フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2009年10月①

2010年09月10日 | しゃちょ日記

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 2009年10月01日/その93◇君は可愛い

 しなやかな肉体、しなやかな動き。
 ブレない芯と、フレキシブルな柔軟性。
 散歩途中に、美しい黒猫と会った。

黒猫.JPG

 フラメンコを踊らせたら相当いけそうだ。
 二拍子系、三拍子系のどちらにも
 対応できそうな身のこなしがある。
 『わんニャンコで吠えるば』では古いので、
 とりあえずは『黒猫のタンゴ』か。
 って、それも古いだろっ。

 おもむろに四拍子を叩くと、すかさず逃げやがった。
 そんなことでは、
 そんなことでわ、
 アジの干物はおあずけだぞ。

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 2009年10月02日/その94◇エバ・ジェルバブエナ

 日本でも大人気のバイラオーラ(女性舞踊手)
 エバ・ジェルバブエナが、
 この秋、ほぼ三年ぶりで来日し、
 東京で2公演おこなう。

 エバ2.jpg

 実験的な創作舞台で前進しながら、
 その領域を広げてゆくエバの姿勢はステキだが、
 正直云エバ、
 今回みたいなスタンダードなフラメンコを踊る
 エバを観るのが、私個人は一番好きだ。
 次回以降、どんな前衛モノでやってきても
 それをビクともせずに受け止めるためにも、
 今回限りはエバのムイ(とっても)・フラメンコを
 とっぷり楽しませてもらおう。

 さて、エバと云えば、
 まだ彼女が押しも押されぬ大スターとなる前の話。
 仕事で来日した彼女が、
 ひとりで日本のホテルに泊まるのも怖いと云うので、
 顔なじみである私の連れ合いが、
 自分の住む元代々木のマンションに、
 1週間ほど泊めたことがあったらしい。

 地元の行きつけ“秀”にも連れて行ったみたいで、
 エバは刺身なんかを喜々として食べていたそうだ。
 そして、現在この私も住んでいるマンションの、
 その部屋こそが彼女が寝泊りした場所であり、
 あろうことか、畏れ多くも、
 エバさまが爆睡したであろうベッドあたりに
 私の寝床はある。
 どーだ、すげーだろっ!って、
 他に自慢できることは何かねーのか(涙)

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 2009年10月03日/その95◇最初は何を聴けばいいの?

 「最初は何を聴けばよいのかしら?」

 フラメンコをほとんど知らないが、
 ふとそれに興味を持ち始めた
 やさしく美しい女性にこう尋ねられる場合、
 迷わずマイテ・マルティンを薦めることにしている。

 mayte2.jpg
 [マイテ・マルティン/愛のあるところ
 VIRGIN 2000年

 私の場合、このCDを三枚持っている。
 家と仕事場と散歩用のCDケースに一枚ずつ、
 あたかも心臓発作にそなえる、
 ニトログリセリン的常備薬のようにそれは在る。

 誰しも、世の中の理不尽に打ちのめされることは
 多々あるわけだが、
 心の中のサンドバックを打って打って打ちまくっても
 心が晴れない時など、
 泣きぬれて蟹とたわむれながら聴くCDは、
 マイテ・マルティン以外ない。

 冒頭のむせび泣くブレリアで、
 早くも立ち直りを予感し、
 ラストの夢の通い路のようなブレリアを聴く頃には、
 悪いのは世の中じゃなくて、
 間違えてるのは俺じゃねえの?と
 思えてくるから不思議である。

 すぐにそれとわかる感受性ゆたかな歌声。
 何より響きに潤いがある。
 彼女のカンテは、
 傷つき疲れた感情のヒダの中にそっと分けいり、
 美しい陰影と余韻にあふれた詩を
 しっとりと発散させる。

 深く歌う旋律は、魂を心底からゆさぶる。
 マイテは頭脳ではなく心で考えて、
 それを私たちに伝える。
 それによって私たちがもともと備えている
 魂の動機と機能が急速に回復に向かう、
 という仕組みなのであろうか。
 ぼんやりと耳を傾けてるだけで、
 エネルギーがみなぎってくるのだ。

 天衣無縫な歌いまわしが、
 決して集中力を失わないのも、
 常にしなやかな求心力に貫かれているからだろう。
 こうして、先ほどまで“絶望”と感じられた痛みは、
 その心の傷の中から生まれた“希望”へと
 変貌を遂げてゆくのだ。

 以上が冒頭の問いに対する私のノーガキだ。
 ちなみに私の場合、
 フラメンコをほとんど知らないが、
 ふとそれに興味を持ち始めたやさしく美しい女性に
 こう尋ねられた事は二度や三度どころではなく、
 この26年間、一度としてない。

 「チョーくやしい」マイテ・マルティン.jpg

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 2009年10月04日/その96◇本日放映!堀越画伯の初監督作品

 「こんにちは!
  僕らが山で創った、実にくだらない映画、
  今度BS朝日で流れます。
  10月4日(日)、午後7時から8時の間のどこかです。
  もし映ればよろしく!」
 
 フラメンコ狂日記でもおなじみの堀越千秋画伯から、
 こんなお知らせが入った。
 堀越画伯の初の映画監督作品の放映である。
 爆笑短編集なのだが、監督ご本人もたびたび出演している。

 画伯にいただいたこの名作DVDを、
 すでに私は二度観ている。
 脳裏に焼きついて離れないシーンも三箇所以上ある。
 中でも『フルトヴェングラーの弟子』などは奇跡の傑作!
 やはり天才は、何をやっても天才なのだと思った。

 「実にくだらない映画」と監督本人は謙遜されているが、
 それは云いすぎというもので、
 正確には「もの凄くくだらない映画」と云うべきであろう。 

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 2009年10月05日/その97◇人類の孤独

 ジェーとの散歩コース上にあるご近所の中華屋さん。

他人1.jpg

 “人類の孤独”というテーマに真っ向から対峙する、
 その深遠なるネーミングには好感が持たれる。

他人2.jpg

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 2009年10月06日/その98◇小島章司とハビエル・ラトーレ

 小島章司の「SHOJI KOJIMA FLAMENCO 2009」で、
 構成・振付を担当する、鬼才ハビエル・ラトーレ。
 数年前にやはりコンビを組んだハビエルと小島章司の
 ステージが、抜群の相性を発揮したことは記憶に新しい。
 そして、ここに加わるのが舞台美術を担当する、
 われらが堀越千秋画伯である。

 今日はハビエル・ラトーレのインタビューのちょい見せ。
 「愛を装った度外れた情欲とエゴ、そして際限のない野望」。
 この巨大なテーマにどう立ち向かう?!

javier.jpg

 
 ──KOJIMAの原案「3人のパブロ」に、
 悲喜劇『ラ・セレスティーナ』を加えたのは何故でしょう?

 「KOJIMAはカザルスとネルーダ、
 そしてピカソにオマージュを捧げたがっていました。
 3人とも1973年に他界し、KOJIMAはちょうどスペインで修行中でした。
 4人を結びつける出発点はビジュアル的なものであるべきだと私は考えました。
 つまりピカソです。そこでピカソの画業を調べ始めたところ、
 彼が『ラ・セレスティーナ』に関する一連の版画を制作していたことがわかり、
 年齢と容姿と演技力からしてこれはKOJIMAに打ってつけの役だと思ったんです。
 稽古を重ねるにつれ、自分の選択はまさにぴったりだったと思っています」

DSC_4534.jpg

──今回の作品のポイントを教えてください。

 「物語の中心テーマは愛を装った度外れた情欲とエゴ、そして際限のない野望です。
 『ラ・セレスティーナ』が世界文学の古典であるのも当然で、というのは今日でも、
 世界的なレベルでまたは人生のどんな場面においても、
 これらは人間の葛藤を引き起こす主因だからです」

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 2009年10月07日/その99◇風の夢

 「なにか手伝わせてもらえませんか?」

 創刊時代のある日、
 ドン底パセオを訪ねる深い眼をしたあの娘。
 なぜか私には『マッチ売りの少女』のように見えた。
 二十年以上も昔の話だ。

 当時のパセオでは、
 交通費さえ出せない有り様だったのに、
 OLの彼女は、
 仕事がひけたあとほとんど毎日のように、
 町田から文京区本郷の編集部に通ってきて
 パセオの手伝いをした。

 それからしばらくして単身スペインに渡り、
 かの地にて踏ん張りつづけ、
 やがて志風恭子は、
 スペインと日本のフラメンコを結ぶ架け橋として開花する。
 パセオや一般メディアで執筆者として活躍する一方、
 大物アーティストの来日コーディネーターとして、
 私たちフラメンコファンに、
 数え切れないほどの幸福をもたらし続ける
 フラメンコウーマンとなった。
 現在もスペインにおいて、
 フラメンコの博士号を習得中である。

 志風恭子.jpg

 若い彼女はナマイキだったが、
 見返りを期待する以前に、
 自分の人生をスパッと丸ごと賭けた。
 後出しジャンケンで勝てるほど
 人生やフラメンコは甘くないことを、
 すでに彼女は見抜いていた。
 だから「運命の女神の前髪をつかめ!
 (後ろ髪はないから)」という、
 やたら冒険と忍耐を強いられる必勝法則を
 選択したのだろう。

 口先ばかりで何の実りも残さずに去ってゆく人も
 やたらと多い世界だけに、
 彼女の存在は否応なく際立つ。
 若い人を観るとき、志風のように
 ハラを決めたがゆえの生意気タイプなのか?、
 それとも何のヴィジョンも責任も持たない
 単なる偉がり・目立ちたがりタイプなのか?、
 情けないことに、
 いまだに私はそれらを識別することができない。

 ま、ナマイキなくせに臆病なために、
 逃げ出したくとも腰が抜けちまって
 逃げ出すことさえ出来ず、
 ついつい居残ってしまうというケースもあるからな。
 ………あーそーだよ、おれのことだよ。
 いったん逃げても、また戻って頑張るというケースもあるし、
 この手の予測は案外と難しいものだな。

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 2009年10月09日/その101◇今日という日は

 今日という日は、残り少ない人生の最初の日。

 誰が云ったか知らないが、
 云われてみれば、確かにそうだと頷ける名言だ思う。

 信じられないかもしれないが、
 私のような人生のベテランでも失敗を犯すことはある。
 もちろん、そんなことは滅多にはないのだが、
 そのたびに想い起こすのがこのアフォリズムだ。

 参考までに云えば、私がこの名言を想起するのは、
 通常で毎日3~6回程度である。

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