオ・ガデスは完璧主義者だったが、同時に
 相手のレベルに合わせた要求も出来る人だった。
 私は不完全主義者だが、同時に自分のレベルに
 合わせた要求には応えようとする人である。
 それゆえ、私は彼との約束を守り続けているのだ。

ガデスDVD.jpg

 本国スペインでも発売されていない、
 「永遠なるアントニオ・ガデス」を描く
 スペイン国営放送制作、
 株式会社パセオ発売によるDVD

 

           
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しゃちょ日記バックナンバー/2009年8月②

2010年09月08日 | しゃちょ日記

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 2009年08月09日/その40◇残暑見舞い

 法事で訪れたお寺で、男が用を足していると、
 不ウンにも紙がない。
 援軍頼みに小窓から顔を出してみると、
 ウンよくひとりの僧が歩いてくる。

 「あんた、この寺の坊さんかいっ?」
 「そー(僧)です」
 「紙がねーんだ、持ってねーかい?」
 「何枚だあ? なむまいだあ」

 結局、あまりに横柄な男の態度に、僧は去ってしまう。
 こーゆー奴は、ホットケということなのだろう。
 男は仏にも見放され、カミにも見放された。

 こないだテレビでやってた三笑亭夢之介師匠の
 冴えたお笑いに、お寒い蛇足を加えてみた。
 この暑さの中、凍えるよーな寒さを提供しよーとする
 献身的なこのわたくしからの、
 みなさま方への残暑お見舞い。

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 2009年08月10日/その41◇父の戦略

 「きれいに焼けちゃったなあ、はっは」

 焼け跡を静かに見つめる兄は、駆けつけた弟をふり返りながらこう云う。
 二十数年前、隣家からのもらい火で生まれ育った実家が全焼した。
 悲劇を喜劇に転じようとする、その爽やかな笑い声がいまも心に響く。
 「便所まで丸焼けで、あれがほんとのヤケクソだったよなあ」。
 そんな昔話に、何度ハラを抱えて笑い合ったことだろう。

 「長男は堅気に、できれば公務員に。次男は自由な道で」。
 真田一族じゃないけど、それが親父の戦略だったんだよと、
 四つ年上の兄から、数年前そのことをはじめて聞かされた。
 幸村みたいに勝手放題に跳ねまわるお前がうらやましかったよと云う兄だが、
 彼にしたって第一志望の小学校の先生になれたわけだから、
 そこはおあいこのように思える。

 怖いもの知らずに荒稼ぎしていた学生時代の私には、
 実家や兄にその半分ほどを回していた一時期があった。
 当時は大学の合気道部一直線だった武闘派の兄は、
 そのことをいまだに恩に着てくれるのだが、
 二度の結婚や株式会社設立の時には目ん玉が飛び出るような祝儀を包んでくれた。
 おまけにもう四半世紀近く、兄には大きな借金の保証人を引き受けてもらっている。
 私がポシャれば兄貴もポシャる、通算すれば数億円の保証人だ。

 昨年から兄の連帯保証なしで借金が出来るようになったので、
 これまでほんとにお世話になりましたと、
 この正月の兄宅の新年会で両手をついて永年の礼を云ったら、
 手放しで喜んでくれると思っていた兄がちょっと寂しそうな表情をした。
 兄にとっての私は、ヤクザな弟であると同時に、
 手がかかって当たり前のバカ息子同然だったことに、その時気づいた。

 その元旦の新年会では私の連れ合いが作るパエージャが恒例化しているのだが、
 甥や姪たちがこれに夢中でパクつくのを横目に見ながら、
 兄との共通項である文学の話になった。
 音楽はからきしダメで、昔から硬派文学を好んだ読書家の兄だが、
 近ごろは肩の凝らないエンタテインメントがお楽しみらしい。
 とっておきの愛読書は超人気作家、あの佐伯泰英さんの時代小説だと云う。
 その新刊はすべて買う、テレビドラマも全部観る。
 あっ、フラメンコの小説なんかも書いてるぞ、おまえ、佐伯泰英知ってるか?

 その昔の数年間、フラメンコ協会設立・運営のために、
 毎晩のようにその佐伯さんとツルんでいたことを私は話した。
 当時ビンボーだった佐伯さんが無理やり買った四輪駆動の保証人、
 しょーがねえんでオレがなってやったんだよ。

 ほ、ほんとかよ、おいっ?
 つーことは、佐伯泰英の保証人がおめえで、
 そのまた保証人がおれだってこと?……。
 ううっ、さすがわおれ様の弟だあ!と、
 こんどは心底うれしそうに笑った。

都電・面影橋.JPG

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 2009年08月11日/その42◇ギブ&テイク

 人生と料理の達人・秀の一周忌が近づき、
 いまも活況を呈する代々木上原“秀”にて、
 秀を愛する老若男女による
 肩の凝らない呑み会をやることになった。

 “肩の凝らない”という秀好みのコンセプトが肝心なところで、
 遠方のお仲間たちにも郵送するそのお知らせの文面は、
 売れっ子コピーライターのヒデノリに書いてもらいたい。
 一行でウン百万を稼いだりもするヒデノリだが、
 私の食いかけのおしんこから
 高級タクアン2枚を進呈することで、
 大喜びで彼はそれを引き受けた。

――――――――――――――――――――――――
 今年は、8月○日を
 「喰いしん坊の日」にさせてください。

 秀さんが、活躍の場を
 私たちそれぞれのココロの調理場にうつして
 早くも1年を迎えようとしています。
 今も差しだされるひと品ひと品の味わいは、
 景気につられてうつむきがちな我々の気持ちを
 どこかで救ってくれているに違いありません。
 そこでいかがでしょう。
 今年は8月○日を「喰いしん坊の日」に。
 ワイワイと集まって、ガヤガヤと楽しい夕べに
 できたらと思います。カウンターにテーブルに、
 お互いの無事を確認しながら笑いあえれば幸いです。

             「喰いしん坊の日」実行委員会

――――――――――――――――――――――――

 う~む。
 文章というのは、こう書くものかと思った。
 いまもみんなの心に生き続ける、
 楽しげな秀の包丁さばきが脳ミソいっぱいに広がる。

 ヒデノリはちょうど私よりひと回り年下のヒツジで、
 週に何度かは呑み交わす、ここ十数年来の
 ご近所のチョー仲良し連のひとりだ。
 近年は、内外の政治・経済情勢や
 スポーツ・文学ネタを彼が担当し、
 冷房入らずの駄ジャレや
 前人未到の下ネタを私が担当することで、
 私たちの美しいギブ&テイクの関係は成立している。

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 2009年08月12日/その43◇ディスクに潜むドゥエンデ

duquende1.jpg
 『ドゥケンデ/サマルーコ』 POLYDOR/2000年


 恐いほどに切れ味鋭いテクニック、
 憑依した如くにデーモニッシュなまでの表現。
 次はいったいどんなことになるんだろう?
 その張りつめた緊張感に思わず息を呑みながらも、
 最後まで持っていかれてしまう。
 どどっと疲れるが、それは最高の充実感をともなう疲労だ。

 太陽を反射してキラキラと光り輝く美しい水面。
 そして、その水面下にあるのは恐ろしいほどの深みだ。
 ドゥケンデの意識は、常にその底知れぬ深淵の方に集中している。
 アポロン的(理性と調和)なものではなく、
 ディオニソス的(命の根源的力)なものに向かう。
 人間なら誰しも時に持て余してしまう、
 心の奥底に潜む得体の知れない欲求と衝動。
 彼はそうした暗闇とガチンコで向きあう。
 そこでの対話もしくは格闘こそが、
 彼のカンテ・フラメンコそのものと云っていい。

 だから、アレグリアスを歌ってもめっちゃ暗い。
 ペルラ・デ・カディスがシギリージャを歌っても
 「希望の灯」が見えるのとはまったく対照的だ。
 本人的にはパコ・デ・ルシアとのブレリア(レアル広場)がお気に入りらしいが、
 ヤジ馬的にはカニサレスとやったシギリージャが群を抜いて異常にすばらしい。
 期待となれ合いよりも不安と孤独に充ちた現代の、
 その核心を射抜くような容赦なき絶唱には、
 逆に癒されるというか明快なカタルシスを与えられる。

 ――――――――――――――――――――――――

 これは、数年前に書いた販促コピーなのだが、
 ワケのわからん文章がかえってウケたのだろう。
 このドゥケンデのCDが急激に売れ出したことは、
 私の人生最後の自慢である。
 ちょっと前のパセオフラメンコに載った彼のインタヴューは面白かった。
 無口そうなドゥケンデがけっこう楽しげに語っているから。

 「フラメンコは飲まなきゃいけない。
 その源はいろんな意味があるけど、僕はそれを飲む。
 でも、最初から意図したわけでもないよ。
 僕はただ喉が渇いていたんだ(笑)。
 でも、今言った意味はそこにあるよね」

 この象徴的な一節が、いかにもドゥケンデらしい。
 女性を口説くのにもまさにドンピシャの台詞だと思うが、
 すでにそうした前途が絶望視される私は来世での借用に希望をつなぐ。

 さて語るべきは、
 20世紀カンテ・フラメンコの超名盤『サマルーコ』の2曲目、
 例の『シギリージャ/たったひとことだけでも』である。
 ファンタスティックに可愛らしいおとぎの国のお話なのかと思ったら、
 話が違うよ、おゐおゐ、ここは地獄の三丁目かよっ!みたいな、
 約30秒ほどのカニサレスのイントロで始まるアレだ。

 ご存知ない方には、これはもう、実際にお聴きいただくしかないのだが、
 凄いとしか云いようがない位にモノ凄い。
 フラメンコを見くびるクラシックの音楽オタクも、
 これを聴かせると一発で黙る。

 つまり、その、ちょっと説明し辛いんだが、
 録音ではそいつを捉えることが難しいとされている、
 例のアレ(ドゥエンデ)が来てる。
 こんなことを大声でしゃべると、ナンだかよくねーことが起こりそうで、
 先ほどからほれ、ちょっと文字まで小さくなっちまったようだが、お客さん、
 このことだけは、くれぐれも内緒に頼むぜ……って視力検査かっつーの。

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 2009年08月13日/その44◇そっちかい

 「以前よりも、話の論理が明快になったね」
 論客として鳴らすSが、珍しくこの私を褒めた。

 「習うより慣れろ」。
 または、「闘いながら闘い方を覚えろ」。
 この三年半あまりの最大の収穫は、
 毎日のブログ更新やコメントのやりとりによって、
 自分のしでかしたことや考えたことを、
 ダイレクトに文章で伝達できるようになったことだろう。

 こーゆード素人の駄文を他人さまに読んでいただくには、
 さしあたっての礼儀として、あるいは安全策として、
 起承転結みたいな構成を意識する整理作業が必要だ。
 そして、そこでの論理の練り上げのプロセスが、
 一石二鳥的に、日常の会話なんかにも
 そのまんま活かされることになる。

 ふへへ( ̄▽ ̄) 。やっぱしな。
 そうじゃねーかと内心オレもそう思ってたんだよとニヤけた刹那、
 クールで鳴らす論客Sはこう付け加えた。

 「以前は云わんとすること自体サッパリ理解できなかったけど、
 最近はお前の話す内容のくだらなさ加減がハッキリ理解できるようになった」
   
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 2009年08月14日/その45◇必勝を期す


 闘う人間たちの喚声が響いている。
 方々に火の手が上がっている。
 どうやら戦闘の最中のようだ。

 「手はず通り、女子供は抜け穴から脱出させました」
 白いターバンを巻き、立派なヒゲを生やした私の家臣らしき精悍な男が、
 私に向かってそう叫ぶ。

 どうやら私は戦闘員ではなく、高い地位の人間らしい。
 時代は中世のようだ。
 見覚えのある回教風の建物がいくつも並んでいる。
 あのアルハムブラ宮殿にもよく似ているなあ。

 「敗戦は時間の問題です。大臣、あちらへっ!」
 見れば、味方とわかる豪奢な衣服を着た人たちの
 首のない亡骸がいくつか整然と並んでいる。
 敵に捕えられ辱めを受ける前に自害を、
 という彼の意図をすぐに察知する。
 それと、どうやら私は大臣らしい。
 それによって、人を見る眼のない人たちで構成される国であることもわかる。

 躊躇も恐怖もなく、そこへしゃがみ込んだ私は、
 その木の切り株にピタリ額をつけ、
 背後から大斧で首をはねやすいような体勢を構え、
 その瞬間を待つ。
 首に軽い衝撃を受け、ああ終わりなんだなと思う刹那に目が覚めた。

 首へのショックは、
 寝床の脇のソファに登るために、いつものようにジェー(犬)が、
 私の体をジャンプ台代わりに使ったときの衝撃だったようだ。
 出番が少なかったのは、わずか数秒で見た夢だったからだと合点する。

 関ヶ原の戦いにおける豊臣方の足軽やら、
 壇ノ浦の戦いにおける平家の船頭やら、
 合戦の先駆けをやったことは多々あるが、
 幹部クラスを演じる夢はたぶん今回が初めてだ。
 いきなりの大出世に驚きつつも、
 戦の夢で勝ち組にまわれたことなど一度もなかったことに、
 ふと気づいて力なく笑う。

 よーし、次回は必ず勝つからなあと、
 自分に暗示をかけるようにつぶやいた瞬間、「ぐぇっ」。
 まるでトドメを刺すかのように、
 ソファのジェーが私の胸元にド~ンと降り立った。
         

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 2009年08月15日/その46◇何をやっても一生は一生

 「何をやっても一生は一生」

 その昔、プロ棋士を志すきっかけになった警句。
 それまでは、何物かに流されている感じが強かったのだが、
 将棋の月刊専門誌の文中に黒光りしていたこのアフォリズムには、
 きっぱりとしたワクワク感があった。
 そうかっ! 自分の人生は自分で選んでいいのかあ!

 昭和40年代半ば。
 すでに世の中は、あまりにも過保護になりすぎている時代だったから、
 流されやすい中学二年の私は、そんなことにさえ気付いていなかった。
 異様な過保護に本能を狂わされる現代の少年少女も大変だが、
 わたしら世代も同じようなものだったのではなかろうか。

 この言葉が内包するポジティブな開き直り戦略が、
 プロ棋士入門テスト失格に始まる、失敗に失敗を重ねまくるその後の、
 他から流されるのではなく、自ら積極的にスベりまくる人生の、
 あるいはフラメンコという目的にたどり着くプロセスの、
 それらすべての源だったのかと思うと妙に感慨深い。
 将棋専門誌に生きるヒントをいただき、
 いまフラメンコ専門誌に生きる糧と十字架をいただく。

 ちなみに近年は、これまでの数限りない大失敗を
 巧妙にカムフラージュしようとする
 「人間万事塞翁が馬」が座右の銘だが、なにか。

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しゃちょ日記バックナンバー/2009年8月③

2010年09月08日 | しゃちょ日記

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 2009年08月16日/その47◇仲間
           
 晴天のきのう土曜日。
 午前中に雑用をかたづけ、入院中の友を見舞いに。

 それは彼からのリクエストだった。
 いつだって自分の方から駆けつける、
 アクティブでド根性の塊のような彼の性質からすると、
 それはあり得ないリクエストだった。

 いくら鈍感な私でも予測せざるを得ない内容の話だった。
 それが何時のことなのかはわからないが、
 私だって、いつか周囲にしなくてはならない類の話だ。

 ベッド脇にドヴォルザークのシンフォニーのCDがある。
 ロマンティックを極める第三楽章が印象的な第八番。
 先ほどまで聴いていたらしい。
 そういう趣味を初めて知ったが、なるほど彼らしい選曲だ。

 それまでの経緯、そしてこれからの展望を冷静に彼は語り、
 それを受けて、私は彼といくつか具体的な約束をした。
 でも手術がダメだと決まったもんじゃないんだから、
 明るい路線を考えないのは片手落ちだと、
 彼の論理の欠陥を突いた。

 静けさや 岩に染み入る 蝉の音。
 病院を出たら、芭蕉みたいなシーンが聞こえてくる。
 昼下がりの噛みつくような日差しだったが、
 タクシーをやめて、駅まで歩くことにした。

 いつでも汗水たらして一所懸命に、
 しかし楽しげに働く彼は、仕事上の私の戦友でもある。
 汗だくになりたくなった私は、
 長くてアップダウンのあるそのシンプルな一本道を、
 ややムキになって歩く。

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 2009年08月17日/その48◇やれやれ

 高田馬場駅前の銀行で借り入れの本契約をすませ、
 やれやれとばかり、パセオ近くのルノアールで遅いモーニングをとる。

 「やれやれ」と云うのは、
 早朝からの自宅デスクでの仕事に熱中しすぎて、
 その日午前10時の契約のことを、すっかり忘れていたからだ。
 朝風呂にも入らず、メシも食わず、短い足のダッシュで駆けつけ、
 ギリギリのところで約束の時間に間に合った。

 この25年、締切を落としてもハラを切らない執筆者たちのおかげで、
 どうやら人との約束を守れるタイプの人間になれたことに、
 皮肉でなく感謝したくなる。
 正直云うと、以前の私は平気でそれを落とす惨めな詐欺野郎だった。
 思い上がって相手の“時”を軽んじたがために、
 せっかくの大チャンスを幾度も逃した。
 今ではあらゆるチャンスをガシリ先手で受け止め、
 そのほとんどにチャレンジ~失敗できるほどに成長した私である。
 ま、とりあえずの結果はいっしょだが、
 その爽やかさやポテンシャルには格段の差があるのだ、と思いたい。

 ま、そりゃさておき、実に感じのよい接客をする、
 バリバリの新人らしきそのルノアールのグラマーなねえさんをチラリ見ながら、
 その言葉の脈略から、中学時代の英文法(グラマー)の女性教師のことを思い出した。

 「グラマーの河井です」

 男子に人気の、女優の加賀まりこさん似の勝気な美人だが、
 ものすごく痩せっぽちだった河井先生が折おり敢えてこう強調し、
 毎度私たちの失笑を買う“やれやれ”な光景を思い浮かべながら、ゆで卵にかぶりつく。

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 2009年08月18日/その49◇早口言葉


 先月の大相撲・名古屋場所。
 幕内の熱い闘いをテレビ観戦しながら、
 弁当を食っていたら、
 デザートに桃が二切ればかり入っている。

 スモウもモモも幕の内、とはこのことかい。
              
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 2009年08月19日/その50◇面影橋から

 何をやっても中途ハンパで、結局どこにも就職できない25歳の私が、
 文京区の本郷に音楽関連のオフィスを構えることができたのは、
 よくよく考えてみると、実は姉のバックアップによるところも大きい。

 飛び切りのチョー美人とは云い難い八歳上の姉だが、
 その気さくで真摯な性格から男どもにはよくモテた。
 「将を射んとすればまずその馬を射よ」とばかりに、
 その末弟である私は中学生の頃から、
 そうした義兄候補の紳士諸氏からの接待攻勢を盛んに受けたものだ。

 さて、独立から数年後、フラメンコ関連の請負仕事をきっかけに、
 先方の担当だった女性を好きになった。彼女は私の話をおもろいと笑い、
 しょっちゅう笑い転げる彼女を観るのを私は好きだった。
 ともに既婚者であり、ほんのたまさか呑みに行くだけの淡い交流だったが、
 あるとき気持ちがひとつであることが発覚する。
 結局、双方の性格や立場を確認し合い、
 一度も手を握り合うこともなく私たちは付き合いを断った。
 自分でも信じ難い、二十数年前の、村下孝蔵さんもまっ青の純愛物語である。

 ふとした事から、その女性と私の姉の面影やら表情やら性格やらが
 大きく重なることに気づくのは、その数年後である。
 深入りせずに淡々と終われた本当の理由を、
 その時はじめて私は知るのだった。
 すでに還暦を越えた姉だが、このとっておきのラブストーリーだけは、
 勿体なくていまだに話さないでいる。

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 2009年08月20日/その51◇元気の出るボヤキ

 「金を出せっ!」
 信用金庫に侵入し女子行員に包丁を突きつける強盗。
 身体を張ってその行員を救出した支店長は代わりに腕を刺され、
 犯人は逃走した。
 その朝刊記事を読みアワを食って奴のケータイに電話すると、
 俺がドジ踏むわけねーだろ!、と杉田支店長は大見得を切った。
 おめーのドジはもう千回は観てる!という言葉を呑み込みながら、
 私は胸をなでおろした。
 十数年前に東京・東部で起きた実際の事件である。

 高三時代のなかよし同級生である杉田とは、もう36年の付き合いになる。
 大学を出てから出身高校近くの信用金庫勤務一筋、
 30代半ばにして支店長に出世した男で、
 学生時代は“失恋の神さま”との異名をとった。

 月に一度くらい、まるでご機嫌伺いのような電話で、
 さり気なく最新の経済・金融情報を教えてくれるのが、
 ここ数十年来の慣例になっている。
 その方面にまるで疎い私は、
 奴のおかげで未然に災難から逃れたことが幾度かある。
 昔から危なっかしい生き方をしていた私を、
 お互いこの歳になっても心配で仕方ないらしい。

 いまでも年に何度か、出身高校近くの人気のちゃんこ屋で、
 他のなかよし仲間と共にだらしなく呑む機会は、
 人生の余禄としてはかなり上等な部類に属すると思う。
 近ごろ役員に昇格した杉田の、その年季の入ったボヤキは、
 ますます深い味わいを熟成しつつある。
 ふつう愚痴というのは、
 それを聞く相手をどよんとした気分に陥らせることによって
 自分を救おうとする邪悪なものだが、杉田のそれは、
 昔から聞く相手に元気を振る舞うような芸風のトホホな自嘲ネタなのであある。

 仲間のみんなで強盗撃退記念祝賀会を張ってやった時なども、
 命を張って女子行員と金庫を守ったご褒美として支給された
 会社からの報奨金について、奴のボヤキは炸裂した。
 「5万円、俺の命は5万円」
 その晩の杉田は、数々の失恋懺悔の合い間に、
 この哀しい嘆き節を飽くことなく歌いまくった。

 そんな彼の哀しくも明るいボヤキを聴いてると、
 ふと思い出すのはカンテ・ボニートの名人、
 あのペペ・マルチェーナの親しみある懐かしい歌声だ。
 庶民には大人気だったが、純粋派からは反発を食らったマルチェーナについて、
 プーロの大長老マトローナはこう語ったという。
 「マルチェーナをダメだと云う人もいる。
 でも何十年も歌っていて、人々がそれについて行くんだから、
 何かを持っているわけですよ」
         

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 2009年08月21日/その52◇チリも積もれば

 フラメンコ・ルネサンス21。
 いまをときめく超人気作家、佐伯泰英さんの命名である。
 フラメンコ界最大のイベント、日本フラメンコ協会主催・新人公演が、
 今日から三日間、東京・中野ZEROホールで開催される。
 その変わらぬ運営のきびしさの中、
 その人気やステータスは年々ヒートアップする一方だ。

 anif2009.jpg

 協会の大きな功績からは、
 とてつもなく巨大で強固な組織と勘ちがいされる方も多いだろうが、
 実際のところは、アマプロ問わず単にフラメンコを愛する人間たちが、
 手弁当で無理やり成立させている世界である。

 さて、どんな世界にも足を引っぱりたがる連中はいるもので、
 そんな輩のいちゃもんを統合して谷口編集長が聞き役を引き受けたのが、
 パセオ2007年1月号の新人公演特集だった。
 役柄とは云え編集長の失礼極まりないツッコミに対し、
 日本フラメンコ協会濱田滋郎会長、田代淳事務局長が、真正面からご回答くださった。
 以下は、その折の田代さんの発言の抜粋・要約。

 「協会には公的機関からの援助はいっさいなく、
 協会員の会費のみで維持、運営している組織です。
 現在も協会の財政的基盤は、まったく確立されていません。
 これまでも理事、役員、事務局などの好意と奉仕的精神によって成り立ってきました。
 現在の会費収入は年間500万~600万円程度。
 その中から、フラメンコの普及発展をヴィジョンに、
 新人公演やフェスティバルをはじめとする様々なイベントを開催しています。
 新人公演の成功によって、良くも悪くも、
 協会はあたかも巨大な公的機構のように思われています。
 しかし、現実はそうじゃない。
 では何故、なぜ関係者たちはがんばっているのか?
 自分たちが愛したこの世界を次の世代につなげたい、手渡したいからなんです。
 そんなバトンタッチができないのなら、協会など続ける意味がないでしょう」

 いつも温厚な田代の淳さんから、思わず熱血の真情がにじみ出ている。
 こうした実情は、フラメンコ愛好家の間に正確には伝わりきってはいないから、
 情報公開の方法にはまだまだ工夫の余地はあるのだろう。

 もちろん協会はHPなどで必要な情報公開をしているのだが、
 それらをろくろく読みもしない匿名クレーマーが、
 ウェブ上で協会の揚げ足を取ろうとするトホホな風潮は相変わらずだ。
 また、こうした協会の実情を察知している多くの関係者が、
 フラメンコ界の未来のために協会の必要性を感じながらも、
 ボランティアはご勘弁という現実もあるし、
 会費もボランティアも勘弁だが恩恵だけは遠慮なく持っていく確信犯には、
 あっ、そーなんですかあ、と云うより他はない。
 こうしたところにもフラメンコ協会の苦悩がある。
 それでも結構とド~ンと構え、清貧・民主運営を貫く協会が、
 都合のよい親かなんかと勘違いされてしまうのは、あまりに気の毒すぎる。

 「先輩にはおごってもらうが、後輩にはおごらない」
 これが今の世の中の主流とも云うべき風潮だし、
 なにもフラメンコ界に限ったことではない。
 むしろ、そうした一般的風潮に逆らい、
 持ち出し一方のボランティア運営によって愛するジャンルを支えようとする
 フラメンコ協会のスタンスこそが異端なのである。

 「先輩におごられたら、後輩におごり返す」
 協会スタッフとはこんな旧式タイプに属しており、
 こうした異端者の数がプロ・アマ問わず、
 ある一定数をキープし続けることができれば、
 フラメンコ界の未来はそれなりだろうし、
 面倒や出費は人任せという新式タイプが主流となれば、
 新人公演も何もなかった昔へとまた逆戻りという、
 とても明快な物理構造が視えてくる。

 不況が世界を覆い、文化どころではない現代において、
 大パトロンに頼ろうとする幻想は現実的ではない。
 また、モラルによって解決できる問題でもなさそうだ。
 もともとアートは、むしろ反モラル的であることによって
 社会に豊かさを供給する性質のものだから、それはなおさらのことだろう。

 これはあくまで、プロ・アマ問わずそれを愛する一人ひとりの
 「アートに対するプライドの在り方」の問題なのだと思う。
 個人の心意気によってアートを守ってゆくよりないという国際情勢は
 もはや動かしようのない現実であるし、
 各個人のプライドの集積量の大小が、
 そのままアートの未来を決定してゆくことは必然となるだろう。

 「チリも積もれば山となる」
 フラメンコやバッハを筆頭に、私にも愛するアートがいくつかあるが、
 結局はこの物理的現象に賭けるしかないと思っている。
 くやしいかな、誰かにやってもらえることを期待できない世界なのだから。
 でもねえ、一度限りの人生を、ずっと内側から温め続けてくれるアートだもんね。
 喜んでチリになったろかいと、私としても死ぬまでそう思っていたい。

 ま、そりゃさておき、今日から楽しい新人公演!
 休憩中はロビーのパセオブースで呼び込みのおっさん(腹巻ステテコのつるっ禿が目印)を
 やってるんで、よろしかったら冷やかしてやっておくんない。
   

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 2009年08月22日/その53◇成長の通過点

 今日はフラメンコ新人公演の二日目。

 「奨励賞受賞者は?」が話題になるのは普通のことだとは思うが、
 私などの最大の楽しみは、賞の行方ではなくステージそのものにあり、
 また、その白熱のステージに現れるヴィジョンから、
 10年後、20年後の彼もしくは彼女のステージ姿を想像することにある。
 賞取りそのものがヴィジョンになっているフラメンコが、受賞することはあっても、
 その逞しい未来とは必ずしも直結しないデータの数々が、
 新人公演の長い歴史とともに、私にそういう観方をさせるようになったのだと思う。
 
 一昨年のパセオ誌上で、
 かつて新人公演・奨励賞を受賞(1992年)された実力派バイラオーラ、
 鬼本由美さんが、さすがの卓見を述べておられた。
 では、その由美さんの『新人公演は成長の通過点』(文:西脇美絵子)から一部抜粋で。

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 もちろん受賞したいと思って出演したし、受賞できたことは大きな喜びでした。
 でも今振り返ってみて、私にとって新人公演がなんだったのかというと、
 受賞云々ということよりも、踊り手人生の通過点としての意味が大きいです。
 受賞はひとつの区切り、ひとつの結果ではあるけれど、
 踊り手としては、実はそれ以降のほうがずっと長い。
 そこからがスタートといってもいいくらいです。
 しかもその先は、何も頼るものがない獣道を探り当てるようにして、
 成長していかなくてはならないのですから。

 ここ数年は、生徒たちが出演するようになり、
 教える側・観る側の人間として新人公演に関わるようになりました。
 そこで感じるのは、受賞に重きを置きすぎない方がよいということ。
 賞を意識するあまり、表現者としての輝きや個性が半減しては本末転倒ですから。
 選考結果についてはいつも話題になりますが、
 「どうしてあの人がとれなかったの?」と観客に言われる踊りを踊ることにも、
 とても意味があると思います。

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 2009年08月23日/その54◇夏の終わりに

 ビューティフル・サマー。
 フラメンコ新人公演も本日が最終日!
 今日もロビー・パセオブースで呼び込みのおっさんをやる。

 夏もあとわずかだ。
 猛暑の中を汗水たらしてがんばった方々を、
 こう私はねぎらいたい。
                        
 おつかれサマー♪
                  
               
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しゃちょ日記バックナンバー/2009年8月④

2010年09月08日 | しゃちょ日記

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 2009年08月25日/その56◇母の肖像 ①

 働くことが大好きで、
 家族や親戚やご近所との団らんを何より愛した母だったが、
 彼女は断じて私に食い物の好き嫌いを許さない人だった。
 ま、そのおかげで、今の私はなんでも食えるわけなのだが……。

 実家を離れそれなりに稼ぐようになったハタチ頃の私が、
 外で母にメシをおごる機会が増えた頃、
 その衝撃の真実は発覚する。

 財布をパンパンにして、何でも来いで旨いものをご馳走したろうという私に、
 コレはだめ、アレは嫌いと、なんとも勝手放題をぬかしまくる母。
 そ、そう。母は実に食い物の好き嫌いの激しい人間だったのだ。

 そのまさかの事実に気づいた瞬間、おそらく私は80メーターぐらいドン引いた。
 「な、なんだよ~、じゃあ、自分の好きなもんばっかし作ってたんじゃ~ん」と、
 約80メーター後方から私は叫んだ。(つづく)

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 2009年08月26日/その57◇母の肖像 ②

 昨日書いた食い物の好き嫌いはさておき、
 おおむね有言実行タイプで、
 決めたことはほとんど実現した母であった、という評価は不変である。

 あれはたしかTBSラジオの素人民謡選手権みたいな番組だったと思うが、
 日本民謡を習いはじめて1~2年の母が
 「勝ってくるからさ」とにっこり笑ってひょいと出かけて、
 ほんとに優勝をかっさらってきたことがある。

 さあ、これにはご家族もご近所も親戚ご一同さまも驚いた。
 稚拙な歌唱力もなんのそので、
 ただひたすら明るいアイレと強い心臓のみを武器に、
 優勝カップを手にしたことは、誰の耳にも明らかだったからである。

 つーことで、その内輪の祝賀会では、
 「し、審査員は、歌唱力を評価しねーのか?」という当然のツッコミを、
 関係者一同、誰もが無理やりハラに呑みこんだことを、
 つい昨日のことのように思い出す。

 「お前なんか、荒川の橋のたもとで拾ってきた子なんだから」
 母からよく聞かされたこの話が本当でありますようにと思ったことが、
 正直云って何度かある。(完)
       
                    
 おーまいがっど.jpg

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 2009年08月27日/その58◇心の芽

 「キアヌ・リーブスと私はウリ二つである」

 いくぶん形而上学的とも云えるこの命題に対し、
 初対面の私のウェブ友数名は、
 フラメンコ新人公演ロビーのパセオ・ブースにおいて、
 目を固く閉じながら、
 心の眼で私を観ることによって、こう断言した。

 「まぢキアヌそっくりじゃ~ん」

 まあ、たしかに、キアヌと私では、
 演技力、ルックス、銀行残高、髪の毛の本数などに
 雲泥の差はあることは一面の事実である。
 だがしかし、同じ人類なのだから、
 カエルやカバやクロマニョン人などに比べれば、
 キアヌと私は「そっくりじゃ~ん」という彼女たちの結論には、
 人間同士が互いになかよく前向きにやってゆくための、
 たいへん優れた英知を感じることができると思う。

 今日からでも遅くはない。
 一同、これに見習いたいものである。


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 2009年08月28日/その59◇この世でいちばん美しいのは

デスヌード.jpg

 デスヌード(desnudo)その3『小島章司/魂の贈り物』。
 今回は、世界でもめずらしい男ばかりのフラメンコである。
 よって女王・鍵田真由美は、な、なんと受付係である。

 画像 011.jpg

 佐藤浩希を筆頭に5名の若手バイラオールが、
 小島章司を迎え、4名のミュージシャンのとともに
 生サパテアードのフラメンコを炸裂させた。

 [B]小島章司/佐藤浩希/矢野吉峰/末木三四郎
    関光/松田知也
 [C]マヌエル・デ・ラ・マレーナ、アギラール・デ・ヘレス
 [G]マレーナ・イーホ、斎藤誠

 すでにご覧になった方はご存知の如く、
 ライブは「ううっ、凄っ!」のひと言に尽きた。
 ラスト30秒、小島章司の足技の音楽に泣けた。
 これが、アルテだ。
 うれしくって、言葉にならない。

 画像 024.jpg
 (小島章司、佐藤浩希の新旧マエストロ、
  なぜか阿木燿子さんと連れ合い)

 至宝小島章司から、未来の担い手佐藤浩希たちに、
 心をこめて贈られたものは何か?

 年齢のかけ離れた、
 かつ流派も異なるトップ・バイラオーラたちは、 
 自らの役割をまっとうしながらも、
 互いの心を必死に感じようとしていた。
 見えないはずのバトンが、はっきりと視えた。

 AからBへ、BからCへ……。
 心から心へ。そしてまた、心から心へと。
 この世でいちばん美しいのは、
 人間だけにしかできない、
 そんな人間同士のコミュニケーションだよと、
 柄にもなく私は思った。

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 2009年08月29日/その60◇情熱の覇者

 野心や恋愛のように激しい情熱ばかりが、
 ほかの情熱に打ち克てると思うのは誤りである。
 なまけ心は、どんなにだらしなくはあっても、
 しばしば情熱の覇者たらずにはいない。
 それは、人生のあらゆる企図とあらゆる行為を蚕食し、
 人間の情熱と美徳とを、
 知らずしらずのうちに破壊し、絶滅する。  
           
 ロシュフコウ.jpg
 [ラ・ロシュフコオ/箴言と考察]より
 岩波文庫(1976年当時で定価200円)
             
 容赦のない辛口分析でマキャべリと並び、
 私ら世代には人気のあったパリ生まれの
 貴族ロシュフコオ(1613~1680年)による
 (日本で云えば徳川幕府の創成期のころだね)
 比較的有名なアフォリズム。
           
 若い頃に肝に銘じたはずの金言だが、
 折をみて、
 今の私にもみっちり聞かせてやりたいものだ。

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 2009年08月30日/その61◇“あしたのジェー” アンケート

 彼はますます彼になる。
    
 当日記にも時おり登場するフラメンコ犬 “あしたのジェー” の、
 そのメインキャラを、どれにしよーか?
    
代々木公園のフィクサー3.JPG
    
「まったくの偶然」.JPG
    
ジェー.jpg
     
 mixiのアンケート機能を使って、
 こんな人気投票をやってるのだが、
 現在までの途中経過(計40票)はこんな感じ。
 
 ◆いちばん上(黄色ジャケット)=9票
 ◆まん中(ギターとじゃれる)=28票
 ◆いちばん下(落ち葉のなかで)=3票

 わしゃ、断然いちばん下だと思っていたので、
 まん中に対する反響にちょっとビックリ!
 ところで、あなたはどれ派?

 ちなみに、わが家の連れ合いは、ジェーにこう云った。
 「やったあ! どっちにしてもジェーが優勝だねっ!」

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 2009年08月31日/その62◇なんでかフラメンコ

 「人間も犬のようになんのてらいもなく、
 素直に死ねるといいと思うが、
 そうは問屋がおろさないのは、
 われわれが精神という厄介なものを背負いこんでいるせいだろう」

 「だが、それを嘆いて犬のほうが幸せだと言ってみてもはじまらない。
 人間には人間の死にかたがあるのであり、
 その本質はただ一つでありながら、
 その現れかたは千差万別であることが、
 われわれの世界を豊かなものにしているのは否定出来ない」


 ずっと前に、詩人の谷川俊太郎さんが
 『単純なこと複雑なこと』というエッセイの中で、
 こんな目からウロコを書かれておられた。
 若い私は深くうなずきながらも、
 具体的な正解までは教えてもらえないことに
 落胆したことを想い出す。
 このシンプルで頼りがいのある考察は、
 人々にさまざまな感想をもたらすと思うのだが、
 久しぶりにこれを目にした私はこんな感想を書いてみる。
 
 ひとつには、「その本質はただ一つでありながら、
 その現れかたは千差万別」って、
 まさにフラメンコの宇宙そのものだと思った。

 次に、仮に世情に即した正解はあったにしても、
 時代や地域を超えられるような普遍的な正解には、
 なかなかお目にかかれないであろうことを思った。

 おしまいに、それでもやはり正解らしきものを垣間見たいからこそ、
 毎日ひーひー云いながらも、
 フラメンコに貼りついているのかもしれないと思った。
          
冬枯れ①.JPG

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しゃちょ日記バックナンバー/2009年7月①

2010年09月07日 | しゃちょ日記

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2009年07月01日/その1◇「日刊パセオフラメンコ」の創刊号

 ご覧いただけますように、
 本日パセオフラメンコのホームページの模様替えをしてみました。
        
 今回のリニューアルは、社内でもっともヒマな私(窓際社長)がそれを担当。
 敷居の低い、気軽に毎日のぞいてみたくなるようなページにしたかったので、
 読みやすい日替わり連載を考えました。
 で、とりあえずのメニューがこの『日刊パセオフラメンコ』で、
 月刊専門誌ではとても恥ずかしくてできないようなこと(汗)を、
 ここで思いきりチャレンジしてみたいです。
 
 もう出版社を25年もやってるというのに、もっぱら私は営業畑の人だったので、
 文章を書き始めたのは三年ほど前です。
 いまでも 『パセオフラメンコ社長室』 『フラメンコ超緩色系
 『mixiしゃちょ日記』 などを開店中ですけど、
 向こう一年はここで毎日書き続けるのを楽しみにしています。
 私の場合、なぜか下ネタに走ることが多いので、
 社の内外の仲間もとてもそれを心配していますが、
 心配したところでどーにもならないことは、ままあることです。

 おーまいがっど.jpg

 さて、当『日刊パセオフラメンコ』では、
 日々深化するフラメンコ界のいろんな動向にスポットをあててゆきたいと思っていますが、
 基本的には何でもアリなので、試行錯誤しながらぼちぼち対象エリアを広げてゆきたいです。
 闘いながら闘い方を覚えるというのが我が家の流儀なので、
 ボコボコに叩かれながら、一歩ずつ前進したいです。
 また、mixiのようなフラメンコ仲間との双方向性コミュニケーションも充実させてゆきたいのですが、
 現状のこのシステムではちょいと難しい。でも、いつかはそれを実現するつもりです。
 なので、しばらくはコメントのやりとりはそちらでやるつもりです。
 興味がおありの方は、mixiにご招待しますので、その旨下記までメールください。

 つーことで皆さま、予想通り初日からトホホなスタートとなりましたが、
 その今日という日は、残り少ない人生の最初の日なので、
 ともに目いっぱい楽しみましょう。
 では、また明日お目にかかります。

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 2009年07月02日/その2◇木曜会

 日本のフラメンコの黎明期における初代スター、本間三郎を座長とする
 高円寺エスペランサにおける『木曜会』という月例呑み会は、
 もうかれこれ二十年(!)も続いている。
 この世界でそんだけ続く定例呑み会を他に私は知らない。
 第一木曜の今日は、その木曜会だ。

 日本フラメンコ協会の中核役員でフラメンコ舞踊入門の人気著作もある
 バイラオーラの鈴木眞澄、エスペランサのオーナー田代淳(協会の名物事務局長)、
 時々バイラオーラに変身するエスペランサの渡邊悦子店長、
 それと私の計五名が当初からのレギュラーメンバーだ。
 入魂のフラメンコギターで知られる名手三澤勝弘さんはじめとするベテランから
 若手アーティストたち、パセオの社員たちも時おり顔を出す。

 昨今の話題は、国際情勢、国内情勢、業界討議、下ネタ、芸術論、下ネタ、人生論などだ。
 発足当初は、世間話、下ネタ、業界討議、下ネタ、カラオケ、下ネタだったわけだから、
 近年の木曜会は、まっこと飛躍的な進歩を遂げたことになる。

 「いま高田馬場なんだけど、よかったら一杯やらないかい」
 その昔パセオが倒産寸前で蒼くなってた頃、本間師匠からこんな電話を頂戴し、
 たびたび憂さ晴らしの豪遊をさせていただいたものだ。
 華やかな女性交流の伝説の数々は若かりし本間三郎師匠の勲章だが(本名は新三郎なんだぜ)、
 現在は協会副会長を務める師匠の淡々としながらも慈愛に充ちたその底知れぬ懐の深さが、
 この仲よし呑み会が絶え間なく永きにわたり続いてゆく所以なのだろう。

 フラメンコ界や協会にとって乱暴な布石屋にすぎなかった私が、
 木曜会で毒を吐きまくるヤサグレ問題児だった時期もかなり長かったはずだが、
 メンバーすべてに温かくお付き合いいただいたことを赤面しながら想い出す。
 この木曜会にどれだけ私は救われたことだろう。
 また、私と付き合うことによってどれだけ彼らの忍耐力は鍛えられたことだろう。(汗)

 業界で話題沸騰する若手超大型バイラオール三枝雄輔(鈴木眞澄の長男)の将来性について、
 大いに議論が盛り上がったある日の木曜会。
 深夜24時を回りかけた頃、近年ちっとはマシな人間になってきたと思われる私が、
 過去の数々の悪行についての反省をチラリもらしたところ、
 フラメンカの鑑・鈴木眞澄は、すかさず優しくこう私を慰めたものである。

 「ドラマだって一人ぐらいハチャメチャな悪人がいないと面白くないじゃない」

 ……だってさ。(涙)
 つーことで皆さま、慰めにあまり効き目のないこともあるかもしれませんが、
 今日という日は、残り少ない人生の最初の日なので、ともに泣きながらがんばりましょう。
 では、また明日お目にかかります。

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 2009年07月03日/その3◇一枚のレコードから

 授業を投げ出し東京の街々を徘徊中に、偶然手にした一枚のレコード。
 青春を賭けた将棋のプロ入門テストに失格し進路を失った高校生の私に、
 まったく新たな道筋を示すパコ・デ・ルシアのフラメンコギター。

 グチんな! クヨクヨすんな!
 誰も助けちゃくれんぞ。
 魂ケチんな!
 さらして鍛える魂を金庫にしまってどーする。
 遠慮すんな! やりたいことを思う存分やれ。
 心配すんな! どー生きても人は必ず死ぬ。

 エネルギーに充ちあふれたそのフラメンコが、どん底の私にそうソウルする。
 当時流行の優柔不断~ジリ貧コースとは対極に位置する方法論。
 ノミの心臓ゆえのキマジメだけが取柄の私に、
 そんなんでいーのか?
 本当にそれだけで足りるのか? とズバリ迫る、まばゆい光の大胆パッション!
 引きこもり寸前の魂に、コペルニクス的転換の可能性を示す鮮烈な一撃!
 背筋のピンと伸びた本音と熱情のアートは、本物のエロスとタナトスを備えていた。
 その神秘のレコードは、わずか半日で、沈みかけた私の運命をあっさり変えた。

 パコ/魂.jpg

 「フラメンコギターの神様」。
 当時からフラメンコの本場スペインでもそう称されていたパコ・デ・ルシア。
 彼のフラメンコギターが発散するファンタジーには、
 自分の人生を丸ごと賭けてしまいたくなるような「ときめき」がある。
 そして、そのときめきには、
 聴き手のポテンシャルを引き出し育てるような響きが内包されている。
 失敗に明け暮れる青春時代から今日に至るトータル37年間、
 一度としてブレることなく、彼は私の心の神として存在し続けている。

 天才パコ・デ・ルシアが示す道筋を、
 一般人平均を大幅に下回る私がせっせと歩んだ悲惨なプロセスは
 スペースの都合により割愛するが、
 いつも心にアルモライマ(パコの名曲)を響かせた歳月は、
 暗くハンサムな少年を、陽気でブサイクなデブに変え、
 やがて彼にフラメンコの月刊専門誌を創刊させるのだった。

 つーことで皆さま、
 一枚のレコードが人の人生を変えたり変えなかったりするわけですけど、
 今日という日は残り少ない人生の最初の日なので、
 どっちにしても朝から晩まで目いっぱい楽しみましょう。
 それでは、また明日お目にかかります。

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 2009年07月04日/その4◇あしたのジェー

 秋の終わりに⑥.JPG

 「彼はますます彼になる」

 そんな意味において、わが家の守護犬ジェーは、
 フラメンコな明日を夢みるシェパード、
 もしくは土佐犬だと云えないこともない。
 ほとんど毎日、ギターやカンテの響きや、
 サパテアードやパルマの爆音をBGMにしながら、
 東京・代々木にある連れ合いのフラメンコスタジオで
 番犬の仕事をそこそここなしている。

 こう見えても、関東格闘犬選手権(シェパード部門)や
 全国闘犬グランプリ(土佐犬部門)などでは、
 一度として負けたことのない犬なのである。
 まだ一度も出場したことがないからだ。
 大体からしてそんな大会あんのかとも思う。

 土曜日の早朝は、ジェーと共にご近所のホームグラウンド
 代々木公園で小一時間を遊ぶ。
 意味もなくふたりで駆けまわる憩いのパラダイス。
 彼的には、大ざっぱに間の抜けたこの代々木公園・中央大草原が
 「チョーお気に入り!」なんだとさ。

 ジェー1.jpg

 ジェー2.jpg

 ジェー3.jpg

 と、明日に向かって無言で去っていくなよ、おゐおゐ。

 つーことで皆さま、
 愛する者に素通りされることもあるかもしれませんけど、
 今日という日は、残り少ない人生の最初の日なので、
 愛されることよりも、愛することのほうに情熱を傾けることといたしましょう。
 では、また明日お目にかかります。

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 2009年07月05日/その5◇カマロン危機一髪!

 フラメンコの最強シンガー、カマロン・デ・ラ・イスラ。

 camaron2.jpg

 休日の私の散歩三昧は、
 いつでもそのカマロンとともに始動することになっている。
 その名盤『カジェ・レアル』をセット再生し、
 ヘッドホンを耳に玄関を飛び出す瞬間、
 私はカマロンとひとつになる。
 わくわくドキドキするようなタンギージョ(ロルカ作詞/月のロマンセ)が
 耳に飛び込んでくると、そこはすでに別世界だ。
 パコ・デ・ルシアとトマティートのギター、
 ベースのベナベンに打楽器ルベンという、
 フラメンコの最強ミュージシャンたちを従え、
 カマロンとともに私は心の中で絶唱する。

 最寄り駅の代々木上原へと向かう私は、
 心だけではなくビジュアル的にもそのCDジャケ写になりきった気分で
 さっ爽と歩を進めている。
 ハタから見れば、リュックにヘッドホンの普通のデブおやじが
 ヨタヨタ歩いてるだけじゃねえかって……そんなことは大きなお世話だ。
 大切なのは外見ではなく、その心の在りようではないのか?
 ……うっ、ちょっと違うのか、この場合。

 だが幸いなことに、私の内側のイメージと外側の現実の間には、
 あまりにも大きなギャップが横たわっているため、
 ゆきかう人々に私の真情を見破られることはまずあり得ない。
 しかし、まずあり得ないことが、
 いとも簡単に起こり得ることはこの世の常である。

 「カマロン! カマロン!」
 というヘッドホン越しの大きな声が、
 斜め背後から突然私を突き刺す。
 その刹那の心境は、
 敵に正体を見破られた007ジェームズ・ボンドの驚きに等しい。
 絶体絶命のピンチに追い込まれた私は、
 ヘッドホンを外しながら意を決して斜め後方を振り向く。

 するとそこには、凶暴な熊のように大きな図体で
 道ばたにへたり込んでしまった犬に向かって、
 腹立たしげに、
 「カマーン! カマーン!」
 と大声で叱りつける、
 ご近所にお住まいらしいテリー・サバラス風の外人さんの姿があった。。。とさ

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 2009年07月06日/その6◇あなたはどっち派?

 完全な芸術というものはなく、
 あらゆる芸術は、
 それに反抗する心情をかき立てる要素を
 抱えながら存在している。

 自然は、生と死を同時に含む。
 彼のフラメンコに接すると、
 私たちはその大きな関連の中に生きていることに気づく。
 常に死を想えばこそ、生は豊かに羽ばたくことができると、
 ストイックな彼の瞬発力がそれを証明する。
 例えばそれは、ドゥケンデ。

 duquende1.jpg

 自然は、生と死を同時に含む。
 彼のフラメンコに接すると、
 私たちは一時的にせよ死を忘れることができる。
 死んでからのことは死んでから考えようと、
 心底楽観的な気分にさせてくれる何かが彼にはあるのだ。
 例えばそれは、エル・シガーラ。

 「無敵の番長」エル・シガーラ/ウンデベル.jpg

 美人や芸術などがある水準を超える時、
 もはやそれは好みの問題となる。
 よって、水準に関係なく惚れっぽい私には、
 好みを語る前に、水準そのものを学ぶ必要がある。

 ま、そりゃさておき、
 ドゥケンデとシガーラ、
 あなたはどっち派?
 
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 2009年07月07日/その7◇すっぽん屋の車掌

 私は三代目の江戸っ子だ。
 能書きが多いわりに内容はサッパリだ、
 という私のサッパリとした性質はそのことに起因している。
                      
「楽園の微笑①」み051225.JPG

 親族たちも東京・下町に集中している。
 法事だ何だで一堂に顔をあわせて宴会となるわけだが、
 私はこれが苦手だ。
 戦後世代の従兄弟たちの中でも最年少だった私は、
 絶好の酒の肴と化してしまうからだ。
 私が忘れたい過去をほじくり出すことは、
 彼らにとっては無上の喜びであるらしい。

 できれば欠席したい。
 だが非情にも、
 「親戚の葬儀があるので出席できません」
 という最強の切り札は、
 当シンジケートには絶対に通用しないのだ。
 法事などというものはおごそかであるべきである、と私は思う。
 だがしかし開宴10分後、
 幼少の私をバカ可愛がりした叔母でさえも、
 突如としてこう切り出す。

「おまえは気が小さいくせにスケベエな子でねえ。
 あんたのお母ちゃんはほんとに心配してたんだよ。
 なにかい、まだスケベエなのかい?」
「うっ、いや、たぶん普通ぐらいだと思うけど……」
「ウチに遊びに来ちゃフラフラ外に出て、
 いつも迷子になってさあ。
 ワンワン泣きながらお巡りさんに連れられて
 帰ってきたじゃないか。
 今でも迷子になるのかい?」
「うっ、でも、迷子になっても泣かなくなったから……」
「仕事は見つかったのかい?
 あんたのお父ちゃんはほんとに心配してたんだよ」
「ん、まあ、しゅっぱん社の社長みたいな……」
「おやまあ、すっぽん屋の車掌かい?」
「いや、すっぽん屋に車掌はいねえだろう」
「そうだよおまえ、バスだって今はワンマンなんだから」
「だから、そのワンマン社長なんだってば」
「ワンマンっておまえ、じゃ、社員はひとりもいないんだね。
 かわいそうに……」

 とまあ、これが序の口だ。
 やがて怒涛のように従兄弟たちは押し寄せ、
 ブレリア系フィエスタは熱狂へと突入するのだ。

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しゃちょ日記バックナンバー/2009年7月②

2010年09月07日 | しゃちょ日記

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 2009年07月08日/その8◇フラメンコの憑依現象について

 たまたま入手したレコードによって、
 フラメンコギターの神さまパコ・デ・ルシアにめぐり逢えた強運。
 そのフラメンコは進路を見失いかけた私の青春に、
 喜々として進むべき新たな道筋を示した。

パコ・デ・ルシア/霊感.jpg

 パコとの出会いからしばらく後の、あれはたしか高校二年の運動会。
 偶然腕力の弱そうな四名で騎馬戦チームを組むことになり、
 将棋の強いあんたが大将、というワケのわからん推薦理由で、
 もっともリスクの高い騎手役を押し付けられた。

 「どーせなら、いちばん強い騎馬と相討ちして、潔く味方に貢献しよーぜ!」
 やむなく騎手を引き受けるハラをくくった瞬間、私はこう口走っていた。
 その刹那、チキンな私のハートに、
 あのパコ・デ・ルシアの不屈の魂が宿ったことには疑いの余地はない。
 その崇高な志は仲間たちに支持され、
 負け犬チームにしては最高に前向きなこの作戦は即座に採用された。
 さあ、そうと決まれば迷いはない。
 こちらも江戸っ子勢、相討ちならば何とかなるだろう。
 ピストルの合図と同時に、一直線に敵陣ど真ん中に躍り込み、
 武闘派第一人者・高崎めがけて突っかかる。
 だが、揉み合いになったのはほんの一瞬で、
 高崎率いる駿馬は、すばやく私たちから離れて行ったのだった。

 「へへっ、きゃつら、オレらの相討ち覚悟の特攻にビビりやがったぜ!」
 そう私たちがエキサイトする次の瞬間、
 敵の大将・高崎が配下を罵倒する大声が、
 雲ひとつない青空にカリッとこだました。

 「ザコは相手にすんなよっ!」

 …………。
 日常的にフラメンコに接するおかげで、
 自分の心の中に、不屈にして崇高な魂が憑依してくれることもあり得ること。
 だがしかし、その実力までは憑依してくれないことを、
 いっぺんに学ぶことのできた貴重な人体実験だった。

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 2009年07月09日/その9◇スッポンの祈り

 パコ・デ・ルシアを神と仰ぐ場合、
 その信仰効果は人によってまちまちである。

「月とスッポン」パコ・デ・ルシア/アルモライマ.jpg

 私のケースで云うと
 「人生はいいなと思う」
 「不幸に鈍感になる」
 「すぐハラが減る」などである。

 若い頃の私は、パコのアートや生きざまに
 少しでも近づきたくて必死にあがいたものだが、
 それを実現するには、私個人のレベルがあまりにもユルすぎた。
 ここ十数年の私なら、
 石炭に向かって「ダイヤモンドになってください!」と必死にお願いすることの方が、
 まだしも実現の可能性が高いことを知っている。

 「月とスッポン」と云うが、
 この地上から月(パコ)を眺め憧れつづけるスッポン(私)でありたい、
 というのが偽らざる心境だ。
 若き日はともかく現在の私には、
 パコ・デ・ルシアとのそういう距離感がちょうどいいくらいに感じられる。

 道に迷っては、思わず夜空を見上げるこの私に、
 その超然たる月は、進むべきだいたいの方向を示してくれる。
 ご降臨とも云うべきだった、あの2005年夏の来日ライブの熱狂。
 ともすれば寄る年波にさらわれそうになる私たち世代は、
 自らのペースをまったく崩すことのないパコ・デ・ルシア(当時57歳)の、
 愛と勇気とユーモアに充ちたその原色のファンタジーに、
 目からウロコをぽろぽろ落とすことになる。

 そう、神はときめき続けていたのである。

 この月を見失えば、
 そのときはナベにされちまう時だな、と思った。

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 2009年07月11日/その11◇アテとふんどし

 「アテとふんどしは向こうからはずれるっ、てねっ」

 上品で鳴らした(←本人談)母の口ぐせだった。
 つまり、期待しすぎてガックリするのはいかんよ、
 という意味らしい。

 頼みにするのは、自分だけにしときな。
 でも、人に頼られるのはいいことだからね。

 そんなふうに、何百ぺんも聞かされたように思う。
 宗教を持たない母だったが、信心深く慈悲深い、
 典型的な日本人だったかもしれない。
 私の母親にしては、上出来な女だったと云えるだろう。

 私の弾くアルハンブラには反応したが、フラメンコを
 弾き始めると、素早くトンズラしやがった。

「ファンタジー」051224.JPG

 毎月4の日に、朝も暗いうちから都電を乗り継いで、
 幼い私は母に連れられ、巣鴨のお地蔵さんにお参りした。
 参道にならぶ屋台で、好きなものを食わしてもらうのが、
 何よりの楽しみだった。
 母は何ゆえ巣鴨のとげ抜き地藏さんだったのか?
 その理由はいまだにわからないが、私も時おり行く。

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 2009年07月12日/その12◇歩きたいだけ

 「戦争中の厭戦感は好戦的な姿勢と同じく、
  あまり当てにはならない」

 フラメンコな小説が書きたいなという、
 本誌でもおなじみの人気ライター菊地裕子に薦めた一冊。
 三十代の愛読書だった色川武大さんの
 その『怪しい来客簿』を久しぶりに読んだら、
 冒頭の一節にふと目が止まった。
 三十代、四十代には見過ごした箇所らしい。

 「ああ、やだ、やだ、不景気はやだ」
 こんなセリフが耳ダコとなる昨今。
 「こんな調子が続くんだよ、ほれ、もっと呑め!」
 こんなバブル期の耳ダコ台詞と、
 なるほど、この両方は感触がよく似ている。

 不況にもバブルにも影響を受けない、
 心のオアシスみたいなものは、
 誰でもひとつやふたつは持っている。

 つーことで、今朝の私のオアシスはこれ。
 世の中がどうあれ、
 いいアルテにどっぷり浸かって、癒されつつも、
 マイペースな元気をもらって玄関を飛び出す。

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 [パコ・デ・ルシア/ソロ・キエロ・カミナール]
 1981年/POLYGRAM
 邦題『歩きたいだけ』(訳:志風恭子

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 2009年07月13日/その13◇ネットワーク

 大学のオチ研(落語研究会)の罰ゲーム。
 1負けの人間が「大変だあ、たいへんだあ~!」と叫びながらキャンパス内を爆走する。
 で、2負けの人間が「どうしたんだあ、どーしたんだあ~」と叫びながら、
 その10メーター後ろを追いかける。
 ほかの仲間たちは、その異様な追っかけっこの光景を
 遠まきに見物して楽しむという、かなり高度な罰ゲームである。

 これは、近ごろの私のひいき、落語家の柳家喬太郎さんの実体験による爆笑マクラだ。
 週刊文春で川柳コーナーを連載するなど、大ブレイクも間近と噂される
 喬太郎師匠の落語CD全11枚は、散歩のお供にも欠かせない、我が家の家宝である。

 喬太郎.jpg

 その落語CDシリーズ(WAZAOGI)のディレクターは、
 柄にもなく文化庁芸術祭の審査員も務める友人・大友浩だ。
 バロック・リコーダーの達人でもある彼は、いくつか私の後輩なのだが、
 その才能と頭髪だけに限れば、はるかに私の大先輩なのである。(汗)
 ずいぶん前に彼の依頼で、パセオのデザイナーとカメラマンを紹介したのだが、
 以来そのシリーズのCDジャケットとライナーは、パセオコンビが担当している。
 その飽きのこない冴えたセンスを、私も大いに気に入っている。
 仲介の労ということで、たしか三遊亭円丈さんだったか、
 最初の一枚だけは進呈されたのだが、
 以降数十枚は自費購入という光栄を授かっている。

 ま、しかし、片やスペイン、片や日本と云えども、決して裕福ではないアート同士。
 こんなつながりや広がりは単純にうれしいものだ。
 近ごろの私がウェブ上でもせっせとネットワーク創りに励むのも、
 こんな楽しいヴィジョンによるところが大きい。
 私のヴィジョンはナンセンスだと冷笑を浴びることも多いが、
 私がナンセンスなのは当たってるだけに言い訳は難しいし(涙)、
 ヴィジョン無くして明るく生きられるほどに私は強くない。

 さて、近年の落語ブームもあって、もとよりクオリティで勝負するWAZAOGIの落語CDは、
 採算面でもどうやらオーケーラインに到達したようだ。
 メジャーのレコード会社がそれに追従しようとするスタンスについての私の感想は、
 ほんのちょっとだけビミョーではあるのだが。

 フラメンコの世界では、日本では唯一、アクースティカ(東京・目黒)が
 良心的・革命的とも云える健闘を続けている。
 先ごろリリースされた高岸弘樹(カンテ)さんと松村哲志(ギター)さんの
 CD『メロキ´ン』なども、ちょっとビックリするようなクオリティで、
 この数週間、そのフラメンコは朝から晩までパセオ編集室に流れている。

 厚みのある日本バイレの先覚層が、同胞の心意気とクオリティに気づき、
 自らそれをバックアップしようと考える時、落語のWAZAOGIがたどり着いた地点に、
 まずはとりあえず、フラメンコのそれも到達するのだと思う。
 時間の問題だ。私はそう思う。
 もちろん持久戦の覚悟だけど、
 私はそう考え、そう行動したい。

 090713MELOQUIN.jpg
 [高岸弘樹&松村哲志/メロキ´ン]
 2009年/アクースティカ

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 2009年07月14日/その14◇さよなら、香取先生

 永きにわたりフラメンコ界の発展に尽くされた
 フラメンコ舞踊界の最長老、香取希代子先生が
 一昨日の7月12日に逝去された。
 98歳。
 堂々たる舞踊ひと筋の人生だった。

 香取希代子.jpg

 香取先生がお元気なころにパセオから出版させていただいた
 『85歳、しなやかにフラメンコ』(写真上)。
 芸事にはきびしかったが、心やさしい大先生だった。
 野方のスタジオでケーキをごちそうになりながら、
 いろんなことをお話しさせていただいた。
 いつも明るくて、お茶目で可愛らしい先生だったので、
 楽しい想い出しか残っていない。
 
 創刊から数年、毎月ピンチだったパセオに、
 よく広告スポンサーを紹介くださった。
 先輩におごられたら、後輩におごり返す。
 そんな文化を、私たちはごく自然に教えられた。

 目を閉じなくとも、そのやさしい少女のような面影を
 いつでも思い浮かべることはできる。
 心にあたたかみを残す死者は、
 あたためられた心の中に、いつまでも生きつづける。

 大師匠のご冥福を、心からお祈りします。
 
 葬儀の詳細はこちらに。
 また、追悼のメッセージはこちらへお願いしたい。
 私は今宵のお通夜に参列させていただく。

 神田川1.JPG

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 2009年07月15日/その15◇それじゃあ先生

 香取希代子.jpg

 香取希代子先生の、ゆうべ14日の葬儀に参列してきた。

 98歳、大往生だよね! と云い合うことが、
 みんな精一杯のところだ。
 とにかくその大きな功績とはべっこに、
 やさしくて愛敬のある先生だったから、
 皆それぞれに想いはひとしおなのだ。
 
 090714香取先生.jpg

 やるべき仕事が山積みだったが、
 明日は明日、まずは今日、だ。
 業界の仲良し連と一杯やってきた。

 帰宅すると、昨日から募りはじめた香取先生追悼の
 メッセージが30を越えてた。
 ゆうべも参列されておられたあの小島章司さんから
 当HPでもおなじみのアフィシオナードに至るまで、
 その顔ぶれは凄いことになっている。

 今宵24時まで、バル de ぱせお を貸し切りのまま、
 引きつづき香取先生を偲びたい。
 どなたでも、お花を捧げるつもりのメッセージはこちらへ。
      www.paseo-flamenco.com/comment.html

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しゃちょ日記バックナンバー/2009年7月③

2010年09月07日 | しゃちょ日記

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 2009年07月16日/その16◇あるあるフラメンカ

 あるあるフラメンカ。
 当ホームページのイラストを担当するヨランダが
 発案した日刊パセオのチョー人気連載で、
 読者投稿(mixiなど)がとだえることもないし、
 アクセス数も抜群だ。

 これまでの「あるあるフラメンカ」のこの二作品は傑作だと思う。

――――――――――――――――――――――――
うらら(三重県)
 法事の時 木魚の音に
 コントラをこっそり入れてしまった。

――――――――――――――――――――――――
ゆきちゃん☆(大阪府)
 呼ばれて振り向く時・・・
 シャキッ!と肩の上に顎が来るように
 精いっぱい首をきる。

――――――――――――――――――――――――

 さて、こんなあるある名作に発奮した私も、
 いかにもありそーな「あるある」をいくつか考えた。

(1)
 あと一歩のところで電車に乗り遅れ、
 ホームにとり残された私が、
 くやしくてサパテアード(ゴルペ)を踏んだところ、
 その振動で電車がちょっとだけ脱線してしまった。
 す、すんません。
            ※(↑)あるある!

(2)
 気合いを入れてカスタネットの練習をしていたら、
 勢い余って、
 カスタネットの本体を指でブチ抜いてしまった。
            ※(↑)あるある!

(3)
 自宅の庭でマントンを振り回す練習をしていたら、
 タツマキが発生して、
 我が家を吹き飛ばしてしまった。
            ※(↑)あるある!

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 2009年07月17日/その17◇三度のバッハ

 「三度のゴハン」と云うが、私にも
 「三度のバッハ」という生活習慣がある。

 日に三度はバッハを聴くという、
 高校時代に始まるこの善悪を超越する私のルーティンは、
 途中、パセオフラメンコ創刊から十年位のブランクを除き、現在もつづいている。
 ゴハンを食べて歯をみがいてトイレに行くのと、まったく等しい日常行為なのだ。

 ジェーもやってきて部屋が狭くなってきたので、
 数年前にバッハのCDだけで約2000枚を泣く泣く処分したが、
 それでも三度のゴハン的な超お気に入りバッハを500枚ほど残してある。
 お米の貯蔵とほぼ同じ感覚なのだろう。

 実を云うとこれは「ゴハン・セバスチャン・バッハ症候群」と呼ばれるチョー難病なのだが、
 人体にはまったく影響がない。
 むしろ調子がいいくらいだ。
 1回の所要時間は5分から20分位のものだし、
 最近では朝晩は散歩通勤中に、昼はランチの往復の道々に聴く。
 ソフトもハードもない時に自分で歌ってしまう難点はあるものの、
 やや不気味なだけで人畜無害だ。

「三度のバッハ」.jpg

 さて、ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1750年)は、
 地球最高峰のミュージシャンとも称されるドイツの作曲家&即興演奏家である。
 そのバッハ演奏とくれば本場のドイツ人に限る、と当然そう思う。
 ところがどっこい、オランダ、ベルギー、日本あたりが現代のバッハ演奏の主流なのだ。
 
 だから、時おりドイツ人の優れたバッハ演奏家が出てきたりすると、
 むしろ物珍しさでCDを買った上に
 「へえー、やっぱ血筋も関係あるんだあ」などと妙な感心をすることになる。
 ちなみに、大胆な創意工夫を特徴とするピアニスト、
 シュタットフェルト(1980年~)もそんな演奏家の一人である。
 彼は東西ドイツ統一後、ドイツ人で初めてバッハ国際コンクールに優勝した注目の若手なのだ。
 はじめて彼を聴いた時、なにやら私はほっとしたものだ。

 大バッハ没から、わずか250年ほどのちの話である。
 ただ、バッハの演奏について、別にドイツ人が下手になったわけじゃないのだ。
 この場合は、他国のミュージシャンたちが上手くなりすぎた、という話なのだと思う。
 そう云や“バッハの哲人”あのグレン・グールドもカナダの人だし、
 チェロのパブロ・カザルスだってスペイン人だもんね。

 十年先の日本の柔道や相撲なんかも、どうなってゆくのかまったく予想がつかない。
 特に相撲なんかは、ドヒョ~!!!(土俵)かもしんねーのだ。
 ましてや、われらがフラメンコの百年先なんてことは……。

 だが、ほんとうに凄いアートというのは、バッハというジャンルのように、
 放っておいても軽々と国境を越え、諸国の人々に愛されながら拡張発展を続けてゆくものだろう。
 バッハ同様、強靭な意志をベースに、
 常にしなやかな柔軟性をもって展開するフラメンコの場合、しんぱいゴム用つーことかも。

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 2009年07月18日/その18◇愛しのヌメロ


21 愛しのヌメロ j.JPG

 愛しのヌメロ。
 http://www.paseo-flamenco.com/daily/2009/07/post_36.html

 この日刊パセオフラメンコのトピは私のアイデアだったが、
 それがゆえに、これまで見事にドン引かれていた。

 で、きのう、mixiの募集トピにちょこっとテコ入れしたところ、
 いきなり凄んげえクオリティの作品が集まりだした。
 小品から大作まで、お笑いから感動まで、
 それらはすでに私のイメージをはるかに超えている。
 実を云うと、この企画は数年前にmixiで実施したアンケートで
 かなりの好感触を得ていた隠し目玉だったのだ。

 各ヌメロ(曲種)を学術的に演繹する作業は極めて重要。
 そして一方では、各ヌメロの具体的なイメージやアイレを
 帰納法的に検証する作業にぬかりがあってはならないと、
 常々私は考えていた。
 そう、この私にぬかりはないのであった。
 ちなみに、抜け目はないが抜け毛は売るほどある。(TT)
 とほほ3.jpg

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 2009年07月19日/その19◇ケーソツ

 将棋人口が3000万人以上だった頃のその昔。

 将棋仲間のあいだで“3秒将棋”なるものが流行った。
 自分が着手した瞬間に、
 「イチッ、ニッ、サ~ン!」と相手の指し手を促す。
 3秒以内に指さなければ、即座に負けとなる。

 私たちが競走馬となり、大金が飛び交うことになる
 “シンケン”とは異なり、一局千円のお遊びだったが、
 時給230円の時代だから、それなりに熱くなった。
 3でアホになる法則は、まだ発見されてない時代だ。

 一瞬で10手前後は読む連中だが、
 3秒では読みの正確さを確認するヒマもなく、
 それまでに培った直観力だけが頼りの勝負。
 この修羅場には、かなり鍛えられたと思う。
 だから直観命のフラメンコにハマったのかもしれない。

 私の決断がチョー早いのは明らかにその影響だが、
 その私の英断がことごとく失敗に帰する理由は、
 いまだに解明されていない。
 てゆーか、今日のタイトルのまんまじゃねーの (TT)

 謙譲の美.JPG

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 2009年07月20日/その20◇あらかんの逆襲(前編)

 やることなすことエキセントリックに自爆するFは、無類の女好きだ。
 根が純なので、駆け引きなどはいっさい使わず、
 押しの一手で真っ向からぶつかるもんだから、勝率はそう悪くはなさそうだ。

 Fは私よりかなりの年長で、親しい友人というわけではないが、
 やはりアートを生業とする人間なので、年に一度くらいは顔を合わせる。
 親しい仲間内の呑み会に、そのFが珍しく顔を出した。
 愛する女のためにと、以前は煙草も酒もほとんどやらない男だったのに、
 やけなハイペースで冷や酒をあおる。

 「もう女はやめた」
 唐突にFが切り出す。
 「ええっ? Fさんが女狂いやめて、いったいどうするの?」
 メンバー中、唯一の女性Rが突っ込む。
 ややあって、Fはこう答える。
 「オレが女になった」

 ホモセクシャルをことさら蔑視し、常に女性に熱中するFの生態を、
 かれこれ20年以上も観てきた私たちには、にわかには信じられない話だったが、
 その後はFの独演会だった。
 一年ほど前に完全なる方向転換を果たし、今では週に二度ほど、
 新宿にあるその方面の店へ、
 見知らぬ男にハントされに出かけるのだと云う。 (つづく)
    

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 2009年07月21日/その21◇あらかんの逆襲(後編)

 (きのうの続き)

 その晩のFは饒舌だった。
 そして、正直云って彼に好感を持っていなかったすべてのメンバーが、
 これほどまでにFの話を真剣に聴き入ることは初めてのことだったろう。
 詳細は省略するが、それは恥も外聞もかなぐり捨て、
 人間存在の真実に迫らんとするかのような内容で、
 実を云えば、大いに脱力しながらも私は感動していた。

 かなり呑んだはずのFだったが、晴れ晴れとした顔で突然シャキリと立ち上がり、
 テーブルに万札を1枚置き、じゃあねと云いながら素早く店を飛び出した。
 呆気にとられた私たちは、しばし言葉もなかった。
 彼の気質を知る私たちに、その仰天話は何の違和感もなかった。
 ほとんどすべて事実だろう。

 「あの歳でそこまでやるかい。しかも何で俺らにそこまで話す?」とOは苦笑し、
 「まあ、よくあれだけ正直に、俺達に話したもんだよなあ」とYはため息をつき、
 「しかし、奴さんも大したもんだよ」とUは、いつものバランス感覚を発揮する。
 そして、男ではさんざ苦労したRは、涙目で意外なことを云う。
 「ほんとは真摯な男の人だったのね。見直しちゃった」

 Fの自殺を私は心配したが、それは余計な杞憂というもので、
 それから一年経った今も、相変わらず彼は元気にやってるらしい。
 かつて、Fとは青臭い人生論・文学論を闘わせて、その度に正面衝突したものだ。
 彼のアクティブ性を大いに認めつつも、その方向性をまるで私は信用していなかった。

 いまの彼が、自己の文学的本能のみをバックボーンに、社会常識などクソ喰らえで、
 徹底的に自分の信念そのものを生きようとしていることに疑いはない。
 いや、よくよく考えてみれば、不器用なだけで、昔から彼はそうだったのだろう。
 彼から観れば、むしろこの私の方こそ、中途半端にバランスを取ろうとする
 出来損ないの小市民なのかもしれない。
 すでに還暦を越えた彼の勝負に、若い頃からのあの大胆でぶざまな生き様の一貫性を、
 方向性の相違はそのままに、ようやくのことで私は了解したのだった。
 
 もろもろあって若干のフィクションを交えたが、不敵に己を貫く彼の生き様は、
 100%ノンフィクション、いや、100%フラメンコだと云ってみたい気もする。

 ジェーの絵.jpg

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 2009年07月22日/その22◇森山みえのフラメンコ留学記


 『森山みえのフラメンコ留学記』

 この夏、一年のフラメンコ留学を終え帰国する
 ウェブ友みえの留学記。
 短期集中・12回連載で、その初回が先日スタートした。
 去年にひきつづき、みえは協会新人公演に出演するという。

 日刊パセオフラメンコに人気読み物を!と、
 ふと思いついた企画のひとつである。
 今日の日刊パセオの一番上“バルぱせ”右横に、
 その第二回『エル・トロンボ との出会い』をアップ。

森山みえ.JPG
 
 みえには、まだ一度もお会いしたことはないが、
 あるとき私の出身高校の後輩であることが判明し、
 以来、同情と軽蔑の目で彼女のmixiブログを眺めていた。

 残り少ない留学生活の締めくくりの時期に、
 みえにはお気の毒な依頼(しかもノーギャラ)だと思ったが、
 快く彼女は引き受けてくれた。

 上下関係がとても厳格な高校で、ほんとうによかった。

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 2009年07月24日/その24◇プライド

 「おれ、プロの将棋指しになりたいんだ」
 「……じゃあ、ユージは父さんの死に目には
  会えないんだなあ」

 勝負師は親の死に目に会えない。
 こんな警句は現代では死語だろうけど、
 中学三年の私の希望を承認しながら、父親はこう笑った。
 職種は何でもいいから、仕事だけはキチンとまっとうしろよというのが、
 彼の一貫した考え方だった。
 それから八年。
 病床の父の臨終を看取ることができたのは、家族で唯一、
 皮肉なことにとっくに将棋のプロテストに落っこちていたこの私だった。

 東京・神田に生まれた父は、
 下町の自宅で紳士服仕立のちっぽけな店を営む職人だった。
 遠方からもひっきりなしに注文が入っていたから、腕は悪くなかったのだろう。
 そんな父の評判をよく外で耳にしてエヘンと誇りに思いつつ、
 週に何度かは徹夜で黙々と注文をこなす父の
 頼り甲斐のある背中を見ながら私は育った。
 人様に迷惑はかけられねえ、
 と一度として納期に遅れることがなかったことが父の自慢だった。
 評判の腕前に自惚れることもなく、父の矜持はそんなところにあった。

 今週のパセオ社は、あり得ない仕事上のすっぽかしを
 二件連続で喰らっちまったものだから、
 貧しくとも明るく筋目を通そうとする、そんな昭和の下町文化を
 ついつい懐かしく想い出しちまった。いけねえ、いけねえ。
 その後のスケジュール調整に四苦八苦する社員たちを横目に見ながら、
 醜悪なコンパス破りに対するブチ切れをこらえるのに四苦八苦する私に、
 人には寛大だった父の口癖がきこえてくる。

 「な~に、そのぶんお前が頑張りゃいいさ」

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 2009年07月25日/その25◇高田馬場で“舟歌”に学ぶ

 きのうの昼下がり。
 高田馬場駅前で信号待ちをしていると、
 まるで私の双子の兄かのようなヨレヨレの
 おっさんが、ヘッドフォンを耳に、
 何やら体をクネクネさせている。
 面白そうなので、さり気なく近づいてみると、
 小さく聞こえてきたのは、
 八代亜紀さんの名曲“舟歌”だった。

 身ぶり手ぶりを交えながら小さく熱唱する、
 いまにもヨダレを垂らしそうなおっさんの
 そのお顔はすでに恍惚感が満開花盛りであり、
 彼の中での彼は、まさしく、
 八代亜紀中の八代亜紀であったにちがいない。

 後ろめたさと共に、おっさんに親近感を覚える私。
 お気に入りの交響曲(ブラ3、悲愴、40番など)を
 聴きながら、
 ひと気の少ない川筋なんかを選んで散歩するとき、
 この私は、かのドイツの名指揮者ヴィルヘルム・
 フルトヴェングラーになりきっている。

 「聞こえないよ金管~、もっと大きくっ!」
 「弦~、もっと歌ってー!」
 「ティンパニ~、もっと鋭く切ってー!」

 CD内のオーケストラに、
 こんな指示を与えながら歩く私を、人はどー見るか?
 高田馬場のおっさんのあの恍惚たる表情から、
 何かとても大切な事柄を学んだらしい私は、
 今後自分がフルヴェンになりきりたくなった場合の、
 その変身スペースは、自宅の密室に限りたいと、
 そう決意を新たにするのだった。

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しゃちょ日記バックナンバー/2009年7月④

2010年09月07日 | しゃちょ日記

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 2009年07月26日/その26◇フーガの技法

 毎日コツコツ、地道に続けたいものがある人は、
 それなりに幸せかもしれない。
 ラジオ体操でもいいし、青汁でもいいし、
 三度のゴハンの支度でもいいし、
 三度のゴハン・セバスチャン・バッハでもいい。

 十数年前、フラメンコの舞踊手である連れ合いと暮らしはじめて間もない頃。
 たまには、同じ日に休みをとって、どこかに出掛けようという話になった。
 やさぐれ社長を地で行ってた当時の私はいつでも休みをとることが出来たが、
 彼女の方は年に数度が精一杯のところである。
 私は彼女がよろこびそうな大江戸散歩コースを想定し、
 遅くも朝の10時には家を出発する予定を立てた。

 「ええ~っ、それは困るよ~
  午前中はいっぱい練習したいから~」

 ……つまり、「休日」に対する認識がまるで違っていた。
 丸一日遊ぶのが休日だと考える私に対し、連れ合いは休日だからこそ、
 まずはたっぷり自分の練習をすることがアタリキシャリキと考える人間だったのだ。

 通常なら江戸っ子の短気が爆発しそうな瞬間だったが、
 結局その日は14時出発で折り合った。
 プロ意識と云うか、いやむしろ、
 その明るく逞しいプロの本能と云ったものに感銘を受け、
 まぶしげに彼女を眺めたことを、いまでも鮮明に記憶している。

 今年に入って、パセオフラメンコのホームページに
 毎日日記を書いてみたいと思いついたのも、
 あるいはこんな出来事が遠因になっている可能性もある。

 『フーガ』をどう捉えるべきか?

 追われる生き方には、もはや興味は失せた。
 楽しげな未来を追っかける気分で、今日も10分ジャストで日記を書き上げる。

桜ヨランダ.jpg

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 2009年07月28日/その28◇ドストを愛した勝負師

 福沢はギャンブルの天才だった。
 特に強みを発揮したのはカードで、
 あまり目立たぬように、しかしトータルではしたたかに稼ぎ、
 心得のある大人たちをいつも手玉にとっていた。
 決して一人勝ちせぬように配慮し、10万勝てば5万と、
 儲けた半金で仲間にふるまうことを常としていた。
 幾度か吉原までゴチになったこともある。
 複雑な家庭事情らしかったが、いつも羽振りのよかった福沢は
 私よりふたつ年上の将棋仲間だった。
 プロには行かず、二浪して東大に入ったが、
 一年も通わずに退学したことは風の噂に聞いていた。

 私がギターを弾いていた場末のパブに、綺麗どころを三人ばかり連れ、
 その福沢が突然ぶらりと現れた。
 共通の知り合いから私の居所を知ったらしい。
 久々の再会だった。
 私は23歳だから奴は25歳か。
 塾の経営と副業の株が大当たりして濡れ手に泡の状態だと、
 自嘲するように笑った。
 早くに結婚して子供もいるが女好きは変わらない。
 どこかフラメンコな陰影を醸し出す、シャイにして強烈な男だった。

 私のギターを聴いて、瞬時にその明るくはない将来性を察したらしく、
 就職できるアテもまるでない大学5年の私に、
 ここをやめたらウチへ来ないかと誘った。
 フシギと相性のよい福沢のところで働くのも悪くないと思いつつも、
 私は塾の先生の務まるガラではなかった。

 その後福沢からは、年に二度三度誘いがかかり、
 すべて彼が勘定を持つ豪遊に私はコロコロ付き合った。
 豪奢な店に美女をはべらせ、ヤバかった過去の修羅場話や、
 プロに進んだ仲間の活躍を肴に毎度トコトン呑んだ。
 だがパセオを創刊した頃には、私の方にそんな余裕がなくなり、
 次第に酒池肉林の交流は途絶えていった。

 高田馬場のパセオに彼から電話が入ったのは、三十代半ばの頃だったろうか。
 無沙汰を詫び合ったのち、100万ばかり都合してくれるかと彼は切り出した。
 貧乏通帳を見やれば残高は50万ばかりで、
 銀行に駆け込みその内の40万を引き出し、馬場のルノアールで彼と落ち合った。
 今のおれにはこの程度だ。その代わり返す必要はないから。
 お前ほんとに俺が返さないとでも思っているのか? まあいい、これは借りとくと、
 少しやつれてはいたが、あの懐かしい彫りの深いソース顔でニヤリと笑った。

IMG_0012.JPG

 「おととしだったか。福沢が死んだんだよ」

 先週末ひょんなことから、やはり昔の仲間でひとつ年上の秋田と連絡がとれて、
 福沢の死をはじめて知った。
 そうか、奴は今のおれの歳で逝ったのか。
 以前から何となく嫌な予感もあったので泣かずにすんだ。
 晩年の福沢の生き様や死因は皆目わからず、墓は鹿児島だという。
 だが、ドストエフスキーを愛したあの勝負師福沢のことだ。
 言い訳も愚痴もない潔い散り様であったことにまちがいはなかろう。
 私と同じ時期にやはり金策を頼まれたという秋田は、
 100万取りっぱぐれたとカラカラ笑った。
 お互い高校時代から福沢にはもろもろ世話になりっぱなしだったから、
 その借りを少しでも返せたことは互いに上出来だった。

 「後手は踏むな」
 「安全そうに見えるルートがいちばん危ない」
 「悲観が基本だが、そればかりじゃ勝ち筋は見えない」

 学校では教えてもらえない、
 若い頃に福沢から学んだ勝負の修羅場の鉄則は、
 その後の凡人(秋田や私)がどうやら食えてる最大の理由とも云うべきものだろう。
 福沢によくおごってもらった有楽町のあの店、まだあるのかなあと、
 懐かしそうに陽気な秋田が、いきなり声を詰まらせた。
 ああ、きっとあるに決まってる、おい秋田、久々に行ってみるかと、
 自分を励ましながら私は応えた。

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 2009年07月29日/その29◇独創性

 大きな仕込みが、いくつか一段落。
 土日は消えたが、忙中閑アリ。
 封も切らずにたまるばかりの新譜CDを一枚聴く。

 ジャズ・ピアニストとしても有名な、
 クラシック畑の人気指揮者&作曲家、
 アンドレ・プレヴィンのギター協奏曲。
 自らのタクトとロンドン響による、
 この秋来日するクラシックギターの王様、
 ジョン・ウィリアムスとの楽しげな快演は、
 1971年の録音で、CD化は世界初。

プレヴィン/ギター協奏曲.jpg

 そのレコードを購入したのは、
 堅気のバイトで時給300円強の頃か。
 すでに名声のあった作曲家プレヴィンと云えども、
 聴いたことのない現代曲に、3000円近くを
 出費することに、高校生の私は少しだけビビった。
 だがら、ちょっとだけプロコフィエフみたいな、
 その第一楽章のハチャメチャな美しさが耳に入ってきた時の
 安堵感は、いまも忘れることはできない。

 携帯電話に着信メロディを自分で打ち込めた頃、
 まっ先に選んでアレンジしたのがこの曲だった。
 20年以上前のあやふやすぎる記憶を頼りに、
 第一楽章からとりわけ好んだ部分の十数秒を
 3声に編曲して打ち込んだ着信メロディは私の自信作だった。

 ついさっき、およそ30年ぶりで実音を聴いた、
 現代的にトリッキーでありながらも、
 その美しいギター協奏曲の第一楽章。
 …………。
 その原曲と私の携帯アレンジを同一作品だと思える方は、
 地球広しと云えども誰一人としていないだろう。
 当の私だって、それらが元々は同じ作品だなんてことは
 思いもよらぬことだし、また、思いたくもない。

 ……つまり……、
 それはアレンジなどでなく私自身の創作だった! と、
 こう考えさえすれば、
 この惜しすぎて哀しすぎる問題は、一挙に明るく解決できる。

 また、ソレアを熱演したのに、素敵なガロティンだったわ!
 と云われたことのある貴方にこの私を批判する資格はない。

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 2009年07月30日/その30◇美と知性のスーパーバイレ

 マヌエラ・カラスコが生命の根源をスパースさせるディオニソス系代表ならば、
 一方の理性的調和アポロン系代表はマリア・パヘスをおいて他にない。
 伝統的格調と革新的感性の絶妙なリンクの上に舞踊技術を磨きあげ、
 新たな生命力を吹き込むことで現代バイレの大輪を咲かせたパヘス。
 スタイルに対する趣味を超え、彼女のフラメンコはあらゆる観衆を魅了する。

 本作品には珠玉のソロ三曲が収録されている。
 知的なエロスがたゆたうガロティン。
 民を救済する千手観音のようなブラソが印象的なソレアレス。
 澄み切った哀愁を毅然と舞うタラントス。
 あらゆる瞬間は見事な構成で描かれた美しい絵画のようだ。
 ここで想い起こすのはむしろ帝王アントニオ・ガデスである。
 どの舞いもタメ息がもれるほど完璧なフラメンコであるのに、
 さらに発展する可能性を限りなく感じさせるところに独特の凄みがあるのだ。

pages.jpg

 妙に気取ったマヌケな文章だが、
 マリア・パヘスについて想うところは、
 嫌々ながら同意できるところもある。
 気になって調べてみると、
 これは数年前に書かれた映像作品用の宣伝コピーで、
 古くから付き合いのあるそのマヌケなライターは、、、
 ……この私だった。
 昨日の敵は今日の俺、ということなのだろうか。

 だが、そのマリア・パヘスのDVDに冠される
 「美と知性のスーパーバイレ」というタイトルコピーは、
 彼女の本質を突いて、そこそこイケてると思う。
 「コピーを考えた人も美と知性にあふれる人なのか?」
 と、私は想像する。
 「いや、それほどでも…」
 と、私は謙遜する。

 ………引いてはいかん。
 これぞ、自給自足の精神と云ふべきものなのだっ!

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 2009年07月31日/その31◇安全弁

 7月1日にリニューアルした当ホームページ。
 ヨランダ画伯、大活躍である。
 トップ見出し約30点を、可哀想にも
 ほとんど一晩で描きあげてくれた。

 予想以上のアクセス&来場者数にホッとひと安心だが、
 新しいチャレンジをかける場合、
 毎度のことながら業界筋やオールドファンの方々からは、
 たくさんのお叱りと冷笑を頂戴いたすことになっている。

 リニューアルから1ヵ月。
 まあ、コンセプトの「敷居の低さ」は初志貫徹したものの、
 ちょっと敷居が低くなりすぎちゃった感もある。
 おうおう、あんまりムチャはしてくれんなよという感じで、
 パセオを創刊した頃や、フラメンコ協会を創ろうとした時と
 おんなじような反応も多い。

 そんな小言がうれしいはずもなく、一瞬耳は痛くもあるのだが、
 実際には、こうした反応こそが、
 日本のフラメンコ界の厚みと云ったものなのだろう。
 あっという間にブレークするジャンルが、
 あっという間に消えてゆくのは、
 こうした安全弁を持たないからだ。

 また、「云われるうちが華なのよ」という真理には、
 天狗になることを未然に防いでくれたり、
 最悪の場合のシミュレーションを準備させてくれたりと、
 実に大きなメリットが内包されていたりもする。

 結果として、毎度この私は救われることになる。
 ありがとさんです、
 愛しのガンコ爺さま方、ならびに
 麗しのガンコ婆さま方っ!
 
 エラそーなことを吠ざきながらも、二度や三度の失敗で
 泣いておウチに帰っちゃうのが、近頃の流行みたいだが、
 敢えて立ちはだかってくれる先輩がたくさんいる世界であれば、
 後輩の心にもかえってハンパでない闘志が漲ってくるものだ。
 フラメンコの団塊世代の矜持を、私は誇りに思う。
 
 何でもほいほい許可を与える“モノ分かりのいい大人”を
 やってる場合ではないことだけは、少しだけわかってきた。
 そのちょうど良い加減を見極めることは実に難しくあっても、
 これもまた、「先輩におごられたら、後輩におごり返す」
 という鉄則の一環なのだろう。

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フラメンコ超緩色系/バックナンバー

2010年09月06日 | しゃちょ日記

◆フラメンコ超緩色系/バックナンバー一覧

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◆2009年
01/01木[243]◇藤沢周平
01/08木[244]◇うれしい色やねん
01/09金[245]◇あなたはどっち派?
01/22木[246]◇ガデスと浩希とツバメンコ
01/26月[247]◇パコ・デ・ルシア
02/17火[248]◇本番収録完了!
02/20金[249]◇ツバメンコとガデス舞踊団
02/21土[250]◇まじめに生きるために
03/04水[251]◇ありがとう!ツバメンコ
03/09月[252]◇五十歩百歩
03/15日[253]◇何をやっても一生は一生
03/23月[254]◇フラメンコな根性の出し方
03/24火[255]◇踊る厨房少女
03/25水[256]◇突如、フラメンコ留学
03/26木[257]◇「踊り」から「フラメンコ」へ
03/27金[258]◇フラメンコはライフワーク
03/29日[259]◇アランフェス協奏曲
04/19日[260]◇先を読む頭脳
04/20月[261]◇あせらない根性
04/21火[262]◇バロメーター
04/23木[263]◇芸の肥やし
04/27月[264]◇週末はピリス!
04/28火[265]◇地中海の舞踏
06/25火[266]◇毎日しゃちょ日記
07/13月[267]◇お越しやす
08/07金[268]◇昭和なシュール
08/08土[269]◇アントニオ・ガデス
08/11月[270]◇父の戦略
08/12水[271]◇ディスクの中のドゥエンデ
08/14金[272]◇ドストを愛した勝負師
08/15土[273]◇日課
08/19水[274]◇元気の出るボヤキ
08/29土[275]◇情熱の覇者
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◆2008年
01/19土[196]◇不敗伝説
01/25金[197]◇人格者の条件
01/28月[198]◇棒に当たった
02/01金[199]◇冬のある日に
02/03日[200]◇白い一日
02/14木[201]◇涙のバレンタイン
02/16土[202]◇スーパー・フラメンコ
02/20水[203]◇スーパー・フラメンコ+新日本フィル
03/27木[204]◇淡き華
04/14月[205]◇我が良きあんたらよ
04/17木[206]◇つかむコンパス
05/01木[207]◇ある春の詩
05/02金[208]◇ポル・ソレア
05/10土[209]◇マリア・パヘスを語れる人
05/19月[210]◇ギャンブル
05/20火[211]◇楽しいバッハ歴
06/08日[212]◇紫ソレア
06/20金[213]◇祝200回インタビュー
06/30月[214]◇“バル de ぱせお”の投稿募集
07/03木[215]◇ほほえみ返し
07/06日[216]◇淡い夢だから
07/25金[217]◇あいにく国境は見えない
08/17日[218]◇パセオ社員に告ぐ
08/20水[219]◇疾走するオラシオン連歌
09/04木[220]◇秀さん
09/25木[221]◇連想シアター
10/01水[222]◇パセオは誰に何を伝えたいのですか?①
10/02木[223]◇パセオは誰に何を伝えたいのですか?②
10/04土[224]◇パセオは誰に何を伝えたいのですか?③
10/05日[225]◇今井翼/ツバメンコの衝撃
10/08水[226]◇あれから十年
10/10金[227]◇セカンド・ラブ
10/13月[228]◇ダイヤモンドは傷つかない
10/15水[229]◇TVでツバメンコ
10/18土[230]◇類まれなるリズム感
10/21火[231]◇今井翼/電波に翔んだツバメンコ
10/27月[232]◇今井翼/ツバメンコ同好会
10/30木[233]◇生きてるなあ
11/11火[234]◇マリア・パヘスも夢ぢゃない
11/15土[235]◇バランスの華
11/18火[236]◇まぐれ当たり
11/21金[237]◇パユのバッハ
11/28金[238]◇美人の母
12/01月[239]◇秋の終わりに
12/09火[240]◇社長業
12/11木[241]◇今井翼/フラメンコ、その先へ
12/14日[242]◇マリパヘにムターが響く
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◆2007年
01/02火[180]◇朝陽の中で
01/11木[181]◇一挙公開!自爆アルバム
01/19金[182]◇冬枯れ
01/28日[183]◇分裂の効用
03/19月[184]◇タキレン慕情
03/23金[185]◇春の声
03/29木[186]◇春よ
05/20日[187]◇幻の原稿料
05/23水[188]◇薔薇エティ
05/25金[189]◇東京北部の微笑み
05/27日[190]◇オチはねーのか
06/02土[191]◇ナンパ日和
06/21木[192]◇手ぬぐいゲット必勝法
07/02月[193]◇シュタットフェルト再び
07/28土[194]◇フラメンコ七転八倒
07/29日[195]◇夏休み
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◆2006年
01/05木[002]◇散歩の迷人
01/06金[003]◇あしたのジェー
01/07土[004]◇三度のバッハ
01/08日[005]◇すっぽん屋の車掌
01/09月[006]◇マリア・パヘス①
01/10火[007]◇マリア・パヘス②
01/12木[008]◇フラメンコ小辞典
01/14土[009]◇伝統と革新
01/16月[010]◇神と仏①
01/17火[011]◇神と仏②
01/19木[012]◇サバイバル①
01/20金[013]◇サバイバル②
01/21土[014]◇大江戸雪化粧
01/22日[015]◇カマロン慕情①
01/23月[016]◇カマロン慕情②
01/24火[017]◇カマロン慕情③
01/25水[018]◇カマロン慕情④
01/26木[019]◇最後の砦
01/27金[020]◇癒しの巨人
01/28土[021]◇冬ぼたん
01/29日[022]◇二元中継
01/30日[023]◇隠れ家①
01/31月[024]◇隠れ家②
02/01水[025]◇二月のコメンター掲示板
02/02木[026]◇落語
02/03金[027]◇ガツンと一喝(フェルナンダ・デ・ウトレーラ①)
02/04土[028]◇逆転の光(フェルナンダ・デ・ウトレーラ①)
02/05日[029]◇キース・ジャレット
02/07火[030]◇踊る阿呆を、観る阿呆(マリア・パヘス)
02/09木[031]◇敗北
02/10金[032]◇行間の虚栄
02/11土[033]◇代々木公園のフィクサー
02/13月[034]◇本質の見極め①
02/14火[035]◇本質の見極め②
02/15水[036]◇粋な九平次
02/16木[037]◇前人未踏
02/17金[038]◇完璧な画面
02/18土[039]◇楽園の微笑み①
02/19日[040]◇楽園の微笑み②
02/20月[041]◇星のフラメンコ①
02/21火[042]◇星のフラメンコ②
02/22水[043]◇星のフラメンコ③
02/24金[044]◇ジプキン①
02/25土[045]◇ジプキン②
02/26日[046]◇僕を見つめて
02/28火[047]◇湯島の白梅
03/02木[048]◇池上の梅園
03/03金[049]◇三月の掲示板
03/05日[050]◇無人島にて
03/06月[051]◇青春(1)
03/07火[052]◇青春(2)
03/08水[053]◇青春(3)
03/09木[054]◇無敵の番長(エル・シガーラ)
03/10金[055]◇最近の俺
03/11土[056]◇風の丘を越えて
03/12日[057]◇君の想いは
03/13月[058]◇通勤散歩
03/14火[059]◇一杯のカフェラテ
03/15水[060]◇朝陽の明治神宮
03/17金[061]◇Paseoウォッチング
03/18土[062]◇都電・早稲田駅
03/19日[063]◇謙譲の美
03/20月[064]◇成功の素
03/21火[065]◇シュタットフェルト
03/22水[066]◇フェイエスタ・デ・千秋
03/24金[067]◇パセオの庭
03/25土[068]◇愛のあるところ(マイテ・マルティン)
03/26日[069]◇腕っこき
03/28火[070]◇山吹の里
03/29水[071]◇花は桜木
03/30木[072]◇桜の頃は
04/01土[073]◇さくら2006(上)
04/02日[074]◇さくら2006(中)
04/03月[075]◇さくら2006(下)
04/05水[076]◇見果てぬ夢(堀越千秋展)
04/07金[077]◇マカロン
04/08土[078]◇ツェートマイアー
04/09日[079]◇チューリップ
04/10月[080]◇ガリガリ君
04/11火[081]◇ファンタジー
04/12水[082]◇万馬券
04/14金[083]◇誕生日
04/15土[084]◇Paseoウォッチング
04/17月[085]◇箱根山
04/18火[086]◇面接試験
04/19水[087]◇バラと桜の祝祭
04/20木[088]◇とんがれっ!
04/22土[089]◇月光仮面
04/24月[090]◇陶の顔
04/25火[091]◇新築祝い
04/26水[092]◇つつじの根津権現
04/29日[093]◇笑うファンタジー
04/30土[094]◇天神さまの藤
05/01月[095]◇老爺心
05/02火[096]◇温泉気分
05/04木[097]◇ドゥケンデ
05/06土[098]◇春の徘徊師
05/08月[099]◇私好み
05/09火[100]◇祝百回
05/11木[101]◇桂銀淑
05/13土[102]◇成分解析
05/15月[103]◇Paseoウォッチング
05/16火[104]◇桃太郎の未来戦略(上)
05/17水[105]◇桃太郎の未来戦略(下)
05/18木[106]◇パラサイトアワー
05/19金[107]◇我が良き池よ
05/20土[108]◇紗矢香のメンチャイ
05/21日[109]◇薔薇ダイス
05/24水[110]◇無所属
05/25木[111]◇女心
05/27土[112]◇マルコX
05/29月[113]◇夕暮れの鬼子母神
05/30火[114]◇華麗なる朝食
06/01木[115]◇日なたぼっこ
06/02金[116]◇無人島で観る映画(上)
06/03土[117]◇まったくの偶然
06/05月[118]◇ミゲル・ポベーダ
06/06火[119]◇かいそうシーン
06/07水[120]◇バッハの無伴奏チェロ(1)ソレアみたいな
06/08木[121]◇バッハの無伴奏チェロ(2)孤独
06/09金[122]◇バッハの無伴奏チェロ(3)転機
06/11日[123]◇バッハの無伴奏チェロ(4)奇行
06/12月[124]◇バッハの無伴奏チェロ(5)再会
06/13火[125]◇バッハの無伴奏チェロ(6)廃物利用
06/14水[126]◇どーも
06/15木[127]◇JINOKISM
06/17金[128]◇しょうぶの行方
06/19月[129]◇Paseoウォッチング
06/22木[130]◇これであなたも
06/23金[131]◇ちょっくら江戸まで
06/24土[132]◇無人島で観る映画(下)
06/26月[133]◇ポテンシャル
06/27火[134]◇雪は降る
06/28水[135]◇信用の決め手
06/29木[136]◇草枕とグールド
07/01土[137]◇まーけてぃんぐ
07/04火[138]◇分解写真
07/09日[139]◇計画性
07/12水[140]◇別れの朝
07/20木[141]◇栄光の社長室
07/25火[142]◇赤頭巾ちゃん
08/01火[143]◇故郷
08/09水[144]◇逆ギレ
08/10木[145]◇季節はずれ
08/15火[146]◇開店休業、四大ニュース
08/26土[147]◇コンスタント性
09/01金[148]◇上品なイヤミ
09/10日[149]◇ホームグラウンド
09/17日[150]◇夢の途中
09/24日[151]◇ライバル
09/25月[152]◇たかり2
09/26火[153]◇天然
10/01日[154]◇無尽
10/04水[155]◇一石二チョー
10/05木[156]◇脱皮
10/06金[157]◇遠き道
10/07土[158]◇アメとムチ
10/08日[159]◇ぷかぷか
10/09月[160]◇こんな時
10/12木[161]◇チャレンジャー
10/13金[162]◇世界が尊敬する日本人
10/14土[163]◇歩きたいだけ
10/16月[164]◇充電
10/22日[165]◇交信曲
10/23月[166]◇銀次について
10/24火[167]◇虹よ、冒?の虹よ
10/25水[168]◇アイレ
10/27金[169]◇坂道
10/28土[170]◇人間未満
10/29日[171]◇十二国記
10/30月[172]◇君はかわいい
10/31火[173]◇経験論
11/04土[174]◇惜しい
11/28火[175]◇われても末に
12/07木[176]◇秋の終わりに
12/17日[177]◇YOLANDA作品に主演!
12/21木[178]◇しゃちょ物語(完結編)
12/23土[179]◇あふれよ我が涙
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◆2005年
12/06火[001]◇月とスッポン
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『情熱大陸』のフラメンコギター沖仁 [290]

2010年09月06日 | フラメンコ

 

   『情熱大陸』のフラメンコギター沖仁



 フラメンコギターの沖仁が出演!
 待ちに待った『情熱大陸』。
 もう何十年も観続ける『ガキ使』スルーでかぶりつく。

 バンザ~~~~~イ!!!!!
 いや、ほんとよかったね。
 もう泣きそう。
 なんて凄い奴って思ったよ。
 番組の創リ方もとてもよかったし。
 フラメンコギターそれ自体の魅力も、
 これで確実に日本中に認知されるね。
 もちろんフラメンコそれ自身も。 


 パセオ『フラメンコ力アップ! 12の視点』へ
 仁さんのインタビューを録ったのは、
 彼がスペインに渡る10日ほど前のことだ。
 パセオ近くの静かな店で、昼飯を食いながら収録した。
 手応え充分の本編を収め、尽きない雑談の最中に、
 コンクール再チャレンジの話を聞いた。

 「コンクールはこれで最後です」
 そう云う彼の表情には、勝利の女神の微笑が浮かんでいた。
 パセオフラメンコ10月号にはその折のインタビューが載る。

 「死ぬまでフラメンコで生きようと決意したのは昨年」

 その理由が衝撃的だったな。
 そして私はとてもうれしかった。
 私の連載の宣伝になっちまって恐縮だが、
 フラメンコ専門誌のガチンコ・インタビューだからな、
 まっ、内容は相当に濃いんだ。
 僕を引き出してくれてありがとう! って、
 仁さん本人が大いに喜んでくれたくらいだから。
 借り読みでもいいから、ぜひ読んでみて欲しい。
 どんなタイプの人が読んでも、それなりの発見は必ずあると、
 私自身もそう確信しているので。
          
       
       


 パセオ発行『沖仁/ジノキズム』